消極的でもいいじゃない
まいてないタネは収穫できない。そうなんだよなぁ。
でも、タネのまき方がわからないのと、まく余裕がない。そういう人はどうしたらいいんだろう。
タネのまき方は、なんとなくはわかる。
興味あることをやってみる、興味あることをやってる人と知り合う、行動する、行動する、行動する。
行動、苦手なの。特に、知らない人と出会うようなことは、気が重くて仕方ない。それでもやってみてるけど。バイトも面接行ったけれど。
これって、強みなのかな。
知らない人が苦手。行動が苦手。そういう自分と同じような人がタネをまけるサービスを考えたら、なにかになるのかな。あからさまに言えば、お金になるのかな。
自分がそのサービスを必要としてるのは確か。でも、それを誰かのために提供するのはどうなんだろう。そのためには知らない人と私が接触する必要があるような。
誰かのために、怖くて仕方ないのに知らない人と会うのか。
気が重い。
気が重いけど、克服できたらとは思う。
新しい場所、新しい人、怖くて怖くて、心臓がぎゅーっとなって、憂鬱で、やりたくなくて吐きそうで、行きたくなくて吐きそうで、逃げ出したくなる。これが全部、消えてなくなったら、どんなに生きやすいだろう。
もう「殺してやる」という幻聴も聞こえず、「家が火事かも」と不安になる幻臭もせず、安心して暮らせるようになる。
ああ、魅力的。
でも、一方でこうも思う。
狭い世界で生きることが悪いって、どうして思うんだろう。狭い世界より広い世界で、人間関係を限定するより多くの人と出会って、一歩を踏み出せないより思い切りやりたいことをやって、そういう人の方が幸せって、そうなのかな。
狭い世界で、安心できる人たちと、できないこともあるけれど穏やかな日々をすごす。
悪くない。というより、そっちが好み。
やりたいことを思い切りやる。大きなことをする。目立つことをする。わかりやすいことをする。新しいことに挑戦する。たくさんの知り合いがいる。友だちが数え切れないくらいいる。声をかけてくれる人が大勢いて、なにかしようとなったら後押ししてくれる。
そりゃ、すごい。うらやましい。
・やりたくないことは極力しない
・やらざるを得ないことは仕方ないからする
・やりたいこともちょっとだけできたらうれしい
私のモットー。
やりたいことをできたら最高だけど、やりたいことをできるのは一握りの人だけ。
そして、やりたいことをやるためには、やりたくないこともきっとやらなくてはならない、はず。やりたいことを貫くため、やりたくないことを嫌だなぁと思ってもやる。
私にその強さはない。
やりたくないことはしない、って実は簡単なこと。
いやもちろん、生きるためにやりたくないこともしなきゃならないけれど。それは「やらざるを得ないこと」ってことで、最低限、最小限、やるしかない。
でも、飲み会が苦手だったら、行かない。少数でごはん食べるはずがいつの間にか大人数になっていたら、姿をくらます。話したくないときは、話さない。聞いて欲しそうにしてても、聞きたくないときは聞かない。知らない人とお鍋は気持ち悪いから、お断りする。気持ち悪いふるまいをする人とは距離を置く。見たくないものは見ない。
それでも困らない。
その上で、好きな人を誘ってみる。ふたりで出かける。ひとりでなじみの場所へ出かける。怖くない人とだけ付き合う。たまに無理を言ってみる。
そんなちょっとした「やりたいこと」ができたら幸せ。
消極的でもいいよね。
積極的に幸せをつかみに行く人もいれば、消極的に幸せを感じる人もいる。私は後者。
ハレよりケが好き。ケの方が大切。なにも起こらない、穏やかな日々をすごしたい。もう波乱万丈はこりごり。
そっか、今のままでいいんだ。
まきたくないタネはまかなくてもいい。手に入らないけれど、タネをまくしんどさは「やりたくないこと」だから。
でも、タネを収穫する姿にあこがれるんだけどね。
ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす