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ペーパードライバーのおっさんが雪国で四苦八苦しながら運転の楽しさに目覚める話

私が自動車の運転免許を取得したのは1996年、大学4年生の秋だった。

東京都内で生まれ育った私は、実家に自動車がなかったどころか両親ともに運転免許を持っていなかった。それでも特に不自由は感じていなかったが、就職が内定した企業の入社資格が「要普免」となっていたため、大学卒業を間近に控えあわてて地元の教習所に通ったのだった。

しかし運転免許を取ったところで、都会で暮らしていくには特に自動車が必要な局面はほとんどなかった。結局運転免許を取得してからの四半世紀で私が自動車を運転したことは、友人の自動車を借りて自宅の近所を100mほど直進した、たった一回だけだった。
そのまま今に至るまで、ペーパードライバーを絵にかいたような人生を歩んでいたのだ。後に自動車を運転せねばならない状況に追い込まれるとも知らずに。

昨年の10月から信州大学が中心となって企画されたプロジェクトに参画し、私は長野県長野市に在住することになった。
地域企業の問題解決をしながら実践研究を行ってその成果を発表する、というのがこのプロジェクトで私に課せられたタスクになる。このプロジェクトで私がタッグを組むことになった企業は道の駅などの観光施設を運営しており、その施設の飲食部門をテコ入れしなければならない。そのためには現地に足を運び問題点を抽出するとともに、働いている人たちと信頼関係を築き協力体制を作る必要があるのだ。

さて、道の駅という施設は一般道の、それも原則的に郊外や山間地に立地している。そこまで通うための交通手段は、一時間に一本あるかないかの路線バスか自動車の二択となる。
会社からはさっそく社用車を貸与された。車種はスバルのフォレスター。社長いわく「どんな山道でも雪道でもこの車なら大丈夫!」とのこと。ということは、山道や雪道をこの社用車で走破しなければならないということに他ならない。

私は恐怖にうち震えながら、嫌々ながら運転を始めることとなった。しかしいきなり一人で運転することは、さすがに危険すぎる。まずは近くにある教習所を探し、ペーパードライバー講習を受けて基本動作から復習した。さらに東京に戻った際には知人の車を自動車を借りて、公道での運転の練習もした。そんなこんなでようやく一人で運転できるようになったのは、11月も終わりを迎えようとする頃だった。

そしてようやく一人で運転できるようになったところで、長野に冬が到来した。ご存じの方も多いと思うが、長野の冬はとても雪深い。スキーのメッカであることからも、降雪量のすごさがうかがい知れるだろう。
年末の土曜日、松本でのゼミを終えて長野に帰ってきた私は、駐車場に停めていた我が社用車の変わり果てた姿を目の当たりにして、呆然と立ち尽くしたのだった。

雪が降ればもちろん車にも積もる。前日から降り続いた雪はようやく止んでいたが、その残骸は我が社用車の屋根の上だけでなくガラスやサイドミラー、ボンネットにナンバープレートまで前後左右に積もったり吹き付けられたりしている。なんとか正気を取り戻して手元にあったビニール傘で雪を落としていると、なんと駐車場内にいた若いお兄さんが雪下ろし用のスクイージーを貸してくれた。お借りしてあらかた雪を下ろした後、まだ雪かきが十分になされていない歩道を1kmほど歩きカーショップに赴いて、車内搭載用のスクイージーを購入した。

積雪の対処はこれで目途が立ったが、実際に運転する際にはもっと厄介なことがある。路面が凍結するのだ。

道の駅をはじめとして、私の職場の多くは中山間地に存在している。ということは、必然的に常に凍結した山道を進まねばならないことになる。27年目の運転初心者である私にとっては、あまりにもハードルが高すぎる。唯一の救いは、運転する自動車がフォレスターだったことだ。この車なら、スピードを出しすぎさえしなければ大抵の道はスリップせずに走行できる。

とはいえ油断は禁物だ。一旦山道に入ると、地元の車がガンガン後ろから煽ってくるのだ。彼らにとっては通いなれた道かもしれないが、こちらにしてみれば曲がりくねってすぐ先がどうなっているか検討もつかない道なのだ。こんな環境で運転をしていると、ついスピードを出しすぎたり周囲への注意が散漫になって、事故の危険性が増してしまう。
実際に運転をはじめて4週間目の少し慣れてきた頃、何故か車道に置かれていた立て看板に左のサイドミラーをぶつけてしまい、破損させてしまったのだ。

修理費用は会社が一部負担してくれたが、それでも50,000円の出費となってしまった。

さらに、こんなこともあった。
ある朝、私の勤務先のひとつである『道の駅』に向かおうと駐車場に行くと、今度は我が社用車の車体全面がまんべんなく凍っていた。ドアを開けるにもかなり力を入れなければならないほどだ。

車内の暖房を入れたりフロントとリアガラスのヒーターを入れたりして10分以上待ち、ようやく運転できる状態になった。この時期の長野市では深夜の気温が氷点下10℃近くまで下がることがしょっちゅうあり、その厳しい寒さ故にこのようなことが起こるらしい。

日々新たな発見と恐怖を味わいながら自動車に触れているうちに、運転をはじめてから早くも4ヶ月目に突入した。今では高速道路を使って大学のある松本まで毎週のように通い、帰りがけには運転の練習も兼ねフォッサマグナの山道を北上し日本海沿いをドライブしたりするようにまでなった。

じつは、私は普段から自転車を乗り回したり旅先では川でカヤックを漕いだりすることが多く、元々は乗り物を操作すること自体は好きだったのだ。とはいえ、これらの操縦と自動車の運転との間には、決定的な違いが存在するのである。

自転車などの場合はあくまでも自分の身体操作の力が器具で増幅されて動いていくのに対し、自動車はエンジンの存在によって右足でアクセルを踏めば瞬く間に身の丈を軽く超えた反自然的なスピードを出してしまう。しかし目がこのスピードに慣れると身体感覚も付いてくるようになり、そのうちに自転車に乗っている感覚と変わらなくなってきた。恐らく、身体感覚は「視界の行き届く範囲」なら訓練次第で拡張可能なものなのだ。

とはいえ車内は静かで空調も効いたパーソナルスペースが確保されている。徒歩や公共交通機関を使っての移動に比べて、自室にいながら空間移動しているような感覚に陥ってしまう。実際に公道をかなりのスピードで移動していても、その実感が湧かないのだ。
また、自宅から目的地までドアtoドアで移動できることも、この非現実感を後押しする要素なのだろう。とても便利で快適だが、道中で偶然未知の物事に遭遇するような楽しみは、公共交通機関での移動に負けてしまう。

それでも、最近のすっかり春めいた気候の中で自動車の窓を全開にして運転するようになって感じたことがある。窓を開けることによって聴覚と触覚が外部と接続されるだけで、現実にその場所を高速で移動している実感が一気に湧いてきた。
自室でシミュレーターを操っているような感覚よりも、五感すべてで移動速度を受け止めながら運転する方が、実際は数段楽しいのだ。

このように運転の楽しさに目覚めつつある私は、今月で任期が終了するにも関わらず、我が社用車を返したくない一心で企業との契約延長を模索しているのであった。

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