ぼくの右手を知りませんか
ヒロトの歌声がぼくの右手の存在を実感させる。
朝、手首が痛すぎて目が覚めた。2時間くらいマッサージしたら少しましになった。
だいぶ前から整体や整形外科に行ってはいるがなかなか続かない。治すにはしばらく絵を描かないことですと言われたけど、そういうわけにもいかない。それに絵を描いているときはそんなに痛くない。翌朝が一番痛い。だからずっと描いていたら痛くないんじゃないかとも思ってずっと描いてたら、描くのをやめたときの痛みが何倍にもなった。ただのあほうだ。
遡ること20数年前、この痛みの初めの原因ができた。たぶん。
友達とサッカーをしていた時のこと、まぐれでオーバーヘッドキックを決めて、うおー! と雄叫びをあげることもせず照れ笑いをしていた。落ちる体をささえるために右手を思わずついていたことは、痛みが教えてくれた。
その時は病院にも行かなかったけど、それからときどき痛くなる。たった一回のまぐれシュートのために代償は大きすぎた。
過去に戻れてあの時の自分にオーバーヘッドなんてあほうなことはやめるんだと言いたい、ということはない。
言ってもやめないようなやつだということは自分が一番よく知っているし、今の痛い右手も別に嫌いではない。M男ということではない。どちらかというとSだ。ってなんの話や。
長年一緒にやってきたし、この右手のおかげで今の自分がいるような気がする。だいたい運命というのはそう簡単に変わらないし、もっとあほうなことをやって右手を無くして僕の右手を知りませんかと彷徨ってるかもしれない。いまにもこぼれおちそうな涙の理由もいえずに。
そういえばその10年後に車にはねられたときも、右手をついた。自転車は全壊したのに右手以外ほぼ無傷だった。右手が守ってくれたと言っても過言ではない。右手も打撲だけだったし命と比べたらたいした代償ではない。
ある意味あのオーバーヘッドはこの時の予行練習だったのかもしれない。くるっと回って手をついて、命を守る練習だったんだ。
なんてこった。
もしかしたら今のこの痛みもどこかにつながっているのかもしれない。
右手が痛いなら見たこともないような握り方で絵筆を持てばいい。聞いたこともないような描き方をすればいい。
ぼくの右手は知っている。
たとえぼくが知らなくても。
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