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金子みすゞの生れ故郷 取材レポート②橙トリビア編

金子みすゞの詩には”橙”がよく登場します。

書林屋だった家の隣の空家の所にあった馬つなぎ場にも、橙があったようです。

みすゞの頃の町を故・竹内三郎氏が画いた”家並み図”には、夏蜜柑畑が広がっています。

仙崎の北にある青海島の大日比には、枯れてますがナツミカンの原樹があります。

江戸時代中頃に、浜に流れ着いた果実を、島の娘・西本チョウが拾ってまいた種が芽生えたというのが通説とのこと。

萩にも広まったが最初は自家用で、産業として興るのは明治になってからと、萩市のサイトにあります。

廃藩置県で武士たちは藩からの禄を失い、生活のための栽培が始まりました。

みすゞの詩のタイトルは”橙”ダイダイです。

橙って、収穫しないでおくと、その実が残っている木に、次の年の実がなるので”夏代々”とも言うそうで…

”代々”は”ヨヨ”とも読めますよね。

近畿地方では中風のことを”ヨイヨイ”というので縁起が悪いからと、大阪方面へ出荷の際、大阪の仲買人に”夏蜜柑”と呼ぶよう勧められたのですって。

ちょうど実のなっている時で、ガイドをお願いした生き字引の坂本さんがお土産に下さいました。

勿体ないからとっておこうかと迷いましたが、新鮮なうちにいただきました。

ジューシーで、とっても美味しかったです。

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