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教育のベースは学校ではなく家庭かも

教育のベースは学校ではなく家庭もしくは学校の外、と最近思い始めている。

昨年の春、北海道に初めて緊急事態宣言が出た時、ソーシャルディスタンスを保つために近くの遊具のある公園には行かず、山の麓にある遊具のない公園へよく遊びに行ってました。山には昆虫がたくさんいて、子どもは昆虫に興味津々です。紙コップと砂場で使うプラスチックの小さなスコップを持っていき、そこではアリ、ワラジムシ、ダンゴムシなどを捕まえたりして遊んでいました。この遊びを通じて、ワラジムシやダンゴムシがどこにたくさんいるとか、ワラジムシとダンゴムシの見分け方とか、アリにはたくさん種類があってムネアカオオアリのように背中が赤いアリもいる、といったことを子どもたちと一緒に学びました。

一方、学校で一般的に行われるのは教科書を用いた座学です。言語化された情報量は教科書のほうが多いと思います。先ほどの例で言えば、教科書には山にいる昆虫の情報が整理された形でたくさん載っており、山に行って自分たちで実際に見つけるよりもたくさんの昆虫について知ることができます。要するに教科書を使った学びは多くの情報を知ることができて効率が良い。

ただ問題は、学校で一般的に行われる授業は、大人が授業のカリキュラムを作り、子どもの興味や関心をよそに行われます。たまたま授業の内容と子どもの関心が合えば良いですけど、合わなければ授業を受けることが退屈になり勉強がはかどりません。

今一番良さそうに思うのは、遊びや体験を通じて興味を持ったことを、教科書などの教材で効率良く学ぶこと。この遊びや体験の機会が学校にはあまりないので、小中学生くらいまでは家庭、高校生以降なら学校の外に自分で作っていくことが大事になると思っています。こう考えると、教育のベースは学校ではなく家庭もしくは学校の外で、学校の授業をうまく活用できれば勉強がはかどりそうです。自分の子どもたちが学校に入学したら、授業の内容を参考にしつつ、家庭で実際に体験する機会を作って試してみます。

以前、「教育は保育園と連動して効果を高める」という記事も書いています。もし良ければそちらもご覧ください。

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