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児童書から学ぶ

なんかイイ感じに記事を・・・いえ、文章を書こうと思ってたけど、それを意識したら途端に無口になりました。
やっぱカッコつけるもんじゃないですね。

ちなみに「記事を・・」を「文章」と直したのは、なんか「記事」って感じでもないよなぁ、と思ったから。

ところで秋だからか何かわかりませんが、少し前からまた読書欲が復活して、積読書籍が増えました。(読めよ)

多分、時間的に余裕ができたからなんだと思う。
何せ少し前までは残業時間が月平均60時間超えてたので。(しかも手当なし)
その件についてはかなりの解決の兆しが見えつつありますが、最後の最後で未だ解決に至らず。一応年内に決着はつけたいので、月が替わる頃には再度動かないといけないのかな、という感じです。

で、話は戻り、私の積読文庫に追加されたのは、これまで「読んでみたいな」と思いつつも読んだことがなかった児童書(!)。

実はまだ途中読みなので物語の内容についてはまた。(あるのか知らんけど)

まぁなんというか、時間について悩ましいお歳頃であり、時間に悩まされた一年だったので「読んでみたいなぁ」と思ったのがキッカケでした。

で、ですね。読み進めるうちに「児童書」って侮れないなぁ、なんて思ったんですよね。

その昔(!)「ハリーポッター」が流行った時も「児童書なのに〇〇」みたいに様々な評論やら意見やら感想やらが飛び交ったりしてましたが、「児童書なのに」言葉とか表現とか、なんかすごいな、と改めて思いました・・ってもしかしたらどちらも翻訳だから、というのもあるかもしれませんが。(「ハリポタ」の場合は特に描写とか臨場感がすごくて、私は一時期ホグワーツに居たと思う。うん。きっと居た。)

基本、文章は「ですます調」で、ひらがなが多用されてたり、妙な所にふりがなが打ってあったりして読みづらいと言えば読みづらいんですけど、「んー。この言葉、小学5・6年生が使うかな。わかるかな」と思うような部分が多々ありました。

読み進めると同時に思ったことなので、具体的にというと難しいのですが、ちょっと拾ってみたところでも「かいわい(界隈)」とか「情状酌量」とか「たゆたう」とか。まぁ、なんか大人が使う(?)言葉ですよね。

もちろん、物語の中で流れるように読んでいれば前後で意味をなんとなく捉えることはできるとは思いますが、ポンっと単語だけ出てきた場合・・・ってそんなことはあまりないのかな。ないかもしれないけど、そういう時、わかるものかな、って思ったんですよね。

というより、そういった言葉は何事もなかったようにスッと頭の中に入っていって、何かのタイミングでフッと浮かびあがる・・・ちょうど今、自分が文章を書く時に知らずと言葉が出てくるように・・。

って、そういうことなのか?
意味がわからなくてもなんとなく頭に入ったものが、時間や経験を重ねるこである日突然、そのわからなかった意味と名前(言葉)が一致する。
そしてそれが、その人の表現の数(バリエーション)になって自然と溢れ出す?


だから「やっぱり読書は大事」って、そういうことなのか?
意味がわからなくても文脈から「無意識に」推測しようとするから、考える力が養われるって、そういうことなの・・かな。

書いててビックリしました。
幼少期の読書が大事ってそういうことなのか、と。
いえ、いくつになっても読書は大事なんだろうけど、若いうちに知ってた方がより熟成されるのではないか、と。

というか、たまたま大人になった私が児童書を読んだからそう思った=気づいたワケであって、これがきっと普通の小説とか読んでたらそんなこと考えもしなかったんだろうな。

読書ってすごい。やっぱり面白い。
積読だけじゃなくて、やっぱり本は読まなきゃ、と思いました。




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