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ゴジラの映画かと思った

 28年の月日が流れてしまいました。
 月曜日の朝まで東京へ帰るという友人を送る飲み会は続き、帰って寝たのが午前中でした。無職、プータローの身だったので夕方まで爆眠。そして機上の人となったはずの友人からの電話で目を覚ますことに。
「飛行機が途中で降りちゃった」
どうやら目的地・成田まで飛ばず途中?のサンフランシスコに降りたらしい。
「何がどうなってるかわからないんだけど、電話も通じないし」
寝ぼけたまま、とにかく僕はテレビを点けた。
「なにかニュースやってる?」と聞かれ、僕は見たままのテレビ画面を報告した。
「なんかゴジラの映画やってるよ、こんな時間なのに。」
「は?」
「だって町が燃えて、高速道路が倒れちゃってるし」
だんだんと目が覚めてきて頭がクリアになりかけた頃、テレビの右上に「NHK」の透かし文字があることに気づいて音量を上げてみたら
「Earthquake」というアナウンサーの声が聞こえてきました。

 14時間の時差がある地で、きっと東京で生活している友人たちよりも早いタイミングで知った地震のニュースと映像でした。

 現実味の無い映像に、想像だにしていなかった光景を見て「ゴジラの映画」なんて間抜けなことを…。
でも、それは現実で、それから数十分としないうちに画面には募金のサイドテロップが現れ、各局のBreaking Newsと日本語チャンネルの特番が始まっるのです。

 結局、そんな思いもよらなかった光景の数々をその後、数年に一度の頻度で何度もテレビで目撃することになるんだけど、1995年1月16日の夕方の映像のショックは今でもリアルに思い出してしまう。
 その出来事から1ヶ月もしないうちに、僕も機上の人となり一時帰国。ひょんなことから東京で仕事を得て紆余曲折ありながらも今に至ってることを思うと、僕の人生でトップに並ぶショックな映像なのだと。

 時が経って記憶は薄れていくものだけど、あの日に起こったこと(その他のショッキングなこともそうだけど)は、せめて思い出すようにしよう、と。あの日に人生が変わり、無念にも終わってしまった人々を悼むためにも。

それにしても「ゴジラの映画」って…

※写真はいつかのあの町

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