夢を生きるということ

夢は、一字一句逃さぬよう覚えて帰らなければいけないものではなく、覚えているもの、持ち帰ったものがすべてでパーフェクトです。一字一句漏らさず、最初から最後まで見なければわからない、そんなことはありません。ストーリー性のあるいくつものシーンを持ち帰ったとしても、そのすべてが一つのことを物語っていることもあります。一瞬の印象にすべてがあります。

いつかの夢では、いくつかのシーンを見て、それが過去世的なもので、身に着けている癖こだわりだなー、とわかっていましたが、最終的には、図形を使った抽象的で象徴的印象の中、「二つの過去世が整理されたんだ。」とわかったので、前半のストーリー性のあるシーンは持ち帰らないことにしました。それで完了だと思ったからです。遮蔽したわけでも隠蔽したわけでもないので、その過去世的なものの具体的記憶や印象というのは、確かに所有していることがわかりますが、その具体性にこだわりもなければ、縛られることもないと自覚できます。

夢というのは、それでいいんです。毎度毎度、明確な気づきがあり、それに対峙していかなければ変わらないわけではなく、「そうなのかー」で進展していきます。そこに「なんなんだこれは、じゃあどうしたらいいんだ」と反応する自分もまた、癖とこだわりかもしれません。

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