万華鏡
数限りないいろんなものでできている世界の中で生きているみんな。
私もその中の一人。
キラキラと輝いている人々の中でこうして文章を書いていられることのしあわせ。
そのことを噛みしめながら日々を過ごしています。
悲しいことの連続だけど、それは私だけではなくてみんな同じ。
ただ形が違うだけのような気がしています。
私、自分らしく生きてしまってもいいですか?
そんな普通の事さえもできないまま生きてきました。
そんな私を変わればいいと応援してくれる人がいる一方でそれを非難する人達もいつも一定数いて、それがいつも50対50の割合なのだと知った時、自分自身が自分のことを皮っていって解放する方向に運ぶ人になるべきなのだと感じました。私は変わっていくべきだと自分自身が思っています。
『自分軸』とか『自己肯定感』とか、言葉は沢山あるけれど、結局は私自身が変わること、変わっていく自分自身を肯定していく道のりだと思うんです。そして私は、
変わることを自分自身に許してあげたいと思うようになりました。
まわりの状況が恐ろし過ぎて自由に行動できなくなっている今です。
でも私、その方向に向かって行こうと思っています。
一人になってしまったことでその気持ちは強く強くなっています。
そして今大好きな人がいて、大好きなことがあり、大切な思いがあります。
何にもできない自分のままでnoteを書き始めました。
他の人がどう思うのかよりも、自分が文章を書きたくて、自分の夢を叶えたくて、書くことを続けてきました。
その間に、思いもしなかった人やものと出会い続けてきました。
本当に不思議です。
出会った本。
出会った音楽。
出会った人々。
出会ったもの。
行ってみた場所。
私の知らなかった世界がこの世の中にはたくさんあって、それを知ることで私は変わってきたような気がしています。
それと同時に、言葉を使うことの難しさも学んできました。
簡潔な言葉で何かを伝えることはすごく難しく、誤解を受けてしまうことも沢山あったからです。
自分の中の思い込みと、相手に伝わることの間に大きな距離があることを自分自身の失敗から数限りなく学んできました。
ずっと前に公開した記事の中に『かっこいいミュージックビデオ』というものがあった気がするのですが、その記事のタイトルで私が伝えたかったのは、そのMVの中で演奏している人たちがかっこよく見えたということで、誰か一人の人を指しているものでは決してなかったのですが、私の説明不足のために真意が伝わらなかったみたいです。
それと同じことがいくつも起こっていたことを考えると、私自身の言葉の選び方や使い方を工夫する必要が大きくあるんだと考えて、これから改善していかないといけないと思うことばかりなのです。
それなので、今までよりも文章のことをもっともっと学んでいく必要が沢山あると思うようになりました。私にはまだたくさんの努力が必要な状況です。
簡潔に書いて相手にきちんと伝わるようにするためには書く人自身がそのことをきちんと理解して置く必要があると聞いて、本当だなぁと思いました。
今までもそうだったと思うのですが、文章は簡潔で、なおかつわかりやすく書かれていて内容が詰まっている文章出ないと人は読んではくれないし、感動もしてはくれません。
文章以外のコンテンツが増えている今だから余計にそうだと思います。
私の書いている文章って他の人はどんなふうに感じて読んでくださっているんだろう?
