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「はじめての前川清」を、観ました(古賀)。

「前川清さんのコンサート、はじめてだというひとーっ?」

糸井重里さんの問いかけに、会場のおよそ8割が手を挙げる。「はぁー」とうなる、徳光和夫さん。「じゃあ、こういう歌謡曲のコンサートさえ、はじめてだというひとーっ?」。同じく8割方が手を挙げる。おどろく徳光和夫さんが、「わたくし、歌番組などをやっておりました関係で、前川清さんのことはデビュー当時、すなわち50年間からよく存じ上げておりますけれどもですね、この前川節というものは・・・・」と、徳光節で熱弁を振るいはじめる。

生活のたのしみ展とあわせるようにして恵比寿ガーデンホールで開催された「はじめての前川清」夜の部、そのオープニングトークのひとコマである。

ちなみにぼくは、「前川清のコンサート」も「歌謡曲のコンサート」も、はじめてだ。もっぱら洋楽ばかりを聴き、海外アーティストのコンサートばかりに足を運んできた。単独公演を観に行った日本人ミュージシャンは、宇多田ヒカルさんとサザンオールスターズだけかもしれない。

そういうぼくが体験した「はじめての前川清」は、どういうものだったか。

もう、

もう、

これがとんでもなく、

すんっっばらしかったのだ!


まず、バックバンドがすばらしい。ソリッドで、ジャジーで、ときにブルージーなアレンジの数々。『恋唄』のスリリングなイントロ、『東京砂漠』の畳みかけるようなエンディング、さらには『そして、神戸』を牽引する硬質なドラムの迫力。邦楽シーンを支える超・実力派ミュージシャンたちの演奏に、グイグイ乗せられていく。

そして、コンサートの構成がすばらしい。原則2曲1セットでMCをおこない、裏話や思い出話を交えつつ「次の曲はこういう曲です」と語ったあと、「そしてその次にはこういう曲を歌います」とアナウンスする。ぼくのような前川清ビギナーにとっては、曲紹介なしでどんどん進行されてもわかりづらいし、かといって全曲いちいち立ち止まって長いMCされても間延びしてしまう。そしてなにより、それぞれの2曲がちゃんとリンクしているのが、おもしろい。

また、なによりすばらしいのは前川清さんの歌だ。声だ。佇まいだ。

小手先の技術で流そうとせず、プロらしからぬ「懸命さ」を押しつけることもせず、自分に酔わず、歌詞にも酔わず、ただ忠実に「この曲と、この歌詞にとっての、いちばんいい声」を絞り出す。なんというかそれは、自分自身をひとつの楽器として扱っているような「無我」だ。


歌謡曲って、流行歌って、こういうことだったのか。


歌い手の「我」を極限まで削ぎ落とし、徹頭徹尾「あなたのBGM」であろうとする歌。いつの間にかそれが、「時代のBGM」になってしまった歌。主人公はいつも「あなた」なのだ。

前川さんは、何度となく「歌うのは嫌い」「稽古もしない」「歌でなにかを伝えようとも思わない」とおっしゃっている。それはきっと、ご自身のことを「ボーカルという名の楽器」と捉えているからじゃないだろうか。

歌謡曲というジャンルの凄みを実感する、貴重なコンサートだった。

ひとつだけ残念なことがあるとすれば、このメンバーによる、この構成のコンサートが本日限定だということ。

またまったく同じこのメンバーで、まったく同じ構成のこのコンサート、やってくれないかなー。

(おつかれさまでした!)