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私、ADHDだってよ

「あなたは、重度のADHDだと思われます。また、はっきりとは言えませんがASD自閉の傾向も見られます。」

人生30年。今まで自分が感じていた違和感、周囲とのズレが障害によってもたらされたものであると誰が予想できただろうか。

まだ自分はこのことを受け止めきれていない。だからこそ、ここに文章を残すことにした。

いずれ自分が自分を受け入れた時、私はどんな気持ちでこの文章を読むのだろうか。そんなことを思いながら、今の衝動を切り取ってここに書き残す。

崩壊のきっかけ

何気ないことだった。

仕事と家庭、両者で溜まっていたモヤモヤが爆発した。

衝動的に頭を打ち付けたくなったり、蚯蚓腫れになるまで腕や首を掻きむしったりするようになった。人が怖くて、すれ違う人間という生き物からは腐ったような妙に酸っぱい異臭を感じるようになった。複数の音が重なれば、人の言葉が理解できずにただの口から発する音としか感じられなくなっていた。

「私は遂に気が狂ったのだ!!!」

不思議と自分を客観視する内面の自分がそのように叫んでいるのが分かった。そうとしか考えられなかった。

思考がまとまらず、五感も明らかに異変を起こしている。そして、それが原因で外に出ること自体が拷問に感じられるほど、外の世界を拒絶してしまう。これを発狂と言わずになんと表現すればいいのだろう。

事態を重く見た家族は、私を精神科へと連れて行った。私はいやに冷静で、診察の時までノートに自分の心情を淡々と書き進めていた。

そこで診断された内容こそが、冒頭の発言である。

診断されて気付いた仕事の挫折

そのころの私は、燻っていた”離婚”への下準備の為、フルタイムの職を見つけ、勤め始めて数か月という時期であった。仕事は厳密で常に緊張が伴う業務であったのに、私は細かなミスを頻発させていた。

上司はあきれた笑顔を浮かべていたし、指導役の先輩には常に厳しい視線を向けられていた。他の社員は皆、私の状況を危惧し遠巻きに見ているような状況であった。

一つ間違えれば命に係わる仕事であるが故に、細かく決められたマニュアルはいくつも存在していたが、どの作業のマニュアルがどこにしまってあるのか分からなくなる。そもそもマニュアルを見つけても、暗黙の了解で成り立っている例外たちの理解が出来なかった。これもまた、ADHDの苦手とする整理整頓や曖昧な指示が理解できないという面が前面に出ていたという事であった。これが私の中では大きな挫折に繋がっていたのだ。

更に加えて、私は職場での会話に入ることが苦手であった。何を話していいのか分からない。会話に入らず笑顔を張り付けて頷く動作を繰り返すことで精一杯の私に誰かが話しかけてくることも稀であった。

自分はコミュ障だと自覚していたが、幼少期のいじめや様々な経験から人との関わりに恐怖を持っているだけだと思っていた。発達障害が関わっているという事に、この年齢まで気づくことが出来なかったのだ。もう少し早く分かっていれば、、、正直に書くと、今一番辛いのは、このコミュニケーション面での生きづらさの原因が生来の気質であったという事実を眼前に見せつけられていることである。

家庭での挫折

旦那との生活の中にあった小さな不信感、子どもを作ることへの考えの相違、旦那実家と旦那の関わり方の密着性に嫌気がさし、私の頭に小さく浮かんでいた”離婚”が頭の中で限界まで膨れ上がっていた。

その風船にブクブクと膨れた”離婚”衝動に、お姑さんの行動が針を刺した。私の心は完全に離婚に傾いた。旦那にもその場で”離婚したい”と口走ってしまった。

詳しくは書かないが、私は家族にさえも自分の本音を明かすことが苦手である。加えて、自己肯定感がかなり低いことあり、提案に対して”No”を示すことが出来ない。

自分のやりたいことと、他者のやりたいことが異なれば、嫌われる恐怖心から自分の言いたいこともやりたいことも抑え込んでしまう。コミュニケーションを取る上で、自分を守る術を持たずにただ我慢を強いて家庭に尽力したが故に、本来の気質をかなり抑制したストレス強固な状態を自ら作り出していたのである。

それらが運悪くADHDの衝動性に結びついてしまった結果、旦那に「離婚したい」と告げてしまったのである。

これからどう生きようか

まとめのようなものが何も浮かばないから、最後に散文的なものを書いて現状のまとめとしたい。

まず、ここまでの出来事は6月~今月にかけて起こった出来事である。正直に言えば、あの時あれがなければ今頃は・・・と思うことも多い。

しかし、私は進むしかないのだ。

ADHDが分かり、自らパートナーを手放そうとしている今、後ろを向いてしまえば、私は二度と立ち上がれなくなると30年の経験が私に訴えかけている。

それに、今は悪いことばかりではない。私のどん底を見て応援してくれる優しい世界があることも知っている。私の状態を知っても尚、手を差し伸べてくれる人たちがいることも知っている。

だから私は、前に進む。

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