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ジコリカラボ 参加する前に読んでね

自己理解と自己覚知について



他人のことは、わからない
自分のことは、もっとわからない
突き詰めると、最も身近な他人は、自分自身だったりする
自己理解は、いつでもできそう
でも、いつもやれていない
自分をわかろう
できれば仲間とわかち合う姿勢をとろう
新しい自分を発見できると、新しいセカイが見えてくる



対人援助職(ソーシャルワーカー)は自己理解や自己覚知が大切である、と言われています。

自己理解と自己覚知の関係



おそらく、対人援助職をしている人であれば自己理解や自己覚知が大切であることは、よくわかっているはずです。多くの場合、自己理解が他者理解や社会の理解につながるからです。

しかし、対人援助の業務をしていると、その大切な自己理解や自己覚知の時間を作り出すこと自体が難しいはずです。

なぜならば、対人援助の業務の特性上「仕事の矢印は自分ではなく、他者に向いている」からです。なので、まず自己理解よりも他者理解が先行されます。

加えて、日々の業務が忙しすぎることも自己理解や自己覚知が進まない要因でしょう。
悲しいことに優秀な対人援助職の方であればあるほど、その人に仕事が集中します。そうなると自己理解や自己覚知に割ける時間は必然的に短くなります。

さらに、自己理解・自己覚知は闇のように深く、煙のように掴めないものです。自己理解・自己覚知を進めたからといって、すぐに何か効果が出るとは限りません。

そんな中、私は「自己を理解しようとする姿勢が大事である」と考えています。

なぜならば、その姿勢をとることで、自己という「闇」や「煙」を語る言語はあふれ出てくるからです。結果的にスローペースになりますが、自分に対する解像度が上がっていきます。

自己理解は一言で正確に語るよりも、いろいろな文脈や視点で数多く語れることのほうが重要です。自己について、多くを語れることは、社会関係や社会について語れることとイコールにもなります。

簡単にわかりやすく手に入らない自己理解は、難儀なものです。自問自答も数多くするでしょう。

しかし、その自問自答に手がかりがあれば、難儀であっても、悩むことはないと思います。

ジコリカラボは、自己理解や自己覚知について、一定の形式をもって、そこにトライするつもりです。学ぶ内容(コンテンツ)によって自己理解を進めるのではなく、参加者のグループ リフレクション*の形式によって、それを促進します。

【リフレクション】
内省、振り返り、見つめ直し

結果的に自問自答の数が対人援助の仕事に大きく影響を及ぼし、支援の質に関わってくると仮定しています。


自己理解や自己覚知をし合う関係性



私は、障害者雇用や就労支援関連の仕事をしています。以前、障がいのある方の就労マッチングの文脈において何が大切なのか、という話し合いに参加しました。

その会では、たまたまかもしれませんが、企業の人事の方も現場の担当者も、支援者も「まずは障がいのある方自身の自己理解が大切だ」となりました。

確かにそうだと思いました。面接や日々の業務の中で、本人から特性・配慮、相談事など発信することは大切なことです。

同時に、私を含め、その話し合いの場にいた各人の自己理解の解像度が気になりました。

「自己理解の矢印は、他者だけに求めるものではなくて、自分にも向いているのだろうか」

そんなことを思うようになりました。

自己理解を努めていない支援者に「働く上で自己理解が大事」と言われても、障がいのある方は素直にその言葉を受け入れられないと思います。


別の文脈でも、対人援助職の方が「できない」あるいは「しようとしていない」ことを、困りごとを抱えた人だけに求めてしまうケースが存在します。

例えば、困りごとを抱えている方の強みに光を当てる、と言いながら、対人援助職の方自身の強みに光を当てきれていないことや、

困りごとを抱えている方に健康管理・体調管理を促しながら、自分の健康管理・体調管理は二の次になっているようなことです。

時として、このような矛盾が信頼関係の構築の障壁になります。信頼関係(ラポール)を築いていないと、支援アプローチが効果的に発揮されないことは、皆さんもよく理解していると思います。

