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『灰のもと、色を探して。』第1話:少女の行程

 もしかしたら、鉄でできているのかもしれない。

 およそ、距離にして五百歩ほど前方か。今までに、見たこともない大きさだった。はじめて遠くに見えた時は山かと思ったが、歩を進めるにつれ、建造物の群れらしいと徐々に認識できるようになった。建立から時間がだいぶ経過し、浸食を許しているのだろう。輪郭からは、どことなく弱々しい印象を受ける。ところどころ崩れかけ、斜めになっているものもあった。

 なぜ、人工だと考えたのだろうか。

 首を傾げながら、ヒューはそのまま振りむき、自らの来た道を眺めた。

 灰は、だいぶ積もっている。残してきた足跡は深く沈み、なかなか新たな灰に満たされはしなそうだ。並び立つ建造物に脆弱さを感じたのも、降りかかる灰を、そのままにしているからかもしれない。

 故郷にも、少量ではあるが灰はよく降っていた。しかし、気にするほどのものでもなく、皆一様に降られるがままだったのを、ヒューはよく覚えている。

 それに比べ、ここの降灰は強い。頭巾を被っていても、時折り眼に入りこみ、視界の端が緩やかにぼやけた。

「そろそろ、休もうかな」

 一人旅だった。言葉にする必要はない。それでも、日々声は出すようにしていた。ひとつは、だれかと会った時、まごつかないようにするため。もうひとつは、累積していく寂しさをわずかでも紛らわすためだ。

 周囲を見渡す。前に並ぶ建物の残骸らしきものを除いて、一面が灰に塗れた広大な平野となっているが、土か岩で隆起している場所もいくつかあった。

 どこかで、灰宿りができればいいのだが。

 雨と異なり、濡れはしない。別段不快というわけでもないが、それでも、体が汚れていく感覚は拭えなかった。ヒューは袖を払い、頭巾を深く直す。

 前方に、屋根が妙なかたちにできている場所を見つけた。いや、屋根というより、傘と表現したほうが的確かもしれない。風化したか、もとからか、壁はなかったため風は避けられないが、休憩にはちょうどよさそうだった。

 正直なところを言えば、休みたい気持ちは、先ほどの問いに起因していた。ヒューは、傘へむかいながら思考を整理する。

 いったい、人間がいくつ繋がれば届くのだろうか、と思えるほどの巨大な建物。それが、夥しい数で景色のなかに立っている。その建造物が人工だと、ひとによって建築されたものであると察した理由。

 なにか、呼吸のようなものを感じたのだ。気配、と言い換えてもいい。ひとの住処に生じる、独特の音。静寂なようでいて、耳を澄ますと途端に勢いを増す、複雑な騒がしさ。故郷にいた時は、知人がいる安堵の証でもあり、また見知らぬ他人がいる不安の温床でもあった。

 本来であれば、だれかとの遭遇は喜ぶべきことだった。なにしろ、旅に出て以来、動物こそ出くわしては狩り、また追われたりはすれども、ひとと会うことはなかったのだ。

 そうにもかかわらず、得体の知れない暗い靄が、胸にまとわりついている。焦燥感に似たなにかで、掌に汗がじわりと忍び寄ってくる。

 おそらく、先ほどから遠くに見えている鉄のせいなのだろう。ヒューが育った村では、鉄は主に祭事にて用いられていた。神に祈り、その恵みに感謝をする時、村人たちは希少な鉄を用意する。詳しくは知らないが、採掘がとても大変なのだと聞かされていた。青銅よりも遥かに貴重であり、また、鍛冶を行える者も少なかった。

 あの建物群は、その鉄でできているように思える。

 そんなこと、できるはずがない。少なくとも、ヒューの村ではありえないことだった。

 ようやく傘のもとに辿りつき、ほどよい岩を探して腰をかける。そこまで寒くはないはずだが、手は小さく震え、止まりそうになかった。勢いよく頭巾とたくしあげ、ふるふると頭を振った。だいぶ髪も伸びたと、手櫛で雑にとかしながら思う。

「火を点けよう」

 旅路の途中で、いくつか村落の残骸は目にしてきた。しかし、どこの住居も、故郷と同様に土木で作られており、自らの常識を出なかった。そして、その既知に近い光景に、ヒューは安心していたのだ。快晴の後や驟雨の前、土や木は変わらないようでいて、実にたくさんの表情を見せる。土を掘り、手にした泥でままごとをする。木に登り、高所から村を眺め、手をすりむく。幼い頃、時間を忘れて没頭していたようなことも、年齢を重ねるにつれて次第に興味は薄れていった。それでも、大きな鉄を眼前にして、浮かんでくるのは木々や泥土に対する愛着であった。

