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ここで改めて言っておきたいこと。

 私は2020年の6月にnoteを書き始めました。

 パソコンのことも全くわからず、SNSのこともわからず、noteのことも全くわからず、ただ自分が書いた文章を誰かに読んで欲しくて、その気持ちだけで始めて、その気持ちだけで続けてきてしまいました。

 そうしたら、なぜだかわからないけど、自分を推してくれる人が現れました。

 そのことであり、もしないことを言われたり、思い込まれたり、ひどいことを言われたりされたり、大変なことの連続でした。その人自身も私のことを真剣に考えてくれているとは思えないことの連続でもありました。

 それでも私が続けてきたのは、私がどうしても叶えたい希望があったからです。

 亡くなった両親や母方の祖母、そして自分自身と自分の子供、その人たちの人間としての尊厳を守るためには、どうしても自分の夢を叶える必要がある状況になってしまったからです。

 そういう私を助けてくれる人は全くおらず、自分の都合の良いように利用しようとして近づいてくる人ばかりの連続でした。

 だからこそ絶対に自分の夢を叶えるしかないし、自分の希望に向かっていくしかない状態ができてしまいました。

 そういう風に努力している間に、私は自分の気の強さと意思の強さを目の当たりにして、自分でも怖くなってしまうような自分になってしまいました。

 どうしても子供を守りたい。
 そういう気持ちで、地獄のような長い結婚生活に耐えてきました。

 先に私から離れて行ったのは結婚していた人の方でした。
 そうして信じられないようなひどいことを私にさせるようになったのも結婚していた人です。

 その人は、その人自身も、自分自身の母親から虐待をされていました。それでも彼は私と子供を守るために頑張って働いてくれていた時期がありました。

 けれども、その人の母親が強く望んだために、仕方なく中古住宅を買ってから彼は変わってしまいました。

 彼の母親や親戚がその住宅の購入資金を私の母が出してくれていたのだと決めつけて、私の実家の母親からたくさんのお金を取り上げようとして、必死で暴れ始めてから彼自身も変わってしまったのです。

 彼がもっとしっかりしていた人だったら違っていたでしょう。

 彼はもともと悪い人ではなかったけれど、ただ調子の良い考えの浅いところがある、そういう人でした。

 彼がめちゃくちゃな行動したことで、子供は本当に傷ついていました。

 どうしてあの人と結婚したのか。
 どうして自分を産んだんだ。

 そう言われて責められた時、私は何も答えることができませんでした。

 離婚をしてほしいと強く望んだのも子供でした。

 でもそういう風に言われるから、10年位私はずっと彼との離婚を迷っていました。

 でも、彼と離婚してしまえば、彼の母親は、子供と私を異常な形で攻撃してつぶしてしまうだろうことが簡単に想像できたので子供が可愛かった私は離婚に踏み切ることができませんでした。

 何回も何回も別れたいと思った事はありました。
 でも、子供のことを考えると、どうしても踏み切ることができませんでした。

 子供にも社会的な立場はあります。
 だから、そのことを考えて踏み込むことができませんでした。

 けれども、彼の母親が私の実家をつぶしてしまい、弟を陥れ母を壊してしまおうとしたことで、私は本当に今度こそ彼と別れて違う人生を作って歩いていきたいと心から思いました。

 だから、子供が自分たちの手を離れて、成人した時から離婚をしてくれと頼み始めました。

 けれども、彼は私からお金を取り上げるために離婚をしたくなくて、生活費も入れてくれず、周りの人に虐待をされるようにしながら、離婚には応じてはくれませんでした。

 だから、彼彼が私に生活費を払わなくてはいけない状況になった時、すぐに離婚を自分から言い出してくれたときに、正直とてもほっとしました。、 
 
 これでやっとはっきり区切りがついた。
 でも、彼の母親は、私の実家の土地や母が残したわずかなお金を取り上げるために、どこまでも追いかけてきて嫌がらせを止めません。

 そんなことしなくても、普通以上の生活ができるだけの収入がずっとあったのに、彼の兄のわがままに振り回されて、無駄に全部使ってしまったので残っていないようでした。
 それで足りなくなってしまった分のお金を私から取り上げるために、どこまでも追いかけてきて、私を壊してつぶして、そう考えて、信じられないような嫌がらせを絶対に止めません。

 その間、どんな理由があるのかわからないけれど、自分が作った歌で私を応援してくれる人がいました。

 その音楽を聴いて、私はどうしたらいいのかわからないようなめちゃくちゃな状況の中で自分の未来を良くするために頑張り続けてきました。

 それで私はなぜだかわからないけど、その歌を作った人のことを本当に好きになってしまいました。

 こんな本当に現実にあるのかどうかわからないような状況の中にいる自分をどう受け止めたらいいのかわからないまま、私は今もどうにもならない生活をしながら、夢を叶えたいと思って耐えながら生きています。

