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台湾ひとり研究室:映像編「『三国志 Three Kingdams』を日本語字幕で観て次につなげる。」

ドラマ《三國−Three Kingdams》は、2010年代の中国歴史ドラマの傑作に数えられるものだといわれる。このドラマをオリジナル中国語音声+中国語字幕で最初に観たのは、2015年末から2016年にかけて。ただ、いかんせん歴史物は難易度が高く、どうにもこうにも大事な部分が落ちている感が強い。その後、DVD セットのレンタル落ちを Amazon で見つけ、清水から飛び降りてみた。飛び降りてみるもんである。今ならAmazonプライムでも配信されているから、もっと気軽かもしれない。

そんなこんなで中文字幕と日本語字幕を見比べて、中国語学習という観点からいくつか気づいたことをご紹介しておこう。 

不足部分を補い、弱点を知る

ドラマを活用した語学の学習法はいろいろあるが、わたしが中国語字幕→日本語字幕、という順で見るのは自分の理解不足を認識するためだ。

今回は日本語の字幕を追いながら、特に 20 話あたりまでがしっかり理解できていなかったことがわかった。(あれー、こんなシーンあったっけな?)と思うことしきり。最初に観た時から少し時間が経っていることもあるが、20話以降からは少しずつ印象に残る場面が増えていく。理由を考えると、背景知識の不足が一因にある。たとえば、20話まではいわば三国志の前段にあたり、孔明に対する印象は強く、映画『レッドクリフ』などである程度の知識はあるので、人が変わりストーリーが多少変わっても追いつける。

しかし、セリフに差し込まれる漢詩や成語などはまったく理解できない。これらは、無理矢理覚えてもどうせ使えないので、ドラマを繰り返し見ながら、長期的に少しずつ理解していく以外に手はない、と考えることにした。

こうして弱点を知ることは次の学習につながる。次は、もう一度中国語字幕で見る。そうして、中国語の細かい部分を見直していくと、また違った印象になる。こうして続けていくことが少しずつ少しずつ力になっていく。

字幕で表現のバリエーションを知り、自分でも考える

恫喝する際の「放肆」や「滾」、命令を受ける際の「遵命」は、本作だけでなく歴史ドラマでは用いられる頻度が高い。何度も繰り返し出てくる語である分、場面や話す人の立場などによってバリエーションが変わる。どの語も、さまざまに訳出しされていて(おおー!)と感動しきり。同じ語にどれほどの類似表現が出せるか、自分で考えてみるのも一つの練習だろう。

ちなみに個人的にやや気になったのは、家臣が仕える人に向かって呼びかける際に使う「主公」の訳だ。この語は全篇に渡って出てくるのだけれど、ほかの語は奥方様(夫人)、若君(小公子)などと日本の時代劇や大河でよく見られる呼称が用いられているのに対し、これだけは「ご主君」という訳出しだ。違和感をもった理由を考えてみたら、「ご主君」って二人称というより、三人称イメージが強いからかも。時代劇でも使われなくはない呼称だけれど、ほかの表現同様、殿のほうが違和感ないかもと思ったのはわたしだけだろうか。ちなみに、吹き替えでは「わが君」となり、横山三国志では「殿」が用いられている。

誤解ないように申し添えるが、どちらが正しいかを論じたいのではない。字幕を漫然と見るのではなく、「自分ならどうするか」を考えながら見ると理解が深まる、この 1 点に尽きる。どんな字幕も「自分ならどうするか」を考えるのとそうでないのとでは、長い目で見た時に理解度や習得度が大きく違ってくるだろう。

背景知識で内容理解を深める

日本語字幕があるとはいえ、ドラマを観ながら(誰かフォローを…)と思わなかったわけではない。どうしたってすっとわからないことがある。当時の位置関係だ。特に三国志は、日本でいえば安土桃山から江戸時代に入る時期に似て、いわば領地合戦、天下統一への激流にあたる。だから、誰がどこにいて、その距離がどのくらいあるのか、といった地図は内容理解に欠かせない。

日本のテレビ番組なら地図が透かしで入りそうなものだが、本作にはそういう細工はない。セリフからは距離感がつかめず、ピンときていなかったのだけれど、さすが公式サイト! しっかり説明がされていた。本作を観て理解するには欠かせないツールだ。

参考)地図と年表

この位置関係を理解すると、セリフの持つ重みや、食糧を運ぶ難しさといった、個々の状況の緊迫度などがリアルに感じられるだろう。

語学学習は地道な積み重ねだ。基本的なことを身につけた後は、自分がその言語とどう向き合うかに尽きる。多くは続けることすらままならないだろうけれど、続け方もさまざま。仕事に使うもよし、友達としゃべるだけにするもよし、原書を読む楽しみもまたよし。特に現地で暮らすとなると終わりはない。

何しろ 95 話もあるので、観るたびにきっと目の行く場所は違うはずだ。同じ出来事を体験しても人によって捉え方が違う、ということは往々にしてあるものだ。映画を誰かと観に行き、その後のおしゃべりが実に楽しいのは、本当に同じ映画だったのかと思うくらい感想や観ているポイントが違っている点にこそある。1冊の本や1遍の文章だって同じこと。だから、歴史となると、なおのこと。

そうしてまた、この作品を楽しみ、中国語の世界を存分に楽しんでいきたい。

勝手口から見た台湾の姿を、さまざまにお届けすべく活動しています。2023〜24年にかけては日本で刊行予定の翻訳作業が中心ですが、24年には同書の関連イベントを開催したいと考えています。応援団、サポーターとしてご協力いただけたらうれしいです。2023.8.15