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第六回偽物川小説大賞 結果発表&講評

はじめに

お待たせいたしました。2024年の元日から2月15日まで、小説投稿サイトカクヨムにおいて『機械』というお題で開催された『第六回偽物川小説大賞』、結果発表のお時間となりました。今回の正式エントリー作品数は29、総文字数はざっと24万字すなわち文庫本二冊分ほどの量でありました。

というわけで早速ですが、この発表からまいります。
第六回偽物川小説大賞、栄えある大賞受賞作は!

大賞発表

狂フラフープさんの作品『歯車の揺籃』に決定いたしました!狂フラフープさんは第三回の大賞受賞者でもあるので、二回目の受賞ということになります。おめでとうございます!
ご本人からコメントが届いております。こちらになります。

 この度大賞を頂きました狂フラフープです。
 やりました。三年ぶり二回目の優勝です。監督もチーム全員の勝利だと申しております。そうです。前回優勝時同様AIにケツを叩いて頂きながら小説を書いたのですが、AIがたまたま傑作を出力したのでこのような結果となりました。ありがとうございます。嘘です。やっぱりこいつに受賞コメントは任せられません。やはり小説同様自分の言葉で受賞の喜びを表現しないとダメですね。うお~やった~~超うれし~~~~~~!!!!
 二回目ともなると受賞コメントの書き方も慣れると思いきや全然何も思いつきません。機械も嘘しか出力してくれないですし、この辺で終わりにしようかな。
 というわけで、主催並びに評議員の皆さま、参加者及び読者の皆さま、本当にありがとうございました。

大賞作品特典のイラストはこちらになります。

各賞発表

さて、では引き続き各賞の発表に参ります。今回は金賞一点、銀賞二点、銅賞三点、個人賞が各一作品で三点という形になりました。

では金賞です。金賞受賞作品は、南沼さんの『終末を巡る旅』です!

続いて銀賞!押田桧凪さん『再演』、立談百景さん『私の心臓は音の鳴る機械ではない』の二作品が銀賞です!

さらに銅賞!中田もなさん『Thy soccs』、ラーさんさん『建て続けられる塔』、鍵崎佐吉さん『迷宮にて』、以上が銅賞です!

そして各審査員個人賞。
まずは私のからいきます。偽の教授個人賞、偽の機械賞は尾八原ジュージさん『ロボ』。偽のお墓個人賞、呪物機械賞は鍵崎佐吉さん『CURSE MAKER』。最後に偽の紫陽花個人賞は、紫陽花賞、クニシマさん『うみすを持つ』。
一気にいきましたが、受賞作は以上になります!
熱い拍手をお願いします!もっと!もっとだ!スタンディングオベィショォォォン!

全作品講評

ではこれより本企画の核、全作品講評全文の発表にまいります。と、その前にいつもの説明です。偽物川小説大賞においては、三名の評議員がそれぞれの講評を書き上げて脱稿するまでお互いの講評を「まったく見ていません」。したがって講評における作品解釈などに大きな食い違いが生じていたりもするのですが、それこそが本企画の「味」でございます故、そういうものだということでご了承ください。なお、ナンバーはエントリー受領順、著者名は敬称略となっております。

No.1 ウェイクアップ・ロボットブラザー 狂フラフープ

偽の教授:弟とおっとっと(古い)
嘉すべき一番槍作品はこちら。なんですが立ち上がりが重いというか、遅い。タイトルと落とし方から見て話の主題は語り手と弟との関係性なんだろうけど、その割には弟の人物像なんかの掘り下げが浅い感じがして、隣の婆さんがどうしただのという話が夾雑になっている。狂フラ氏の作品としては珍しく青春的な内面の省察に文字数が割かれているんだけど、それについても正直言って「そういう描写はあんまり得意じゃないのではなかろうか」という印象でした。ただまあ、筆致は確かだし一定以上のクオリティを当然のように叩き出しているのもまた事実。この小説大賞においてキャリアのある参加者には多少辛めに講評を書く性質が私にあるということもあるのであり、総論としては今回の二作目に期待と言ったところです。

偽のお墓:事故で目を覚まさなくなった弟がいざ目覚めるとなった時の主人公の心のうちを描く作品。サイボーグ技術が当たり前になった社会で、どんな欠損も機会が補ってくれる筈の世界でも意識を取り戻すことができない弟に対する気持ちや、その逆に誰も彼もが何かを機械で代替している中で生身のままの祖父母に対する複雑な感情を、文学的な筆致で表現している綺麗な作品でした。サイボーグ技術が発展しているためにサイボーグという言葉の運用が、眼鏡にも適用されるみたいな世界観のディテールがよく考えられていて好きです。その実、主人公の祖父母がサイボーグ技術なんのそのな農家であるなどの設定も手伝って、突拍子もないほどに近未来的ではない描写が素朴さと奇妙さを同時に演出していました。