 長い間苦しみに耐えながらコツコツと努力してきたことを結婚していた人のお母さんは、自分のわがままや見栄や欲や私に対する妬みや痛みの気持ちで信じられないようなひどいことを繰り返して全部つぶしてしまいました。
 本当に許せない気持ちでいっぱいです。

 そのことを今どうにかしようと思っても、もうどうにもならないことばかりです。

 だけど、今別のことを考えて、別の努力をしていけば、また新しく別の素敵な状況を作る事は不可能ではないはずです。

 だから私は新しい可能性に向かって自分のできることをコツコツとまた積み上げて、本当に自分が幸せだと思える生活が出来るようにまた新しく頑張るしかありません。

 終わってしまったことに対して、自分の不満や怒りをぶちまけたところで良いものなんて、何も自分の手には入りません。

 災害や戦争でめちゃくちゃになってしまった地面に小さな芽が出て、それが伸びて、花を咲かせて、実をつける。

 植物のような生き方しか私にはできません。

 それはなくなってしまった。私の祖母。母方の祖母もずっとそういう生き方を貫いて、苦労の末、彼女なりの幸せな老後を過ごすことができたように、私もその苦労の中で、今自分ができる努力をして幸せになろうとも考えています。

 そういう私を本当の意味で大切にして、応援してくれる人たちを私は人生をかけて大切にしたいと考えています。

 だから、私が好きだと思っている人とずっと一緒にいたいのは、自分が幸せになると言うことだけではなくて、その人が幸せな人生を送って、それを全うしてくれるために、自分のできる努力を精一杯して尽くしたいと言う気持ちからです。

 以前に結婚していた人にも、そういう気持ちで接してきました。

 でも、彼にはそれは通じませんでした。

 そして私にはもうその人とやり直そうと言う気持ちは全くありません。

 私だけではなく、その人自身も、その人の母親の信じられないようなわがままに振り回されて、人生をめちゃくちゃにされながら、20年以上の時間を過ごしてしまいました。

 その間に失ったものは数え切れないほどあります。

 だから、もうそんな人生に戻りたいとは思わないのです。

 していた人の母親の心の中に、どんなプランと考えがあるのか、私にはわからないけれど、今でも私を信じられないようなひどい状況に追い込んで、自分の思い通りにさせようとしているようなそんな人と付き合いたいとは思いません

 だから今好きだと思っている人と一緒にいるようになった後でどんな苦労があるのかわからないけれど、それでもいいからその人と一緒にいられるようになりたいと思うのです。

 その状況になったときに、自分がどんな気持ちになるのか、どんな状況が起こってくるのかは、今の段階では全く想像もできません。

 思いのほか良くなっていくのか、何かのきっかけで悪くなってしまうのか、そんなことを実際にやっていないのだから、わかるわけは無いのです。

 だけど、それでもいいから私はそうしたいと思います。

 それと同時に自分が表現をする立場になったときに、どんな状況になるのか、今の私には想像もできません。

 どんなことも実際にやってみないと実際どうなるかなんてわからないからです。

 結婚していた人と結婚した時も、私は子供を持つことも家を持つことも全部諦めていました。

 それと同時に今自分がしているように、自分の夢に向かって進もうとしている状況なんて想像もしていませんでした。

 結婚した人にものすごくひどいお母さんがいて、こんなひどい状況に追い込まれてしまうって言うことも想像もしていませんでした。

 でも私は結婚していた時、苦労しながらでも家族3人で一緒にいられることに心から本当に幸せを感じていました。
 
 私の実家は両親とも忙しく、子供はほったらかしでした。

 家族一緒に何かをしたと言う記憶も本当に少ししかありません。

 そして私の母親は、私を自分の思い通りにさせることばかりを考えて、今思い出すと虐待のようなこともたくさんありました。

 だけど、逃げ出すこともできず、助けてくれる人もいませんでした。

 田舎の個人商店の子供として生まれてしまったことから、友達に自分の悩みを相談することもできませんでした。

 私が話したことで、おかしな噂が流れてしまうと、場合によっては家族みんなが生活できなくなってしまう状況だってあり得ると想像できたからです。

 だから本当に苦しい子供時代でした。

 そこからうまく抜け出す方法も考えることができませんでした。

 それと同時に、お父さんのほうのおじいちゃん、父方の祖父が両親が働いて入ってきたお金を父の兄弟にどんどんあげてしまうような状況があり、母はいつも苦しんでいたし、父もおじいちゃんといつも揉めていて、最終的に店を別の場所に移した時は、今までお金をもらっていた父の妹たちが母と私を異常なやり方でいじめて普通の生活ができないような状況が作り上げられてしまっていました。

