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(雑文)歳をとるのが嫌なのはなんでだろう

金曜日の夜なので、飲みながら書きます。いつも以上の雑文駄文をチラ裏をネット宇宙にばら撒きますが華金なのでゆるしてね。

今朝、会社のデスクに着くや否や、見覚えのある黄緑色の角3封筒と白の長方形型の封筒が目に飛び込んできました。

健康診断の結果です。

ノートPCとマウス、最低限の準備を済ませただけで、メールチェックより先にその封筒を開きました。


歳をとるのは、嫌だなぁって思う。

いやね、20代の頃よりも30代になりたての頃よりも、今の方が毎日を豊かに過ごせているような気はするし、充実感みたいなものも、今の方がある。まだまだ足りてないけれど、昔よりは多少自分の中の世界、社会も広がって、考え方の幅も、少しは大きくなった気もする。

40代向け女性ファッション誌の「40代、今が最旬!」とか「いま、一番輝く私へ!大人女子」とかいうキャッチコピーも見出しも、あながち全部を否定できないし、何となく分かるな~という気もしている。

だけど歳は、とりたくないのよ。なぜだろう。別にギャルファッションをしたいというのでもないし、むしろ品のある落ち着きに憧れる。ロイヤルオーダーのペンダントトップよりヴァンドーム青山のネックレスが欲しい。

かといって、40代50代になっても年齢不相応のメイクやいかにも頬を引っ張り上げながらメンテナンスしてます!みたいなのも、ミスマッチな服を着るのは嫌である。

なんという我儘。

しかしこんな人もいる。20代からの親しい友人は、むしろ上の年齢に早くなりたいなんて言い抜かす。しかし、友人はこの点に関して昔からぶれていない。本当に、そうなんだと思う。27,8歳くらいのときも「中途半端に20代終盤の年齢でいるより、さっさと30歳になってしまいたい」とよく言っていた。まぁそれは、その年齢女性特有の周囲からの面倒な決まり文句や扱いが鬱陶しいという理由も加味されてるとして、それでも30代半ばを迎えた今でも、やっぱり歳を重ねることに抵抗がないという。うらやましい!というか、おとなだわ。

でもそれは、ちゃんと自分に誠実だったんだろうなー。昔を整理できたら私もそうなれるのかね。過去にはどうしたって戻れないのに「あの頃なんでああしなかったんだろう」、「せっかくの20代を無駄にした!」みたいな、自業自得すぎるアホな執着が自分にはあるのかも。清算しきれてないのかな、だから納得できなくて、認められないのかな、過去を。

恥ずかしいよ、ほんと中年なのにさ。美容院やポイントカードを作るときの生年月日はまだしも「年齢」を書かされる時に、いちいち「ひょえ~~」とか思いながら数字書くのは。てか、生年月日書いてるんだから年齢は書かせないでよ~~~でも書かないと「女性に年齢聞くなんて失礼ネッ!!」って思ってるのかと思われるのは、もっと嫌だから書きますけれど。毎回ちょっとダメージ食らう。

まだ自分の年齢を受け容れられていない自分を突きつけられる気がして嫌なのかな。

(あとこれは無駄話すぎるけど、カラオケ店の受付で年齢書かされるの、やめてほしい。あれ、いる?成年判定できればよくない?ファミレスの受付表みたいに一枚の紙に書いていくタイプだと、上からお一人様の「68、72、55、80…」とか並んでたりしてさ、私だけ書かないわけには!と思って書くけどさ)

区役所で住民票や謄本、課税証明なんかを一度にまとめて取り寄せる日なんて最悪よね。何度も何度も年齢を書かされて地獄。書くたびに、「あぁ、私は35…35歳なのね…」と諦めきれない何かを諦めている。


何の話だっけ?そう、健康診断結果の開封だった。

この封筒を開くたびに、歳をとるのは嫌だなと思うのだ。(何度も言う)

だって正直20代のころなんて、健康診断は勤務時間中に業務を抜けて受診できるから、ちょっとしたサボり気分だったし、注射恐怖の私は採血という関門さえ突破してしまえば、あとは気楽なもんだった。

結果だってまったく恐怖心なく開封して、分かり切っている「オールOK!ハイ、あなた健康よ」を見るだけだった。何なら、勤務時間中にデスクで堂々と結果票を広げるのも気が引けたし、「体重が見えちゃったら困る♡」みたいな気持ちもあって、家で見ようと受け取ったら瞬時に隠すかのように鞄にしまい込んでた。

