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新共同訳の欺瞞

どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。(1テサロニケ 5:23、新共同訳)

どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。(1テサロニケ 5:23、口語訳)

以下kjv
And the very God of peace sanctify you wholly; and I pray God your whole spirit and soul and body be preserved blameless unto the coming of our Lord Jesus Christ

新共同訳は義認(ものとする)であり 口語訳はキリストの義であり完全を意味しています 二つの訳は完成形が違うのです


すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。 (1テサロニケ 5:21、新共同訳)

すべてのものを識別して、良いものを守り(なさい)。 (1テサロニケ 5:21、口語訳)

良いものを大事にしなさい。 良いものを守り(なさいは行動をも含みますが大事にしなさいではあいまいな表現です

このようにして騙されるわけです 信じてさえいればよいと言う偽教理の擁護に利用されています


すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われた。(黙示録 21:5、新共同訳)

すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。また言われた、「書きしるせ。これらの言葉は、信ずべきであり、まことである」。(黙示録 21:5、口語訳)

信仰と信頼を同じ様に扱われていますこれも全く意味が違います このような聖書を使用することがどれだけ危険かよく理解すべきです
加筆予定

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