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やっとです。

 あこはるかさんのこちらの企画に参加させていただきます。

 撮った!

 ヘッダーの写真は、被災した時に赤十字からいただいた救急のものが入ったバッグとその中に入っていたラジオです。

 今回自分が公開してきたStandFMの音声を貼りたいと思っていましたが、どうしてもできなくて(あんこぼーろさんにやりかたを教えていただいたにもかかわらずです💦)

 本当にいろんなことがあった2021年ももうじき終わりに近づいています。

 もうじき終わるこの年をどんなふうに締めくくることができるのか、自分でもわからずにいるけれど、少しでも温かく締めくくりたいと思うのです。

 SNSのことなんて何も知らないままここまで続けてきてしまいました。

 どうして?
 って考えることもたくさんあります。

 どうして?
 って、それは、文章が書きたくて、それを続けたい。
 文章を書いて自分の思いを表現したい。
 そのことを続けたいからです。

 それだけなんです。

 だからって自分がどうしても同意できないことをするのは間違っていると思っています。

 そして時間がたくさんかかっても自分の目指すことに向って進んでいくことを止めたくはありません。

 いろんな風に感じて言って、そういう人はたくさんいると思います。

 だけど、それは本当のこととはかなりずれていて実際のわたしとは全く違っていたりするのでどんなふうに受け止めたらいいのかわからなくって混乱してしまうことの繰り返しです。

 何年か前のわたしはなんだかんだ言って家族から守られていたんだと思います。 
 苦しいこともつらいと感じていることも本当にたくさんあったけれど、それでもやっぱり守られていたからできたことがたくさんあったということはしっかりと自覚できています。

 もっと違う選択肢がなかったわけではないこともわかっています。


 ずっと前に実家を離れて自分で生きる道を探そうとしていたときの自分の 気持ちは今とはすこし違っていたように感じます。

 長い間家庭の中にいて家族の中だけで暮らしてきた間にわたしはずいぶん変わっていました。

 結婚したばかりの頃の主人も今とは全く違う人でした。
 それともわたしが主人の本当の人格をわかっていなかっただけなのかもしれません。

 人間の汚れた面を嫌と言う程見せられて溜息ばかりだった今年ももうじき終わっていきます。

 今はかなりつかれているので何か自分を癒せるようなことをしたいと思っています。


 しあわせだったんだなぁ。
 子どもの頃を思い出すと今はそう思えるけれど、その頃のわたしは全く違うことを考えていました。

 それを書くことは今はまだしないけど、わたし本当に子どもの頃しあわせだったんだなぁと思うんです。

 大切にされていました。

 でも自分ではそのことをわかることができなくて長い間苦しみ続けてきました。

 いつか文章を書いてみたい。
 そういうことをする人になりたい。

 そういう憧れの気持ちがずっとありました。

 だけど今考えてみればそういう夢がかなっていくなんて現実には難しいことばかりだと考えるしかないんだと思えるようなことばかりでした。

 実家を離れた時は、母の負担になりたくない、母を助けてあげたい、そういう気持ちと共にどこかでいつか文章を書いて表現できる人になれたら嬉しいという気持ちがありました。

 でも実際はできなくて自分自身の甘い考えに落ちこむばかりの毎日でした。

 もっと違う道を歩いていたら何もかも違っていたのに。
 本当にそう思いました。

 だから結婚したあとで子どもも家も持てたことに自分がいちばん驚いています。
 そういうことの積み重ねの中で本当に自分の力をまっすぐに思いの方に向けて行けば願いは叶っていくものなのかも知れない、と思うようになりました。

 何の根拠もなかったけれど。


 ただ、自分自身がすごく成長したとか、つよくなったとか、そういう風には思いません。

 子どもが生まれてから頑張ることができたのは子どものことが本当に大切だと思えたからで、そのために頑張っているうちにいろんなことを通り抜けることができただけのような気がしています。

 だからわたしはその経験から自分がえらんできたことが間違っていたということにその時初めて気がついて愕然としました。

 もっと自分が本当に感じたことを大切にできていたら何もかも違っていたのに。と思ったんです。


 わたしは文章を書いて何かができるように、本当に自分の書いてみたい文章を書いてみんなに読んでもらえるようになりたいと考えてそのことに此上ついていたことでたくさんのものを失い続けてきてしまったと考えて落ちこんでいます。

 もっと違う選択肢は確実にあったのに選んで守ることができませんでした。

 それは何もかも。


 わたしは自分の気持ちに本当に正直に生きることができないまま今までの人生のほとんどを過ごしてきてしまいました。

 ふりかえってみれば本当に幼い頃、母に母の考えを押し付けられてそこから抜け出せなくて苦しんでいた時からずっとそういう状態は続いていたように感じています。


 でもその中で自分なりに努力してきたことが何かの形で報われる方向に進んでいくことができるようになりたいと考えてここまできました。

 きっとできるはずだって感じ続けています。

 それは間違った考えなのかもしれません。

 それでもやっぱり諦めることはできないし、そうなっていくことができない訳ではないはずだと信じています。


 わたし、本当に変わりたい。
 心からそう思います。


 それは決して誰かとの競争じゃありません。

 そして誰かを陥れて自分の方にいい風を向けるようなことをしたとしても本当に価値のある文章が書ける訳ではないんです。

 わたしが子どもに感謝しているのは、子どもがいてくれたからこそ自分を生きていかないといけないと思えるようになったからです。

 だからそういう気持ちを大切にし続けるためにも本当に自分が向かって行きたい方に頑張り続けていきたいとつよく感じ続けています。


 書くことは地味な作業で楽しいとは言えないことも多いけれど、それでもなぜか書きたいし読みたいし続けたい。

 誰かと競うことだって間違いじゃない気もするけれど、そんなことよりももっとわたし自身に必要で大切だと思えることは実際に自分がほんとにいいと思えるような素敵な文章を書けるようになることです。

 読んだらすぐにわかるはずです。 
 アスリートの方々のプレイのように。

 それは本当に正直にその人のことをあらわしています。


 だから本当にどっちでもいいことに関わっているよりも本当に自分が書いて表現したいものを書き、それで認めてもらえるような自分になって行きたいと心から思います。

 汚いことやくだらないことにいちいち関わっているよりも、もっと大切なことを大切にできる自分になることがこれからの目標です。


 汚いことを書いている人に興味は全くないです。

 そう。
 そのことがしっかりとあらためてわかりました。

 現実が厳しいこともわかっています。

 それでもです。


 追伸

 この本とっても素敵なんです。
 何もかも本当に。

 紙の手触り、フォント、文章、表紙のイラスト。

 そのなにもかもにドキドキします。

 そして今、夢中になって読んでいます。

 こんなに夢中になれるのは本屋さんで見た途端に欲しくなってしまう程魅力的だからです。

 絶対にそうです。

 本当に本が好きです。

 つよくないわたしでも、それでも、文章を書くことを諦めたくはありません。



 心が折れてしまう度に励ましていただいた音楽です。
 432hzピアノで聴く癒しのBGMさん、ありがとうございました。


 あこはるかさん、やっと記事、間に合いました。
 今までもこれからも、ずっとまたよろしくお願いいたします_(._.)_💖


 


ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。