それが今じゃどうよ。会社に到着して、PCを開いたら大体は化粧室か給湯室に行くのに、それもせずメールチェックもせず。

何よりも先に心の中で「どうか…!」と祈りながら、平静を装った顔で封筒をビリビリと開けている。

もう当たり前に「オールOK」判定なんてもらえる年齢じゃなくなったから。初めて婦人科系の診断項目に「要再検査」が付いたのは、30歳を過ぎたころ。昨年は簡単な手術まで受けたのに、やっぱり今回も再検査の勧めと紹介状が同封されていた。落ち込む。あぁ若いころの能天気さに戻りたい…

こういうときに、若い頃ってどんなにシアワセだったのかなと思う。シアワセというかお気楽と言うか、自由ってああいうことをいうのだろうよ。

大学の頃なんて特に。だだっ広い青空を空中散歩しているかのような毎日。労働、税金、社会保険を気にせず、ただ興味の赴くままに好きなことを勉強して、遊んで、アルバイト。「学生」という身分保護力の強さ。その日暮らしみたいな気まま過ぎる生活でも、たまに発生するテストを乗り越え単位を取得できれば、正当化されてしまう。レポートは免罪符。

それでいてすごいのが、家族も健康だということ。

自分が若いということは、両親も若い。還暦までまだまだ。現在も大きな病気をしているわけでもなく共に健在だけど、今よりは見た目も体力も若かった。

あの頃、もっと頻繁に実家に帰ればよかった。会いに行けばよかったな…
もっと両親と出かけようよと計画すればよかったね…

親が還暦を迎えたとき、そういう後悔の念とこの先への恐怖がつらかった。自分の年齢を私が受け容れられていないのは、親の年齢から目を背けているからなのかな。

不謹慎だし縁起でもないんだけれど、高齢の著名人が亡くなったとき、その年齢から親の年齢を引き算してしまう。娘の5年後10年後を想像してみる時、「そのころ親は…」と足し算してしまう。

でもそれは、せっかくの楽しいことも楽しめなくなってしまう罠だとも、さすがに自分を35年間、皆勤賞で勤めているので知っている。

命ってなに?人間って、宇宙って何?死ぬことが怖くて「わたしって何?」という小学3,4年生くらいのころに考え始めた、あの渦に巻き込まれていくような怖さ。真っ暗な炬燵の中に潜って、自分が消えた後も世の中は進んでいくことを想像して寝るのが怖くなったころ。今も解決していないままだし乗り越えられそうにもないのも分かっている。

大学の頃、よくこの抱えきれない恐怖や不安を当時の彼氏と語り合ったり相談していたなーそういえば。かみ砕きながら「わかるよ」と言ってくれると救われる気がして、「あ、この人が隣にいてくれたら何か大丈夫かも。乗り越えられちゃうかも」と思った瞬間のことを今も明瞭に覚えてる。そんな彼が「いずれは、それは受け容れていかなきゃいけないんだよ。だからそうなって欲しいと思ってる。でも今それが無理なら、考えないようにするしかないんだよ」と言っていて、本当にその通りだよねぇって、今も心の中でよく会話してる。

でもそんな私が幸運なことに親になれて、可能性が無限大に広がる今はまだ小さな世界の中で、娘がエネルギーと好奇心と喜怒哀楽の塊になって生きているのを見ていると、明日の娘にも会いたいって思う。

明日を365回繰り返したらまた歳をとってしまうけれど仕方ない。ハイロウズの『青春』、「時間が本当に もう本当に 止まればいいのにな」って、週に何度かは必ず心で大熱唱してるけど、そうはいかないから。

けどさ、やっぱり老いはかなしい…!(まだ言う)


初めて白髪を見つけたときの気分の落ち込み(ちなみにそれを伝えても全く寄り添ってくれなかった人とはやっぱり別れた。私にとっての人生のパートナーはこの部分の相性が重要なのかしら面倒な女)、最近はっきり自覚してしまった頬のシミと予備軍、たるみ、肌質、髪質の変化・・・・ギャーーーーーーーッツ!


しかしねぇ、まさか自分がね…
ヤクルト宅配とか漢方薬を始めるぞ!と欲しがるようになるとは思わなかったよ。だってさ、明日の娘を元気にずっと見ていたいじゃない?あれ、歳とりたくない理由がまた増えちゃった。生きてると新しい自分にもどんどん出会っていけるのね。不老不死の水や壺を買わないよう気を付けます。



2021.3.26 金曜日


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