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「不登校になって、いつかバチがあたると思ってた」雲の向こうはいつも青空vol.9感想

びーんずねっとさんが発行している『不登校事例集 雲の向こうはいつも青空』の、新刊vol.9が届いた。

この事例集は、不登校当事者、子どもが不登校になったお母さん、お父さん、不登校支援者など、不登校にまつわる経験をしてきた方を取材し、まとめたものです。

いまや不登校の情報は、インターネットや本でたくさん世に出ていて、私は、逆に多すぎて「本質的に知りたいものへたどり着けないくないか?」と思ったり、思わなかったり。
私の考え過ぎかな。

なにが言いたいかというと、情報は、探せばある。しかし、情報を得てもぬぐえない不安があるのも事実。

それは、将来への漠然とした不安じゃないだろうか。

情報や知識を得て、生活に取り入れて、失敗して、ちょっと良くなって、、、と少しずつ前へ進んでいたとしても、「本当にこれでいいんだろうか」と自答してしまいたくなる。それくらい、世の中で「学校へ行かなかった人の人生」は、見えてこない。

不登校人口はすこぶる増えていて、社会に出ている元不登校たちはごまんといる。
その人たちが、社会に溶け込んでいるからみえてこないだけなのか、社会から孤立してみえないのか。不登校の渦中にいると、どうしても後者の捉え方に引っ張られてしまう。

そんなときに、不登校を経験した人の等身大の「いま」を、知ることができると、安心というか、希望につながるんじゃないかなと思ってます。
できるだけキラキラした部分だけじゃなく、試行錯誤していることや、振り返ってよかったと、いまなら思えることとか、そのまんま。
これを「事例集」というかたちでつくり続けて出さる金子さん夫婦には頭が上がりません!

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https://beans-n.com/behind-the-clouds/


誰とも共有できなかった思い

事例集をみていて一番に思うことは、感動よりも共感でした。

これは、がん患者同士とか、シングルマザー同士とかにも言えると思うんだけど、性格も違うし、ケースも違う。なにも同じところなんてないはずなのに、「学校へ行けなかった」という共通の問題。この一点があるだけで、他人事とは思えないし、ふかーいところで分かり合える気がする。

とくに共感した、木野村聡さんのお話をします。

不登校はちゃんと学校に行けてないんだから不幸であたり前、って勝手に思い込んじゃってたんです。生きてることがもうだめだって思ってました。

事例集より

この一文みて「きのっちと5時間喋りたい」って思った!ほんまに。
「不幸であたり前」っていう表現が、まじ共感ポイントで、自己肯定感が低いとか、そういうニュアンスではなくって(私はね)。不幸でいることが「あたり前」なんです。
「みんな我慢してでも学校へ行ってて、それを私は我慢できない。ズルしてる。だからいつかバチがあたる」っていう思いが、悩みとか不安とかじゃなくて、あたり前のように感じてた。そういうもんだと思ってた。

私は子どもの頃から、叱られることがものすごく苦手な性格。
怒っているその人の感情に支配され、自分の気持ちがしゅるしゅる~って消えてしまう。その場の勢いで言った言葉であってもすべてに真に受けて、「ああ迷惑をかけたんだ、私は悪い人間なんだ」って本気で思ってしまう。
そんな性格なのに、新卒であえて「怒られてナンボ」の世界に入っちゃった、選択ミス。

でも、不登校をしていたときのように逃げなかったのは、「いつかバチがあたる」と思っていたバチを、いま受けてるんだと思っていた。
犯罪を犯した懲役みたいな、罰は、受けないといけない。
なので順調に精神を病んでいき、病み切って倒れこむように会社を辞めた。
いましっかり生きてるんだから、これも必要な経験だったんだろう。

私の「共感」とはこういうこと。
だからもう一度書く、きのっちと5時間喋りたい(笑)


表紙はこんな感じ

自分だけのおまじない

そのあとに書いていたことも、また激しく共感。

不登校で本当に苦しかったとき、僕は未来の自分にいつも「助けて」と言ってたんです。幸せな未来の自分に「助けて」と言ったら心がスッとしたんです。
今、僕は幸せなので過去の自分に「大丈夫だよ」って伝えてる。当時の自分に思いを届けているんです。

そうすると時空は超えてるんですけど「助けて」と言った過去と、「大丈夫だよ」って言ってくれる未来の自分がいる―

「自分を信じる」って、こういうことなんじゃないかなと思います。
だって、前へ進むのを決めるのは自分だし、進まないを決めるのも自分だから。

私も、精神が底の底まで沈んでしまったとき、鏡の前でずっと「だいじょうぶ」と口にだしていた光景を覚えていて。それは最終手段というか、言わないと生きることをあきらめてしまいそうでした。

なんかわかんないけど、だいじょうぶ。
いまでも口に出します。そんで未来の自分を想像すると、向こうも笑いながら「だいじょうぶ」って、えらい幸せそうな顔をして言ってくれるから、「ほんまにだいじょうぶなんや」って思える。

私にとって、「だいじょうぶ」はおまじないの言葉です。
だからきのっちの大丈夫バナシを読んで、「同じ言葉を大切に抱いてるひとがいた。やっぱり5時間喋れる!」とまた確信(笑)

事例集は毎号、不登校当事者以外にも、お母さん、支援者、さまざまな角度で関わっている方のお話しが入っています。
毎度素晴らしいなと思うことは、表面的に「何をどうした」みたいな話しではなく、その時々で「何を思ったか」がとても丁寧に書かれている点。

ぜひ読んでみてほしいです。

さいごに

世の中で「問題」と呼ばれることって、始めは不幸のどん底というか、「人生終わった」みたいに思っちゃいますが、どんな問題であれ、人生はそんなかんたんに終わらない。
むしろ「あそこにいったら終わるんやろうな」とみないようにしていた場所へ行ってみると、世界がぐぐっと広がる。

学校へ行ってもいいし、行かなくてもいい。
勉強してもいいし、しなくてもいい。
正解はなくて、決めるのは、自分だから。

そういう自立の世界が、問題の「その先」にあるんだよってことを、私は自分の人生で、体現していきたいなぁ。

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