あ、これはやばい。と思った現在進行形のこと。

あー、これはやばい、と思った。ちょっとまずい。まずいぞ。

5月11日、在宅勤務をしていたお昼過ぎ、以前からずっとおかしくなっていた自分の思考が、少しずつ行ってはいけない方向に動いていることに気付いた。外では絶対にそんなこと言わないが、家では「死にたい」が口癖になっていた。誰も聴く人がいないから。一人でいれば、何を言ってもいい。死にたい。首を吊ろう。在宅勤務になってからしばらくすると、そういう独り言が多くなった。その時点では、まだ自分が自分のやばさを感じてはいなかった。いや、感じていたのだろうけど、まだ、まだ、まだ、と。記憶力が低下し、頭がまわらなくなって「これはやばい」と同僚に言って、本気で心配されたのが3月下旬。そこから1ヶ月ちょい。それ以前からミスなり行動の不足なりがあって、思考がパニックになることもあった。ずっと、抑うつ状態だったのかもしれない。

それでも振る舞いは普通だった。お酒も飲むし、食べるし、人と話すこともできる。ただ解釈するのが遅い、話を合わせることくらいはできるが、それ以上の思考はできない。うーん。年齢かしら。怠惰な自分のせいだろう。だから、新しい勉強をはじめたりもした。何とか充実をはかろうとしたのだ。

コロナ以前からその兆候はあった。もうだいぶ前からだろう。仕事柄なのかは分からないが、ずっと働きづめできたが、いきなり体力が続かなくなった。以前は10時に出社し、深夜まで仕事をした。仕事が遅いからなのだと思う。ただ、ここ2、3年は昼頃に出社し、深夜に帰るという生活が続いた。それでも怒られないのだからとても良い会社なのだろう。24時30分に家に着くと、やれることはなにもない。何がそうさせていたのか、今となっては不明だ。そして今も、21時過ぎに勤怠を切るも、その後ずっとチャットツールを開き、いろいろなデータを見てぼんやりしている。あーこれ…と思うことをメモする。何をやっているのだか、自分でもわからない。コミットしてないと不安なくせに、責任を負うのも嫌なのだ。

眠ると夢を見る。仕事の夢を見て目が覚める。それはたいていネガティブな内容だ。よく覚えてないけど。そしてまた眠る。また夢を見て目が覚める。仕事の内容だ。夢の中でも仕事、現実も仕事。外に行けば、仕事とも切り離した自分がいるのだが、今は外にも行けない。なんだこれは。自宅の空間が仕事空間となり、「仕事」と「プライベート」を分けてきた自分にとって、仕事がプライベートを覆った。自分をプライベートに導く存在は、家の中にはなかった。起きれば、すぐパソコンがある。あー、仕事だ。そうなる。

ゴールデンウイークが明けて、これからが本番だということをカレンダーを見て確認した時に、あ、これがずっと続くのか。そう思ってしまった。目線は床におかれた麻の紐を捉えていた。ぼんやり、それを見つめていた。

心が前に進まないながらも、無理くりに立ちあがり、風呂に湯を入れて体温をあげ、仕事を始める。パソコンを開くと頭が急に重くなる。貧血にも似ているが、少し違う。チャットツールで文章を見て、書き込み、さらにメールを返す。自分の文章が正しいかどうか校正を入れる。こういうときは誤字や脱字が起こりやすくなる。ちゃんとしよう。なんとか頑張ろう。チャットの奥にいるみんなは、しっかり働いていて、自分だけが置き去りにされているような気持ちになる。ただ、それもすべて思い込みかもしれない。

なんとかお昼を通り過ぎたところで、冒頭に戻る。加えて、動悸、胸のつかえ。このままいくと、たぶん本当に働けなくなるのかもしれない。どうしよう。このときに一番思い浮かぶのは、退職である。もうやめたい、存在価値がないことが苦しい。何もできない。ただそう思った。ソファーにぐったり座り、ウーーっと唸り続け、涙が出てくる。月曜日から何なんだ、自分は。頭の片隅でそう言う自分がいる。ああ、自分は今、こいつに救われているんだなと思う。平然と生きることを当たり前に思う自分。ただ、こいつは日に日に小さくなっていて、もう間もなく声も聞こえなくなりそうだった。

次に浮かぶのは家族のことだ。申し訳ない、なんでこんなことになってしまったのか、弱い人間でごめん、と心の中で謝り続ける。自分が悪いという思考はひたすら止まらない。反省と自責が繰り返される。

しばらくソファの上でぼんやりした後、仕事しなくちゃ…とパソコンの前に向かい、画面をひらく。目を離したのは20分くらいの間だが、コミュニケーションは活発に行われている。みんな働いてるのに何を休んでるんだ、自分は。よし、手が動く。まだ大丈夫だ。まだなんとか大丈夫。

作らねばいけない資料をつくっていたが、内容に悩んでいた。そしてちょっと昔に制作したものを調べた。働きまくりでつらくて大変だったけれど、それでも気力と若さと体力で押し通した時代の産物が出てきた。面白いものつくってるなあと思った。

そうだ、今があって未来がある。今も頑張らなければいけないが、未来も頑張らなければいけない。自分が未来を生きるために、どうにかしよう。そうして、初めて心療内科に電話をして、受診の予約をした。

今まで、心を病んでしまった人は周囲に大勢いた。ただ、自分がこうなってしまって、初めて自分の接し方は本当にいけなかったのだと気づく。相手と向き合って話しているように見せかけて、全然向き合っていなかったことに気付いたのだ。そして、本当に申し訳ない気持ちになった。

心療内科は来週行くことになっている。今は仕事をしながら、号泣しているときもある。もう心のコントロールができていない。一人だからなんとかやり過ごせているし、一人でいるからこその現象だ。ウェブミーティングでは絶対にそんなことは見せない。泣いているときは「なんで泣いてるんだろう」という気持ち、そして「申し訳ない、ごめんなさい」という気持ちしかない。

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