論文メモ 伊予八百八狸信仰における宗教文化的背景

斎藤喬による論文。

問題設定

伊予の「八百八狸」と阿波の「狸合戦」に登場する狸たちは、物語において憑依によって顕現し地域の神社で祀られ、今日まで信仰の対象になっている。興味深いのは、明治期に出版された講談の速記本が今日の信仰の拠り所となっている点である。
折口信夫が「信太妻の話」で竹田出雲の『芦屋道満大内鑑』を例に取って指摘するように、口承文芸や民間伝承の戯曲化が定本を生み出し、それが流布することによって創作自体が「伝説化」することがある。特に瀬戸内海沿岸部を念頭に置きながら狸憑きについて考察することで、創作が現地に還流し新たな信仰の根拠となる過程についてケース・スタディとしたい。

要約

  • 南龍『八百八狸』は、史実ではない松山藩の御家騒動を舞台に、享保の大飢饉と久万山一揆の挿話を背景に取り入れながら、「隠神刑部」という妖狸が佞臣とともに暗躍する筋書きとなっている。

  • 講談の結びは、三つの由来縁起となっている。

    • 一つ目は、隠神刑部と眷属たちの骨を埋めた久万山狸塚の建立

    • 二つ目は、隠神刑部の棲み処となっていた菩提山菩提寺の金剛山善通寺悟聖上人による再建

    • 三つ目は、松山城三の丸丑寅の方角に山口与左衛門を祀る山口稲荷の建立

  • また、現在の松山市久谷町にある山口霊神では、創作である講談「八百八狸」に登場する隠神刑部が祀られている。

  • 相原熊太郎が昭和二十六年に『伊予史談』に寄稿した回顧録によれば、当時久谷には、狸ではない「犬神」を封じ込めた場所(寒竹が植えてあった)があったらしい。これは山口霊神の神体とは別らしい。また、山口霊神の神体を祀るのは相原家の本家の義務であったが、相原家は神体を「山口様」とし「隠神刑部」とは見なしていなかったようである。

  • 当時の文脈では、「犬神」は鼠のようなもので、爪と肉の間から体内に入ると信じられていた。相原の言う「犬神」は家筋としての「犬神憑き」である。

  • 山口霊神の神体とは別に「犬神」を封じた寒竹があったことから、相原家が代々祀ってきた「山口霊神」は犬神ではなく、また狸でもないと推測される。しかし、犬神憑き・狸憑きによるトラブルが社会問題化している中で、創作としての「八百八狸」は伊予の憑依現象を前提にした宗教的心性の琴線に触れていることは間違いない。

感想

創作は信仰や民俗にも影響を与え得る。少なくともそうした現象の一端を示唆する論考として興味深い。

創作は時に民俗学含め諸学問の成果をも緩用するが、そのように間接的に、あるいは創作を経ずとも直接的に、学問自体も民俗文化に影響を与えているかもしれない。経世済民の学として世に働きかけることを志向する民俗学やその他の学問において、このような学問が与える影響を考えることは意味を持つのではないか。

また、ほとんど例外なく、伝承とは元を辿れば誰かの創作であるといえるだろう。とすれば創作→定着→伝承化という構図は、伝承そのものを記述する図式にもなり得るのではないか。

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