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ラディカル・アクセプタンス(ネガティブ感情から抜け出す「受け入れる技術」で人生が変わる(72)

こちらの本を、読書会で読んでおります。
Clubhouseで17時30分から15分間。

第11章 ともに目覚める:
対人関係の中でのラディカル・アクセプタンスの練習】
【意識的な人間関係:精神鍛錬の中核】

博士が何年も辿ってきた精神鍛錬の道を振り返ってみると、自分の心と精神は出産や子育て、失恋の痛み、誰かを助けたり誰かに助けられたり、人と親密な関係を築くことへの恐怖を感じていたり、他人を批判する心と悪銭苦闘していたとき、より愛そうと努めたときなど、濃い人間関係のなかで深い目覚めを経験してきたのがわかります。最もひどい過剰反応も、大切な繋がりの経験も、親しい人間関係の中で生じるのです。

博士は、初めて参加した6週間のヴィパッサナーリトリートから、幸せでリラックスし、バランスのとれた気持ちで帰宅します。息子ナラヤンの世話は、彼の父親であるアレックスが見てくれて、博士は2人に会えるのを心待ちにしながら…。久々に家族と共におだやかな時間を過ごした翌朝、投函されておくべき封書が博士のデスクの上でみつかります。

電話越しではあるものの、博士の怒りは、日頃の恨みも相まって鋭くアレックスにぶつけられます。彼の声は失望のトーンに沈み、電話を切った博士は後悔の念にかられます。
博士の後悔の念と悲しみは、いかに人間関係が精神修業の中心に位置しているかを思い起こさせてくれるものとなったのです。

ブッダは彼の教えに従う僧尼のコミュニティであるサンガは精神修業の道における大切な基礎の一つであるとみなしました。忠実な付き人でブッダの従兄弟のアーナンダとの関係はときを超えて生き続けるスピリチュアルな愛と友情のよい例であり…ブッダは「アーナンダ、そうではない」と問い、「この善良な友との信仰は、聖なる人生のすべてだ」と。
これは、個人での練習の価値を否定したわけではなく、お互いを支え合うことがいかに心と魂を目覚めさせる上で重要かを強調したものです。

真実を正しい言葉遣いで話すことを八正道(苦しみから解放され、安らかな人生を歩むために必要な8つの実践)の中の大切な基礎の一つとしました。

ティク・ナット・ハンの「Touching Peace」の本の中で、他人を傷つけた際の対処方法が紹介されています。「人を傷つけたことへの責任を取る、彼の苦しみを理解するためにその人の話をじっくりと聴く、心の底から謝り、彼とあらゆる生き物に対して思いやりの気持ちで接する決意を新たにする」。

博士は、アレックスとのやり取りの後、電話で彼に自宅のランチにきてほしいと頼み、彼に謝罪と感謝を伝え、彼は自分がもっと約束を守るべきことに、博士は自身の過剰反応を認め、怒りを感じたときに間をとることを決意します。
こうして2人の関係が向上したのは、お互いを受け入れる気持ちがあったからだということは明らかです。

グレゴリー・クラマーは(ともにする瞑想、沈黙から始まる会話)でこう言います。「座る瞑想もあるし、歩く瞑想もある。だったら聞く瞑想と話す瞑想があってもよいでしょう? 対人関係の中でマインドフルネスを実践してその関係を向上させるのは実用的だと思いませんか?

練習として人と会話しているときも、日常のやりとりの場であっても、その対人関係により深い理解と優しさをもたらします。間をとり、注意を深める練習を行うことは、自分たちの言動が無意識な欲求や恐れに突き動かされることなく、反応の選択肢を広げます。
お互いの言葉に深く耳を傾け、マインドフルに喋り、真実を正しい言葉遣いで話すことを習ってゆくのです。

ティク・ナット・ハンは「西洋ではブッダがサンガである」と言います。西洋文化の中では、直接的に自分の仏性を知るパワフルな方法は対人関係にあると言います。意識的な対人関係を通しての目覚めに専念することで、自分は孤立した存在という思い込みの条件付けを直接的に緩めることができるのです。


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