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「20代のうちにやっておきたいこと」を30歳以降にやること

30歳を過ぎてから、いやもうすぐ30歳だ、というころからちょっと嫌いになった言葉があった。嫌いというか、あんまり目にしたくない言葉。胸がぎゅっとなり、少し気分が落ちる言葉。

それは個人的な悪口でもなく、前時代的な差別用語でもない。「20代のうちに」だ。

たとえば、なんとなくインタビュー記事を読んでいて、「20代のうちに◯◯しておこうと考えて」という文面を目にしたとき。その◯◯が多少自分もしたかったこと、すべきだったかなあとぼんやり感じていること、「なるほどたしかに」と思うことだと、「うーん」と落ち込んだりした。ぱっと思いつくところだと、世界中を旅することとか、投資とか、古典を読みあさるとか。やり損なった感、二度と取り戻せないことへの焦燥感、純粋に可能性をたくさん持っている子たちへのうらやましさ・・・・。

でもあるとき、ふと思った。

あ、これ被害妄想だ。思い込みだ。視野狭窄だ。

たしかに「〜〜のうちに○○しておこう」という「区切りとToDo」の情報は、「区切り前」にいる自分にハッパをかけてくれる。思い切ったことをさせてくれる。踏み切り板として役に立つし、うじうじ悩む自分への言い訳にもなる。だから「〜〜の前」にいるひとには、とっても有用だ。「よし、いまやってみよう!」といい指針になる。

でも、「区切り後」のひとがそのToDoを取り入れたらNGなのか? もちろん、そんなことはない。何歳であっても「やってみよう」と思ったときが、そのひとの人生のタイミング。「ときが来た」ということなのだ。それが数字上、中途半端な時期であっても。

31歳でも43歳でも55歳でも世界一周に出ていいし、投資をはじめてもいいし、古典を読みあさっていい。「なんでいま?」と思われても、「いまやりたいと思ったから」「いま知ったから」と答えればいいだけの話だ。

もちろんわたしたちは脳も身体も衰えていくから、「Age is just a number」と言い切れない部分もある。それは仕方がない。
でも、せっかくここまで平均寿命も延びたことだし、あんまり細かい数字は気にしすぎないようにしようと思うのだ。「もう遅い」とあきらめてぼーっとするほうがもったいないからさ。


そういえば。20代をメインターゲットとしてつくった『働く君に伝えたいお金の教養』(出口治明著/ポプラ社)の読者さん、意外とそれ以上の人が多いけれど、それでもみなさん「いま読んでよかった!」と言ってくださるもんなあ。

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