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推敲しました。


この文章、昨日書き直す作業をがんばってみました。

長い間読み返すこともなく置きっぱなしになっていましたが、久しぶりに読んでみたらどうしても直したくなってしまって。

そうしたら「もっと長い文章が書けたらいいな」という前向きな気持ちが湧いてきました。

「できるの?」って訊かれたら、はっきり「はい」と答えることはまだちょっとできないのですが、でも、実現できたら嬉しいです。

まわりのいろんなことに振り回され続けて困っているからなかなか先に行けないけれど、そこまでたどり着きたいという気持ちはずっと持ち続けています。

思い出すことができないくらい前から。

だけれども、「無理だよね」って言う気持ちがべっとりと自分に張り付いていたからできないと決めつけて今までできないままでした。

この文章。
『いつも見てるよ』
最初に公開したものは本当に拙いものだったと思います。

この文章を公開できて、コンテストに応募できたのは、何人もの方々の協力のおかげでした。

そして、noteを書き続けてくることができたのも、いろんな方が助けて下さったおかげです。

今までできてきたことはほとんど誰か親切にしてくれた人がいたからです。

自分だけの力でできたことはないです。

noteを書き始めた時、今よりも何もわからず、深い考えなんて何もありませんでした。

本当に今考えてみると恐ろしいくらい無知でした。

今もまだそんなにわかっている訳ではありません。

だけど始めた頃よりは確実に文章を書く意識は強くなっています。

上手になれたのかどうかはわからないのですが、最初より書くことでへとへとにはならないようになれました。

最初の頃の私はとても必死でした。
今振り返ってみると「バカだったなぁ」と思うことも沢山あります。

過去の記事を読み返してみると「こんなこと書いていたんだ…」と、なんていうか昔の写真を張り付けたアルバムを見返すような気持ちになります。

すっかり忘れていた自分自身の姿を見るのはちょっとだけ恥ずかしく、ちょっとだけ面白い。

そういえば母に贈るカレンダーを作るために昔の写真を探した時、子どもの頃の自分や家族の映った写真を見返していろんなことを考えました。

自分が忘れていたものがそこにはみんな写り込んでいました。

今まで書いてきたnoteの記事もそんなふうにいつか私に過去の時間を感じさせてくれるものになるのでしょうか?

まだ1年と4か月弱。

そんなに昔のことじゃないのにものすごく遠い昔のことのように感じてしまうのはいろんなことがすごい速さで変わっていった日々だったからなのかもしれません。

私にとってはとても密度の濃い時間でした。

そういう中で思いがけずに書くことのできた『いつも見てるよ』。

本当に拙い文章だったのにいろんな方のおかげで私の記事の中ではかなり沢山の方に読んでいただくことができました。

本当に感謝しています。
ありがとうございます。

もしもまだ読まれてなくて興味を持ってくださった方がいらっしゃったら、読んでみていただけると本当に嬉しいです。








ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。