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きゃあと言いながらつくる(永田泰大)

生活のたのしみ展というイベントに、ほぼ日の乗組員は文字通り総出で取り組んでいる。休んでいる人はいるけれども、基本的には期間中全員が、このイベントのために働いている。

そうすると、当たり前だけど、このイベントをお客さんとしてたのしむことはできない。

買い物はできない。いいなぁ! と思うものが並んでいても、それを売るほうの手伝いをしなくてはいけない。休憩中、エプロンをはずして、一般の人として買い物をしてもいいよ、というゆるやかな決まりはあるものの、じっくり半日かけていろいろ見てまわる、というようなことはできない。

前田知洋さんのマジックが突然はじまるとしても、カードをひいて数を憶えたり、きゃあと言って本気で不思議がるわけにはいかず、「はじまりますよー」と呼びかけたり、人の流れの整理したりしなければならない。

おいしいジェラートを食べるわけにはいかない。最後のひとつまでカレーを手渡さなければならない。おいしいポップコーンの試食を呼びかけなくてはいけない。閉店後に余った食べ物が振る舞われることはあるにしても、売っているおいしそうなものを、好きなタイミングで飲んだり食べたりするわけにはいかない。

じゃあ、ぼくらは、お客さんとしての気持ちがわかっていないのかというと、それは違うと思う。むしろ、変な言い方だけれども、お客さんとしての気持ちをお客さんよりもわかっているはずだという自信がある。

理由は簡単で、これはじつは生活のたのしみ展に限らずそうなんだけど、なにかをつくるとき、ぼくらはまず、お客さんのこころで「きゃあ」と言っているのである。思いつくと同時に「わあ」と言っているのだ。だって、そうでなければつくるということが当てずっぽうになってしまう。

キッチンカーで販売するおいしいものをどれにするか決めるとき、ぼくらは「うわあ」と言いながら決めている。「これはおいしいに決まってるよ」と言いながら、サンドイッチのパンにはさまれるものを選んでいる。自分のドット絵の似顔絵なんてほしいに決まってるじゃん、SNSのアイコンをぜんぶそれにするよ、と言い合いながら今川伸浩さんにオファーをしている。おしゃれじゃなくて、陽射しが強いから子どもにもサングラスって要ると思うんだよね、という実感からJINSさんとこども用サングラスの企画を話し合っている。お客さんとしてのたのしさやよろこびが、エンジンを回す大切な源で、店頭で「どうぞー」と言っているときはそれを確認しているような感覚なのだろうと思う。

うわあ、きゃあ、とこころで言いながら、なんなら実際に思わずそう口に出しながら、ぼくらは長い時間をかけてお店に並ぶものをつくったり選んだりしている。だから、目の前でそれがぜんぶ売れてしまっても、お客さんとしての「ああ、残念‥‥」という気持ちを、まあ少々は含みながらも、たぶん残念じゃなくてすごくうれしく思う。

そうじゃないと、生活のたのしみ展はできないし、そういうやり方以外でなにかがつくれるかというと、無理なんじゃないかとぼくは思う。それは、イベントに限らず、読み物も、商品も。

大瀧詠一さんの歌でいえば、「あなたがジンとくるときは、わたしもジンと来るんです」ということだ。

その意味でいえば、天気の影響で最終日の売り場がおそらく大きく縮小されてしまうことがほんとうに残念だ。室内に、要素としてはきちんと凝縮して並べることはできるのだけど、やはり、ブースとブースのあいだを「買っちゃったなあ」とか「買おうかなあ」とか思いながら歩くようなふわふわした気持ちはこういうお祭りにとって大切だと思うし、「これ、なんにつかうの?」っていうような変なものもお店にあったりするほうが生活のたのしみとしてはいいと思うから。

ともあれ、そうなったからには、そういうこととして、お客さんとしてどうあったらうれしいかを考えながら臨みます。いろいろ、予定外で、慌てることもあるかもしれませんが、精一杯、一生懸命やりたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

それでは最後は、もう、はっきりと人気の出てきた、「今日の森ッコ」のコーナーです。「森ッコ」の表記は、それぞれで自由に変えてけっこうです。あなたのこころのなかにあなたの森ッコはいるのです(違う)。

今日の森ッコは、雨仕様。レイニー森ッコさ。

森ッコはうちの女子にも人気が高くてね、デザイナーの杉本(女性)に俺が「森ッコって、声もかわいい」と言ったら杉本はうんうんうんと激しくうなずきながら、こんなことを教えてくれたんだ。

「あと、森ッコは、いいにおいがするんです」

森ッコは、いいにおいがする。覚えておこう。また明日。