支援をする側は、支援を受ける側をよく観察しています。同様に、あるいはそれ以上に支援を受ける側も支援をする側をよく観察しています。


支援者自身も他人ができていないことを自分に要求されることに違和感を感じるはずです。

自転車に乗れない方から、自転車の乗り方を教わるのは不安になりますよね。それと近しいものです。

でも、自己理解が進んでいなくても、仕事なので援助や支援をしなければならない状況があるのもよくわかります。

そんな時は、対人援助職の方と困りごとを抱えた方が一緒に「自己理解」を進めればいいのです。何かを具体的に進めるというよりは、関わりを通して、学んだことや気づいたことを伝え合っていくことが重要であると感じています。対人援助職の方が「与える」、困りごとを抱えた方が「受け取る」だけの関係性に固執する必要はありません。現場では、状況に応じて、フラットな関係性も求められています。

あるいは事業所の仲間とチームで自己理解や自己覚知を促進していくことも大切です。むしろ、チーム支援という文脈では、こちらの方が重要度が高いかもしれませんね。

ワク活とワク選、知性について


人と関わる仕事の中で言われているエンパワメントについても同じことです。

【エンパワメント】
社会的に不利な状況に置かれた人々の自己実現を目指しており、その人の有するハンディキャップやマイナス面に着目して援助をするのではなく、長所、力、強さに着目して援助することです。このような援助方法により、サービス利用者が自分の能力や長所に気づき、自分に自信がもてるようになり、ニーズを満たすために主体的に取り組めるようになることを目指します。エンパワメントの理念においては、援助者はサービス利用者と同等の立場に立つパートナーということになります。

厚生労働省 身体障害者ケアガイドライン https://www.mhlw.go.jp/topics/2002/04/tp0419-3c.html

自分で自分をエンパワメントできていなくても、仕事で相手をエンパワメントすることはあると思います。

でも、自分のことをエンパワメントできている状態、あるいはしようとしている状態で相手に対して、エンパワメントのアプローチをかけたくないでしょうか。

あるいは、困りごとを抱えている人と一緒にエンパワメントができれば感動的な体験になると思います。

自分で自分をエンパワメントすることの中で大切なのは、(身体的に判断して)「ワクワクする選択(以下、ワク選)をする」ことと「ワクワクする活動(以下、ワク活)をする」こと、「そして、その環境を整えていく」ことだと感じています。

固定的ではなく、よく変動をする「ワク選」と「ワク活」は、自己理解を努めていないと、なかなか発見ができません。

加えて、自己理解には知性が求められます。先ほども言及したように正解や答えがないからです。田坂広志氏は、知能と知性を以下のように表現しました。

「知性」は、「知能」や「知識」とは“似て非なる”言葉だ。 「知能」とは、答えの“ある”問いに対して時間をかけずに正しいとされる答えを導き出す能力を指す。 それに対して「知性」とは、答えの“ない”問いの答えを探し続ける能力である。

知性を磨く― 「スーパージェネラリスト」の時代 (光文社新書)田坂 広志

終わりのない自己理解は、答えの“ない”問いの答えを探し続ける能力や自問自答する力が求められます。

対人援助の仕事は知能や知識も大切ですが、より、知性が必要とされています。知能や知識だけで人の困りごとが解決できるのであれば、困り事を抱える方の相談相手はAIが担った方がいいでしょう。

「答えの“ない”問いの答えを探し続ける能力」は自己理解にも支援の文脈にも必要不可欠であると感じています。

そして、「答えの“ない”問いの答えを探し続ける」ことに関して、1人の時間を大切にしながら孤独に行うのもいいのですが、たまにはみんなでモヤモヤしながら、次から次へと出てくる問いを分かち合いつつ、行うのもいいのではないでしょうか。

ジコリカラボは自己理解・自己覚知をその日、集まったメンバーで実施し、対人援助職同士の知性の磨き合いができる場を育てていきます。

そして、その磨かれた知性は結果的に対人援助力になり、個々の支援の質や人生の豊かさに繋がっていくことを信じています。

最後に

ラボのコンセプトは、とてつもなく真面目な話ですが、開催時は真面目な方法は取らないので、軽く飲みにくる感覚でご来店ください。

「みんなで真面目な内容を遊び心を持って行いましょう!」



ジコリカラボの概要はこちら↓

ジコリカラボのHP
https://tanaka123456.my.canva.site/labo-jikorika



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