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『灰のもと、色を探して。』第17話:奥の手

 暗がりが、濃くなってきていた。

 短いとも思えば、長時間を打ち合っている気もしてくる。

 多くいた魔物は、一掃できていた。あとはゾヴを残すのみだが、当然に圧倒的な強さだった。

 斃され、消えた魔物たちの跡には、大剣、斧槍、棍棒など、さまざまな武器が転がっている。それらを拾っては、ゾヴへの攻撃で壊していた。

 いかに、ミリアの持つ斧が強靭に作られているかがわかる。それでも、刃こぼれを見せはじめていた。

 自らの傷のことは、わからない。気にしていないのではなく、躰の内外に感覚がないかのようだった。戦い方だけが、無尽蔵に脳内を潤している。

 ゾヴは狂戦士と言っていた。狂っていると言われれば、そうなのかもしれない。

 水の乱撃を、紙一重で避ける。大きく動いて体力を消耗するより、かすり傷で済むならそちらの方が好都合だった。

「だいぶ、弱ってきたんじゃないですか」

「あんたこそ、ひどい顔よ」

 言いながら、拾った円形の楯を放る。ゾヴは即座に水で分厚い壁を作り、勢いを殺した。床に落ち、回転しながら静止する音が響く。

「少し、話しませんか」

 ところどころに、ゾヴは傷を負っている。その数は少なくないが、しかし致命的なものはまだなかった。こちらも、同じだった。

「ひとつだけ、聞いてもらいたいことがあります」

「なにを」

「この世界のことです。正直なところ、あなたの強さは予想を超えています。ですから、念のために」

 思わず、ギマライの方を見やってしまう。苦しくて動いたのか、うつ伏せになっていた。眼は閉じられ、意識のほどは定かではない。そして、指示も来るわけがなかった。

「あなたたち人間がこの世界を作り、そして私たちを生み出しました」

 ミリアの沈黙を肯定と受け取ったのか、ゾヴは続ける。

「世界を不完全な状態として作りあげ、自らを使徒と呼称して、あなたたちは世界を安定させていく。それがここです」

 ゾヴの周囲から、水が消える。打ちこめる、と判断はしていても、躰が続くことはなかった。耳を傾けようとしている自分がいる。

「使徒が来なくなってから、どれほどの時が流れたでしょうか。その出現を、待ち望んでいた頃もありました。しかしやがて、その思いも消えました。その代わりに僕の中に芽生えた感情は、受容です。ここはもう、緩やかに死にゆく世界なのです」

 かすかではあるが、ゾヴの表情に歪みが見えた。はじめて見せる顔だと、ミリアは思った。

「僕はその滅ぶ姿を眺めながら、自身に与えられた役割を終えたい。その世界を、再創世などというもので、掻き混ぜないでいただきたいのです。世界が元に戻り、使徒が多少増えたとしても、どうせまた狂っていくだけなのですから」

 百年後には、自分は死んでいる。両親は、そこまでの時間をかけずに死んだ。しかし、ゾヴは存在するのだろう。そうやって、時間を敵とも味方ともせず、過ごしてきている。ミリアには、その感覚は想像することもできなかった。