そう考えていろんなことを書き続けてきましたが、やみくもに書き続けるだけでは何も結果は出ないんだと思うようにもなりました。
どうしたらいいのか本当にわからなくなってしまって苦しんでいます。
本当に困っています。
自分にとって文章の先生と感じている人に出会って、全くの素人の私が本当に基本的なことから教えていただいて今があります。
言葉の表記の仕方から、文章の学び方、必要な本の選び方。
なんにも知らなかった私が少しずつ少しずつ積み重ねてきたことやものがまだまだ足りていないのは自分自身が一番よくわかっています。
小説の本を手書きで書き写してみるまで漢字とひらがなの配分の事すらわかっていなかったからです。
くそまじめに、漢字表記のできるものは全部漢字で書かなくてはいけないと思い込んでいました。
そのくらい何もわからないまま書き続けてきてしまったんです。
スマホでなくてスマートフォン。
スーパーでなくてスーパーマーケット。
コンビニじゃなくてコンビニエンスストア。
そういう事さえわからないまま書くことを続けてきてしまいました。
小説にしてみたいアイディアはいくつもいくつもありますが、形にできていないのが私にとっての悩みです。
文章力と時間配分。
そして今の生活を整えていくことができていないこと。
私にとって課題は数限りなくあります。
noteを続けてきてもう一つ思うのは、私の書く文章の持ち味が柔らかいものであることで、読んでくださったときの印象がシャープさに欠けるきらいがあるということです。
そのことが、人から隙がある人間だと思われ易い状況を作ってしまったかもしれないと反省もしました。
強くシャープであることも大切なのだと学んでいる途中です。
それは毎日聴いているバンドの曲から学びました。
そのバンドの曲ばかりを聴いているうちに自分が偏った考えになってしまうことが怖いので他の人の音楽も聴くようにしているのですが、すぐにまた聴いてしまうのでどうしよう?って思っています。
ライブにもいつか行ってみたいとは思っているけれど、他のことが大変で今は余裕がありません。
普通の日々の生活をまずきちんとできないことにはそれ以外のことにまで手を伸ばせないような気がしているからです。
どうしたらその位置に着くことができるのかが、今の私の課題です。
日常の生活が滅茶苦茶にされている状況はずっと前から続いています。
その理由はずるい人たちが絡みついてくるからで、そこから離れるために自分がどうしたらいいのかがわからないのが解決できない理由だと思います。
私にとって結婚生活も、子どもとの暮らしも、全部もう終わってしまった過去のことで、新しい生活を作っていくことしか今は考えていません。
それがどんなものになって行くのかは今はまだわからないけれど、新しく自分にとっていいと思える環境に身を置けるようになりたいと心から目がっています。
好きだと思う人のことも追いかけるのではなくて大切に心の中にしまっておいて自分自身を成長させていくことだけを考えるしかないとも思い始めました。自分が変わっていくことでしかよくなっていく方法はないんだと感じたからです。
自分自身の生活を大切に立て直して、文章もきちんと書けるようになって、今と同じようになんてされない環境に身を置きたいんです。
ものすごくたくさんの人達がしのぎを削って書いている文章をきちんと読んで自分もかけるようになりたい。そう思いました。
Twitterでミムコさんが紹介してくださっていた本をオーディブルで見つけて聴いています。沢山の小説家の方々がご自分の書き方というか考え方をお話なさってくださっている物凄く素晴らしい本で聴くほどに凄い、としか 言葉が出なくなてしまうのですが、その中に神崎京介さんという大人の小説を書かれていらっしゃる方の章があり、気になって聴いてしまいました。
noteを書き始めて少ししてから、性的な描写ができるのかを問われたことがあるからです。そのことへの今の私の結論は、できない、というものです。
私が書いていることを子どもも知っていることと、私自身の勇気がまだそこまで到達できていないことがその理由です。
神崎さんはご自分の書かれていらっしゃる文章に誇りを持っておられると語っておられ、其れと同時にどんな心遣いをしてその文章を読者の方に届けられてあられるのかにもきちんと言及されていて、その姿勢に私はとても感動しました。そんな神崎さんの書かれるものだからこそ沢山の読者の方がついておられて職業として成り立っていると感じたからです。
けれどもそこまでの覚悟のない私が無理やりそういう文章を書いても読者の方の心に届く文章が書けるとは思えません。
だから私はきっと、そのような文章を書くことは出来ないと感じました。
自分の中に伝えたい気持ちのない文章は書いてもいいものにはならないような気がしています。
なんにもわからないままnoteを書いてきました。
その間に私の人生は何故だか大きく変わりました。
私はその変化に動かされて自分の生活を変えることになりました。
いいでも悪いでもなく、仕方なく。
その中には前向きなものも後ろ向きに感じられてしまうようなものも両方含まれていると思います。その両方が最終的にいい方向に進んでいくように頑張りたいと思います。
キラキラと美しい模様をくるくると変えながら見せ続けてくれる万華鏡を覗き込んだような文章、短歌、俳句、詩。
そういうものが書ける自分になりたいです。
実生活も落ち着いて暮らせるように変えていきたい。
私、変わりたいです。
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。