 私は実家を離れた時、新しい可能性を見つけられると思いましたが、世の中は甘くないので本当に苦労しました。

 でも、それに負けてしまうのは絶対嫌でした。

 あまり理解されてはいないけれど、私は本当に負けず嫌いな性格なんです。

 でもそれは他の人と張り合って自分が上に立ちたいと言う気持ちよりも、自分自身がしっかりとして自分としてちゃんと認められる本当の実力者になりたいと言う気持ちです。

 それをつぶしてしまったのは母でした。

 母は親と言うよりも私を支配したい、精神的には、子供のままで、大人の年齢になってしまったようなところのある人でした。

 だから、本当に苦しかった。

 私は私として思いっきり生きたことが今まで全然なかったんです。

 母は、自分が私を支配しようとしていることに自覚のない人でした。

 だから、本当に苦しかったです。

 そして、自分の子供には同じ思いをさせないでいたいと思いました。

 大人になったら、外に出してあげて、自由に自分の夢を追いかけさせたいと思いました。

 子供時代も本当に自分が好きなことに向かっていってもらえるようにしてあげたいと思っていました。

 だから、高校卒業した後に独立させたのは本人の希望もありましたが、私の希望でもありました。

 私もその子みたいにその時期に、自分の夢を追いかけて独立する道を本当は歩みたかったのです。

 そのために自分が少しぐらい寂しくても不安でも仕方がないと思っていたし、子供がいなくなったことでできた時間を自分自身の納得できることをして違う世界を作りたいと思っていました。

 それがこんな形になるなんて想像もしていなかったけれど、それを前向きなものとして、捉えられるように、活用できるように、とにかくそのために頑張ることしか考えていません。

 子供に対する愛情は生まれた時から今も全く変わっていません。

 私と子供の場合は子供を外に放ってあげることで完成するのではないかと思っています。

 子供にとって18から22までの4年間は本当に貴重なものだと思っていて、先になってもっと違うようにしておけばよかったと後悔しても、取り戻すことができない時間だと思うのです。

 そして、これからもそれは同じです。

 今過ぎていく一刻一刻が、子供にとって本当に貴重なものであることに本人が気づくのは50年以上先のことかもしれません。

 だから、私の努力が子供に理解されなくてもそれでいいんです。

 そんなことより、子供の人生が少しでも良いものであること、そのことが私にとって何よりも大切なことでそれ以外はありません。

 結婚していた人のお母さんが考えるように、金を誰かから取り上げて、自分たちがめちゃくちゃに使ってわがままを通さなくてはいけないと言うようなそんな考え方に従わせるのは本当は嫌です。

 だから、それに従うかどうかは子供次第です。

 本当に自分が納得できる充実した人生を歩んでくれることが私の望みです。

 できる力があるのに、それを諦めて、他のことで妥協して生きていくほど悲しい人生はないと思います。

 だから、子供には私が結んだような不本意な人生を歩ませないために、どうしても進学させてあげたかったし、独立もさせてあげたいと思っていました。

 その道のりがどんなものなのか、私にはわかりません。
 良いほうに行くのか、悪いほうに転がってしまうのかも、本人の努力次第です。

 その時の判断と、その時の自分の実力と人間力。
 それしかないと思っています。

 だから、それを身に付けさせるためには、親のそばにいて、甘えていてはできないことなのではないかと、自分のことを考えて想像するのです。

 私ももっと若い時からいろいろなことを経験して、今この時と思う時にチャンスをつかむことができていたら、全然違う人生を歩んでいました。

 子供に対して、過干渉にも過保護にもならず、ちょうどいい感じで助けてあげられる存在でいたいのです。

 だから私自身ももっと成長していかなくてはいけないし、落ち着いた生活が送れるように変わっていかなくてはいけません。

 それが全くできておらず、どうなってしまうかわからないような状況に居続ける、自分を本当に情けないと思ってはいるけれど、もともと明るくて楽天的な性格なので、どうしても最終的にうまくいくとしか考えられないのです。

 だから、あの苦しい結婚生活の中で、子供を持って、一時期は家をも持って、子供の進路を何とかギリギリのところで守ることもできたのではないかと考えています。

 それには見えないところで、亡くなった祖母や父が守ってくれていたからだと信じています。

 今、こんな風になってる私を見て、父や母や博多の祖母がどんなふうに考えているのか、そう想像するたびに悲しくなるけれど、それでも私は自分の信じたことを最後まで守りたいと思っています。

 そのためにはいろいろな人を協力も必要になってくるけれど、今私の身近にはそういう人はいません。

 本当に心細いけれど、負けないで頑張っていこうと思っています。

 そんな私を応援してくれる人がいたら嬉しいけれど、そう都合良くはいきませんよね。

 それでもがんばります。

 諦めません。


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