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石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(8)―谷崎潤一郎の生い立ち(その1) 戸籍毀損事件

谷崎の叔父による戸籍毀損事件


この本では、最後に谷崎潤一郎の生い立ちとして谷崎の死後に発表したものが掲載されています。その一番最初に登場するのが叔父長谷川清三郎による蠣殻町谷崎久右衛門家の戸籍毀損事件の顛末です。
叔父が谷崎家の戸籍閲覧した際に、「清三郎」と記すべき署名を「三郎」と書いているように見え、父である初代久右衛門の印鑑の部分を閲覧の際に誤って破いてしまったとされる事件です。
谷崎の『幼少時代』でも養子に出された叔父たちの不満とともにこの事件についてさらっと触れられています。

この本では役所間での書類のやり取りの資料が掲載されていますが、警察現場では明らかに犯意を認めていたと思われますが、それを認定する先が谷崎家に近いと思われて(^^;

始末書に対する警察署の東京府宛の報告を引用します。

拝啓、昨日長谷川清三郎ニ関スル平素の行状性質等内偵御依頼之件了承、則チ取調候処、平素不品行ニシテ且ツ遊惰之者ニ有之、詐欺之性質無之哉之疑ヒ無キニ非ザルモ確実ナル証拠無之、何分店住之日浅クシテ充分ナル探偵ヲ遂グルニ困難ニ有之候得共、別紙大瀬巡査復命書之通ニ有之候条、右ニテ御承知相成度此段及御回答候也。
  明治廿六年十月三十
           深川警察署
            警部 米良祥一印
  東京府属
   真木  謙殿

石川悌二著『近代作家の基礎的研究』

父倉五郎の実家と樋口一葉関連

谷崎家の壬申戸籍は震災で失われましたが、この毀損事件により改写された戸籍がなぜか見つかり、それを著者が「これは壬申戸籍ではなく、谷崎久右衛門(先代)が、蠣殻町一丁目三番地から二丁目十四番地に移った明治十五年七月の時点から、二代目久右衛門戸主の明治二十六年中までのものだということを念頭においてもらいたい。」と注意書きのうえ掲載されています。

その中で、樋口一葉のところからの続きで非常に興味深いのが倉五郎の部分です。

明治十六年十二月十七日神田相生町二番地江澤秀五郎三男ニテ入

石川悌二著『近代作家の基礎的研究』

この本の樋口一葉の頁に掲載されている明治7年東京大小区絵図で見ると、その住所から、江沢述明という人物が地主であり樋口家が住んだ練塀町四十三番地の桜井重兵衛方からはすぐ近いところにあることが分かります。桜井姓といえば二代目久右衛門の妻だったお菊さんが嫁ぐ際に養女になった桜井亀二等、いろいろ思い浮かびます。

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石川悌二著『近代作家の基礎的研究』より

一方、谷崎の伯父久兵衛は旅籠町から谷崎家に入ったことが大正4年発行の『大正名家録』に掲載されています。御成道沿いは、やはり小中村清矩関連でも谷崎の父の実家関連でも重要なことがうかがわれます。

明治25年発行の『日本全国商工人名録』には、連雀町に萬屋という屋号の江澤氏が多くあり、玉川屋は萬屋という屋号に変わったのであろうことが見て取れます。

湯島聖堂が近いですね(石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(7)―樋口一葉と谷崎周辺(その3) 稲葉の風参照)。

連雀町の江澤氏
明治25年発行の『日本全国商工人名録』より

なお、『近代作家の基礎的研究』の中では次のように書かれています。

ところで、その柳原河岸の火除地を指定解除して、防火建築であることの制限つきで東京府が市民に土地を貸下げたときの「柳原土手跡拝借願」(明治十九年)という書類の中には、拝借人のひとりとして、神田連雀町七番地居住の江沢松五郎なる姓名が記されており、この江沢松五郎は谷崎倉五郎の系族だったのではないかと推量するのである。

石川悌二著『近代作家の基礎的研究』

柳原といえば、谷崎の一番古い記憶が柳原にあった赤煉瓦作りの店でしたね。

今回は『小中村清矩日記』(1)と関連していますので、併せて読んでいただけると嬉しいです。

それにしても、どんどん価格が上がっていますね。
石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(1)―森鷗外と谷崎の時と比べると驚いてしまいます。
これだけの資料が掲載されている本は貴重ですのでわかりますが、こうなると最早なかなか手が出るものではないですね(^^;


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