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理解されやすい文章への課題と反省

タイトル通り、たまに投稿する生成AI以外の内容です。

この手の話題は、古くから語られていることのように感じます。日常において、どうしたら読みやすい文章を書くことができるのか、その決定打がないからかもしれません。なぜ決定打がないのかと言えば、人や状況によってとるべきアプローチが多岐にわたるためでしょう。

伝える側、聞く(読む)側にも課題は分けられると思いますが、伝わらない場合は往々にして伝える側に問題があると考えます。それが、特に1対1である場合は尚更です。相手の読解力や理解力は、大体会話や文章から察することができます。にもかかわらず、長文でレトリック満載の話をしたとしても、相手が理解できないことがあります。これは、相手に理解してもらうということよりも、自分の言いたいことをただ投げているだけで、単なる自己満足です。最近それを対面で強く指摘されて、ムッとしましたが、確かにその通りだと反省したことです。(ムッとしていたのは、聞かされていた側でしょう。)

繰り返しになりますが、状況によってはさらに細かく配慮すべきでしょう。専門的な内容を同業者に向けて書く場合と、一般の人に向けて書く場合では、使う語彙や説明の詳しさが変わってきます。また、説得を目的とする文章と、情報提供を目的とする文章でも、書き方は変わるでしょう。この辺の区別ができていない方でした。正直なところ、理解できないのはあなたの読解力が足りないだけでしょう、というスタンスでしか考えられていませんでした。客観的に見れば、ものすごく乱暴な考え方です。思いやりが感じられませんね。

もう一点、これも私の癖ですが、どちらでも良いことを曖昧に、ぼかす時があります。これも反感を買いやすい一因です。結局、その判断は誰がするのかと言えば、自分ではない誰かになるわけです。個人的にはどちらでも、どうでもよくて、決まればその通りというスタンスですが、単に丸投げしているように受け取られても不思議ではありません。「私はこう考えますが、参考として意見をお聞かせください」くらいに留めておくのがベターかもしれません。

しかし、これは難しいところだと思います。わかりやすい短い文章とは、場合によっては必要な情報がすっぽり抜けていることがあります。そこも考えてしまって、必要な情報を全部連携していましたし、個人的にはそういうのが好きです。ただ、結局それも自分本位だったなと思います。大量の情報を渡されて喜ぶのは一部の人だけです。

つまり、限定的な対面であればもっと柔軟に言葉を選んで話そう、書こう。そうではない場合、不特定多数に向けた発信であれば、ある程度わかりやすさ、正確さに配慮しよう。という基本的なお話でした。
こういうのがおざなりになっている時があるので、時々原点回帰するのも悪くないですね。


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