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ばっけ味噌・・野草考1

  「ばっけ味噌」を久しぶりに作りました。2年ぶりです。
「ばっけ」は東北の言葉で「フキノトウ」。
「ばっけ」・・・ はじける音が元気で、可愛くて、ユーモラス!
ばっけ味噌とはフキ味噌のことです。

  岩手出身の祖母は春になると庭に芽を出したフキノトウでフキ味噌を作ってくれました。小学生なのに私はフキ味噌が好きで、ご飯に少し付けて食べていました。祖母はそんな私を「変わった子だねえ~」と言いつつ嬉しそうに微笑んでいました。だから私はフキ味噌を大人のように食べられることがちょっぴり自慢でした。子供だった私が苦みを美味しく感じたのは、岩手県人クォーターだからでしょうか?

  今思うと庭にはフキノトウは数個しか出てこなかったと思います。私は、少ししかないフキ味噌を遠慮もせずにご飯と一緒にパクパク食べていたのでしょう。祖母の春の楽しみを減らしちゃいましたね。

  「ばっけ」という言葉は祖母から聞いたのではなく、以前つりお君と私がやっていた店にバイトに来てくれていた岩手出身学生からでした。祖母は祖父の故郷である暖かい九州に憧れてやって来たものの、東北なまりを笑われずいぶん嫌な目にあったようです。かといって九州の言葉に染まりたくなかった勝気な祖母は、「標準語」を話すように意識していたと母から聞いたことがあります。

胃がんが遠ざけた野草たち

  胃がんと診断される二か月くらい前から、私は野草の香りやアクがとても苦手になりました。いつもは体が求めているフキノトウの香りさえダメになりました。ヨモギもノビルも春のはじめの活き活きした顔を見せてくれているのに、体が拒否し始めたのです。

  当時私は自宅で野草と食養の料理教室をしていました。2月中頃までは料理の試作の味見もできたけれど、急に胃が重くなりついに食事がほとんど食べられなくなりました。強烈なアラートが体から出ていたんですね。

  検査→診断→決心→入院手術。あっという間に春は過ぎ、汗ばむ季節に私は退院しました。 それから二年、その間イレウスの手術もありました。はあ~(深いため息)。内臓が過酷な試練を経て全力で働いていることを感じない日はありません。

グレーは自由

  「体に良い」食養を35年もやってきたのに何故ガンになったの?
母の在宅介護のストレスで免疫力を落としたせいなの?自分の身体の事には鈍感なのに人様に「これが体に良い食事よ」という仕事までしていたなんてオコガマしくって恥ずかしいわ。でも、この経験がなければ解らずにいたことはたくさんあるよね。などなど、悶々とする日々もありました。いえ未だ悶々とし続ける毎日かも?

  「苦しかったけれど経験に学び、今は良い方向へ行っている」と言えなくもないでしょう。「でも、待てよ」と私は思う。物事を白か黒か決めて、今を全面肯定したり否定したりしなくていいんじゃない?よくわからないグレーな気持でいいんじゃない?だってその方が自由でしょ。

  野草に顔を背けていた私。「野草は私の身体には合わないのだなあ~、もう一生食べることはないんだろうなあ~」と思っていました。でもお店でフキノトウを見た時、自然に「食べたい!」と反応していたのです。私はばっけ味噌を作り「ああ~美味しい」と食べ。ひと箸のばっけ味噌をのせた炊き立てのご飯を堪能したのでした。

**今朝の朝日浴味噌汁**
新じゃが
キャベツ
小ねぎとわかめ
カツオと昆布の出汁
友達の米味噌と八丁味噌のブレンド






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