「そっか」

 日常から、はずれていること。ヒューは、抱いていた負の感情に、答えが見えはじめていた。

 未知に対する恐怖。鉄をここまで大量に集められる文化。そして、それを扱える治金術に、ヒューは驚き、恐れていた。

 その鉄の建物に居住する人々は、どのような価値観で、なにを話すのだろうか。鉄が高貴でないとするなら、貴重だと思うものは。

 まだ、だれか住んでいるのだろうか。

 怖い。

 背筋に刺さりくる冷たさを打ち払うように、革袋から焚き火の用具を取り出す。火口を皿に入れて置き、火打石を幾度と擦る。慣れとは想像以上のもので、自身の精神状態とは関係なく、すんなりと火は生まれた。消えないように息を吹きかけつつ、油を注ぎ、周囲を石で囲っていく。村では、子どもは火を禁止されていた。用法から逸れると、人間を一方的に殺していく暴力となる。

 はじめて火番を任された時は、大人への仲間入りを解禁されたようで心が躍った。反面、緊張で前日はよく眠れなかった。

 両親は、心配しているのだろう。村のひとたちは、捜索をはじめているかもしれない。そう想像すると、どうしても苦しくなる。

 それでも、村に縛られて生きることが、嫌だった。言われたことや、決められたことではなく、自分で思ったことを、好きにやってみたかった。

 その決意とともに村を抜け出ても、どこかで村にいた日々を思い返してしまう。自分を心配してくれているかもしれない、と考えることで、妙な喜びを覚えてしまう。

 頭を振り、ヒューは後ろへむこうとする気持ちを切る。

 炎の揺らぎに合わせ、顔に熱がかかった。盛りはじめた火を眼で追いながら、上に金網をかけ、今度は革袋から椀を出した。たすきがけをしてある水筒を開け、水を椀に移して網に乗せる。昨日、渡った小川にて汲んでおいたものだ。このままでも飲めるが、ヒューはあたためてから飲むのを好んだ。お腹は空いていないため、餅を湯で戻すことはしない。

 ふと、建物の奥にひときわ高くそびえる影を見つけた。眼を凝らす。ほかのものより、三倍はゆうに長そうだ。雲に届きそうな尖った先端に、息を呑む。

 自分が神話に出てくる巨人だとしたら、投擲用の槍として重宝したかもしれない。思ってから、くだらないことを考えている、と笑みをこぼす。

 白湯ができていた。椀を手に取り、膝の上に置く。服越しに広がっていく熱と、立ち昇ってくる湯気が心地よい。

 浸からないように、垂れていた髪を耳にかける。息を何回か吹きかけ、少し冷ましてから飲んだ。それでもまだ熱く、舌を火傷しそうになる。飲み込んだ白湯は、一瞬どきりと喉を焦がし、柔らかい熱となって体内へ落ちていく。

 あたたかい。

 気づくと、震えは止まっていた。同時に、ヒューの中に巣食ろうとしていた、暗澹な気持ちが霧散していく。火が、一度強く弾けた。

 未知は、怖くて当然だと思った。そして、その怯懦こそが自分だと、知ることがきっと大切なのだ。してはいけないことは、変わろうとしないこと。進むも退くも、ひとつの進化だ。なにもしなければ、なにも変わらない。

 これは、自分で決めた道なのだ。

 白湯とは違った熱を体の内側に感じながら、ヒューは炎を見据える。火を見ていると、安心する。それは、火そのものにそういう効果があるのか、煌々とした色がそうさせるのか。そして火炎は、まさに変化そのものだと思った。いつ点けても火は火だが、一度として、同じかたちを作らない。

 歩こう。せっかくここまで来たのだ。あの大槍の麓まで行ってみよう。ひとに会ったら話してみよう。もし襲われたら、逃げればいい。死ななければ、あとは大差ない。

 先ほどまで感じていた気配は、きれいに消えていた。ひとがいるのかと思ったが、だれも住んでいないのかもしれない。

 しかし、なぜだか、だれかと出会える気がした。

 まとまった灰の落ちる音が、どこかから聞こえる。


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こちらのイラストは、ヨシオカサトシ様に描いていただきました。

改めまして、この度はご協力いただきありがとうございました。

■ヨシオカサトシ様ツイッター

https://twitter.com/satc_yoshioka

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