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台湾ひとり研究室:貓咪編「異文化夫+異種子猫+わたし=家族?」

不惑なんてとっくに過ぎた人生ではじめて、子猫の飼い主になった。しかも、場所は台湾という大いなるアウェイ。しかも、台湾人夫・大哥がド反対する中で起こした、結婚以来、最大の家庭内革命だった。

子猫は、生後2か月で台北のペットショップからやってきた。ショップから我が家に向かうタクシーの中では、四六時中、箱の中で鳴き続け、うちに着いた瞬間、猛ダッシュでうちの中を2周駆け抜けたあと、オロオロするわたしにようやく捕まえさせてくれた。

何も知らされずに、花金を過ごそうとしていた大哥は、うちに帰るなり子猫の入ったケージを見つけて激怒した。激昂だった。同意を得ないまま強行したわたしの不当な行いを、2時間、責め続けた。「全部、わたしが悪い。ごめんなさい」夫婦げんかで謝ったことなんてないくせに、子猫のことだけは平謝りした。

2時間後、大哥が「名前は?」と拍子抜けするほどあっさり聞いてきた。すかさず、用意していた名前一覧を彼に見せ、子猫の名前は「むぎ」と決まった。小麦色だったからではない。わたしたち夫婦がビール好きだから、という、なんとも不思議な理由だった。でも、とにかくこうして、彼が子猫を受け入れ、革命は成功した。

当のむぎは、知らない場所に突然連れてこられた恐怖か、あるいは猫飼い素人のわたしをあざ笑ってか、うちへ来て半年以上を過ぎた今もなお、噛み癖が抜けない。

猫飼いの友人たちに聞いても、どのコも噛み癖などないという。調べまくったネットの説明によれば、1匹で飼うコに多いという。口の悪い親戚には「あなたの教育が悪い」と言われて凹んだ。

大哥とわたしが結婚したのは6年前。遅すぎる結婚だったこともあって、我らに子はない。こっそり告白すれば、一度だけ、流産も経験した。だけど、妊娠がわかった時のわたしは異文化での高齢出産と子育てに、有り体に言って、恐怖しかなかった。あの子は、きっとそのわたしの気持ちを知って、いなくなったのかもしれない。

だから、むぎを育てるのが、夫婦で命を育てるはじめての体験だ。夫婦間も異文化なうえに、ヒト科ヒト属とネコ科ネコ属は種さえも違う。文化も種をも越えた不可思議な暮らしには、お互いに「わからない」がつきまとう。ただ、そのワカラナイが渦巻く日々にありながら、いつの間にか大哥は「わたしたちは家族でしょう?」と言うようになっていた。

わたしはというと、不思議なもので、むぎが来てから目の前の景色に変化が起きた。気づいたのだ。わたしたちの暮らす台湾のあちこちに、猫カフェなる空間があること。看板に「猫カフェ」となくても、猫のいるカフェが多いこと。時間を見つけて猫カフェを歩くようになった。だんだんに、台湾とペットの関係は日本と大きく違うこともわかってきた。

素人が歩けば、発見にあたる——

まだまだ始まったばかりではあるけれど、発見のあれこれを、誰かに伝えたいと考えた。そんなわけで、ハテサテ我らは家族なんだろうかというあたりも含めて、ここ台湾から、猫の旅の記録をお届けします。

写真は、まだうちに来たばかりの頃のむぎ。ワタシ的ベストショット。

勝手口から見た台湾の姿を、さまざまにお届けすべく活動しています。2023〜24年にかけては日本で刊行予定の翻訳作業が中心ですが、24年には同書の関連イベントを開催したいと考えています。応援団、サポーターとしてご協力いただけたらうれしいです。2023.8.15