「わたしには、わからない」

 変に共感することも、無意味だと思った。多分、ゾヴは説得するつもりも、議論するつもりもない。単純に、心情を吐露しているだけだ。

「長い時間を生きられることは、なんだかいいと思ってしまうけどね。でも、あなたはつらくて苦しいのかもしれない。わたしには、わからない」

 この世界に来て、ヒューと出会ってから、自分の思いは変わらない。

「わたしは、引かない。ヒューに、ちゃんとした空を見せてあげたいから」

 曇っていなければ、今は夕焼けだろうか。こちらで見る空は、自分たちの世界のものとどう違って見えるのか。

 それは、ヒューと一緒に見なければ意味がない。

 ゾヴの眉があがる。なぜだか、普段の笑みに比べて、ゾヴらしいとミリアは思った。

「いえ、別に翻意を求めたわけではないですから。お気になさらず」

 話は終わった。ゾヴは待っている。次の攻守で、すべてを決めようと誘われているかのようだった。

 視界が揺れる。そう思った直後、地の揺れだと気づいた。けたたましい地鳴りが轟く。

 震源はここではない。

 巨大な槍が、天にむかって伸びていた。その円錐に、次いで、螺旋状のものが絡みつくようにできていく。尖塔であり、螺旋の階段だった。

「アッシュ」

 確信する。再創世がはじまっているのだ。

「ヒューは、駄目でしたか」

 呟くように、ゾヴは声を立てた。そこに、苛立ちや焦燥は感じ取れない。

 ヒューは、きっといつものヒューに戻っている。アッシュが、彼女を救わずに、ただ再創世だけ進めるわけがない。

 信じることに、これほど楽な相手もいない。

 持ちうる限りの力を籠めて、ミリアは上空へ跳んだ。再創世が進んだのなら、ゾヴと戦う理由は最早ない。時間は稼げたのだ。

 それでも。

「それでも、僕と戦ってくれるのですか」

 ゾヴが言った気がした。心で、ミリアは肯定を返す。

 なぜ、自分たちは戦うのか。

 相手と対決するために。戦いは、ついに純粋なものとなった。

 今の自分が使える、最高の技を。宙空を蹴り、ゾヴへむかって落ちていく。

 握る斧が、震えた気がした。きっと、斧にも呼吸があるのだ。総身をもって息を合わせる。斬れるかどうかは、大事ではない。斧の呼吸に自らを重ねる。結果は、あとからついてくればいい。

 かつて神話の時代より、斧は雷と併せて語られることが多いと聞いた。怒り狂う神々は、全幅の怪力を籠めて、ほかの神や自らにあだなす魔を滅ぼしてきた。その力強さや恐ろしさのため、叛や乱では賊徒に愛用され、また治世に至っては法の執行に効力を発揮した。数えきれない人々が、この力強い刃によって生を終え、処刑されてきたのだ。

 その畏怖の中にこそ、見えた美しさもあるのだろう。

 上空から雷が落ち、斧の刃で弾けた。

「雷姫トルルリの一瞥」

 閃光が視界を満たす。落雷を乗せた斬撃。ゾヴの水楯。押し合う。弾けた雷の塵が、大気に消えていく。まだ出し切る力はある。それは、ゾヴも同じのようだった。

 斧を握りしめた手から、血が噴き出ている。斧自体も、刃こぼれが止まらない。

 負けない。

 気を籠める。このあとに、もう技はない。選択肢もなければ力も残らない。

 ゾヴの瞳が、赤に煌めいた。

 いや、反射しているのだ。即座に、尋常ならざる気配を上空に感じる。

 岩。いや、巨大な火だった。

 アッシュの魔法だ。圧倒的な熱量を、ミリアは頭と背に感じる。受ければ、ミリアもゾヴも、無事では済まないだろう。アッシュはきっと、ミリアなら躱しつつも、ゾヴに当ててくれると思っているはずだ。

 ひとりでは、負けていたのだろう。ギマライの補助があって、なんとか渡り合えていた。アッシュと二人で相打ちなら、上等だとミリアは思った。

 おのずと、笑みが浮かんでいた。みんな、なぜ避けなかったのかと、無理を通してしまった自分を怒るのだろう。申し訳ないという気持ちはある。しかし、後悔はない。

 選んだ道だ。

 斧の柄に、ひびが入り、そして砕けた。ゾヴの赤み走った顔が動く。勝てる、と思ったのかもしれない。

 もう技はない。しかし、奥の手は技ではない。

 腰に手を回し、引き抜いたものを振りおろす。雷が移り、刀身が燦然と輝いた。

 ヒューの槍。その短刀だった。

 叫んでいた。蓄えた息を、すべて吐き出すように。

 ゾヴが動いた。いや、そうではない。ゆっくりと片脚の膝を折っていた。その眼が、驚きで大きく開かれる。

「これは」

 そして、ゾヴは視線を横に投げる。なにが起きているのか、ミリアは脳より先に知っていた。

「どこに、そんな力が」

 瞠目したまま、ゾヴは声をあげる。

「ミリアよりは、軽いな」

 遠くで、ギマライが小さく呟いた。顔をこちらにむけ、口角をあげている。両の眼と鼻から出る血で、顔は深紅に染まっていた。

 気を失っていたはずだった。いつ意識が戻り、魔法を唱えるに至ったのか。それとも最初から、そう装っていただけなのか。

 しかし、些末なことだとミリアは思った。ギマライはいつも助けてくれていた。今もそうだ。そこだけは、なにがあっても揺るがない。

 振り抜ける。短刀は水の楯を破壊し、ゾヴの肩へ深く吸いこまれた。短刀は折れ、両手が宙を握る。

 衝撃が来た。その中に柔らかさを覚える。水流が、ミリアを突き飛ばしていた。

 受け身を取り、顔をあげる。距離ができていた。ゾヴと、眼が合った。

「お見事」

 雷撃は、ゾヴへと落ち続ける。そして、視界を満たすほどの炎が、塊となってゾヴに降り注いだ。

 音と認識できないような轟音。熱いと思えないほど、熱い風。

 水は、もう見えていない。


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こちらのイラストは、スコッティ様に描いていただきました。

改めまして、この度はご協力いただきありがとうございました。

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