「自責」も「他責」も超えたところで

最近参加した仕事の現場で、ちょっとした「責任のたらい回し」みたいなものを見てしまった。
「この人に伝えたんだけど」
「え、まだ○○してなかったんですか?」
「わかってないんだよねえ、あの人は」
そんな言葉が飛び交っていて、つまりだれも「自分が責任を取る」というスタンスを取っていなくて、仕事自体はたのしかったけれど気持ちが消耗してしまった。

「他責」。自責と対で使われることの多い言葉で、「自分以外のだれかが悪い」という、押しつけの気持ち。
これを振りかざすのは、とてもラクだ。あいつが悪い、親が悪い、会社が悪い、時代が悪い。徹頭徹尾被害者でいられるし、自分の落ち度も「仕方ない」と肩をすくめられる。だからマイナスの状況をポジティブに転嫁しづらいというか、がんばりに結びつかないことが多々ある。

「他責は幼く、未熟な態度だ。ものごとの原因を自分自身に求める『自責』こそ、『いい大人』の持つべきスタンスだ」

これはある側面、とくに仕事では一般的な考え方だと思う。

でもわたしは、自責があるべき態度なのかというと、それも違うと思っている。

理由は3つあって、まず、自責タイプは「がんばりすぎ屋さん」になりやすい。ブレーキを踏み慣れていなから「ちょっと休もうかな」が苦手で、疲れやストレスを蓄積しやすい。それが危なっかしく見える。

もうひとつが、マッチョイズムに陥りがちなこと。自責の念を次につなげ、「マイナスな状態から努力することで結果を出した」と自負が強ければ強いほど、「自己責任」に寄っていってしまう。「おれにはできた、お前もやれよ」とひとにもそれを求め、「なぜできない」と責めるようになる。

最後が、なんでもかんでも「自分にも原因があるよね・・・・」と反省していては疲れちゃう、というシンプルな理由。ちょっと思考停止に片足を突っ込んでいるとも思うし。

——結局、どちらも行きすぎると苦しくなるし、毒になってしまうんだと思う。だから最近、もう「責任」とか考えすぎずに淡々とやるべきことをやる自分でいたいなあと思っていて。どっちでもいいじゃん、いいものができれば。どっちのせいでもなくなるじゃん、いい仕事ができれば。なにが問題で、どうすればいいのか、それだけをシンプルに考えようよ、と。

もちろんまだまだまったくの未熟者で、つい「あーーーもう!」と「他責」の気持ちが芽生え、瞬時に「いやいや自分も悪いに違いない・・・・」と自責の念にすり替える、みたいなことをしちゃうのだけど。

淡々と、飄々と。「責めない自分」になれたら、そんなひとが増えたら、なかなかいいのでは、と思っている。

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