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パレスチナの「日本通り」


道路標識の奥には日本の援助で作られた工業団地があった。=昨年1月、ウエストバンク 撮影:田中龍作=

 一部マスコミ報道によると日本政府は米国に追随し停止していたUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)への支援を再開する方向で検討を始めた。

 UNRWAによると日本政府は年間3千万ドルを拠出している(2022年)。世界第6位。

 米国主導の拠出停止は1月、ICJ(国際司法裁判所)がイスラエルに対してジェノサイドを防止せよとの命令を出した途端の出来事だった。

 外国のジャーナリストが入域できた前回の戦争(2014年)で痛感したのは、ガザ住民は海外の支援で食いつないでいる、ということだった。

 飢餓に喘ぐガザへの支援を一刻も早く再開してほしい。


日本から贈られた日本製の消防車。=2014年、ガザ 撮影:田中龍作=

 パレスチナ現地を取材していて思うのは、米国への追随さえなければ、日本政府は現地住民に感謝される人道援助を続けてきた、ということだ。

 西岸の日本通り(写真・上段)にあるのは日本の援助で作られた工業団地だ。田中は紙パルプ工場を取材したが、しっかり雇用を生んでいた。

 ガザではJAPANの文字が入った小麦粉袋がUNRWAの倉庫にあった。

 UNRWAの事業ではないが、日本から贈られた消防車もあった。

 「ブッシュ政権(2001~2009年)が(ハマスを)テロ組織指定したら、日本政府(小泉政権)が追随したため後続がなくなった。救急活動に支障が出ている。日本に帰ったら再開するように言ってくれよ」。田中が日本人ジャーナリストと分かると、パレスチナ人男性は、少し口を尖らせながら言った。

 米国追従さえなければ、日本からパレスチナへの援助は滞ることなく、現地住民の困窮は緩和されるのである。

 ~終わり~

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