 お話としては、目を覚ます弟との再会を怖がっていた主人公が、祖父母の生き方と言葉に感化されて勇気を貰うというもの。祖父母はサイボーグ技術には頼っていないものの、やはり長く生きる中で何かを失って生きているということを主人公は知ります。失っても代替するわけではない、失ったままでも強く生きることができるという祖父母の生き方は、弟が失った時間や自分自身が失った弟との交流を、何かに代替する必要はないと主人公に悟らせる。そうした動きがない中も目まぐるしく悩む主人公の心の内を描いて進む物語は小説の良さを存分に引き出してはいるものの、少し話が小綺麗にまとまり過ぎているきらいも感じました。

 近未来ではあれど現実的な世界観はそれはそれで魅力がありますが、その設定があまり活かされておらず、機械という題材を取ってつけたような部分がありました。冒頭の、孫にモテたいジジババはこぞって身体改造に金を注ぎ込んで競うようにサイボーグ化していく、というのはいかにもトンチキで愉快だったので、そういう雰囲気を終盤まで維持してほしかった。

 勝手に孫のバッグに新玉ねぎ入れるジジババのくだりも好き。そういうどうしようもないが、それ故に愛らしい登場人物達によって紡がれる美しい作品でした。

偽の紫陽花:最初に読んで「マジでこれ最初ですか」って思ったんですけどまあそれは与太です。本題です。人間の身体をつぎはぎ取り換えて行くことが当然になった世界の中で寝たきりの弟が目覚めるのを待つという話。身体という脆弱性を補う機械、しかし取り換えていくにつれて身体の本来のありようを失ってしまう……そんな弟に「ウェイクアップ」(起きろ)と呼びかけることのできる姉が、弟にとっての救いでなくて何なのかと思います。傷つきながら生きることと身体を「機械」化することをうまいこと接続して、「生きていく」ための物語につなげていく。さすがの腕前でした。

No.2 Machina Ex Deus きょうじゅ(評議員:偽の教授)

偽の教授:デウス・エクス・マキナじゃないよ
おれの書いたやつその1。裏話を一つ。「絶滅収容所で囚人服を配ったことで、後日裁判にかけられた」という事例は実際にあります。それも殺人罪の共同正犯で。ただしネタ元の事例では結局無罪判決が出ています。

偽のお墓:デウスエクスマキナならぬマキナエクスデウス。お洒落な題名ですね。文法的には合ってるんですかねこれ。何もわからんからスルー。

 単純な金属製の機械ではなく、システムや機構という意味での機械、誰か書くと思っていましたが主催者の一作目で来ましたね。流石。

 ナチスドイツにおけるアイヒマンの「私は命令されただけ」を筆頭に、人間というのは自分がシステムの歯車の一つ、もしくは神の計画のうち、と理屈をつければどんなことであろうと機械的に行えてしまう。それは良くも悪くも運用されうる人間の性質で、本作はファンタジーとして、その人間のサガをある種の寓話として描いている掌編でした。それ一本での勝負なのでそれ以上でも以下でもない作品ですね。

 そういう意味でかなり完成している作品ではあるのですかわ、欲を言えば、最終話はちょっとお洒落に締めようとし過ぎだから丸々いらないんじゃないかと思うくらいです。寓話的にしてはディテールが描こうとされているので、第一の民とか第二の民みたいなのをもっと戯画的にしてしまうか、反対にもっとディテールを詰めて架空史としての強度を上げた方が読みやすいな、と思います。

偽の紫陽花:裁くもの、裁かれるもの、その反転が何度も繰り返される皮肉の利いた話ですが、機械的な人間社会のありようとその滑稽さ、簡潔すぎるほどに簡潔で、小説としての旨味が欲しいと思わされます。しかしこれを極めて小説的に書いたらどうなるか……想像したらちょっとあまりにくるしかったので、歴史書のようなあっさりした文体で語られるがゆえにさらりと消費されるのかもしれませんね。難しい、絶妙なあんばいです。

No.3 夜のプシュケ 千桐加蓮

偽の教授:がんばりましょう
カクヨムのプロフィールを見たら学生の方だそうで……正直言って、それもむべなるかなというくらい、全体的に未熟な作品だなというのが分かります。ちょっと特徴的な、助詞の使い方のおかしさや日本語のセレクトの拙さが目立ちました。まずは、もっとたくさん日本語を読みまくるところから経験を積んでゆかれるべきでしょう。内容に関しても、あまり語るべきことがありません。機械というモチーフの使い方も唐突で、話全体の調和がとれていないという印象です。

偽のお墓:戦争のため、人の脳を吸収して最善策を考えることができる機械の一部になってしまう男とそれを見送る娼婦のお話。題材が魅力的だし、世界観の広がりを感じられるポテンシャルがあります。それだけに短過ぎることが残念。アイディアを面白さとして描き出すのは結構難しいことで、しっかりと一つの作品として仕上げた手腕は素晴らしいので、今度は描かれた世界に生きる人々の詳細や心情を如何に読者に伝えるかを考えていきたいところ。日本という国名も出ているので異世界ファンタジーではなく、近未来を想定した作品なのでしょうが、貴族だったり前述の機械についての設定が今のままではうまく噛み合っていません。絶対に必要というわけではないですが、この世界は何故このような状況になっているのか、人間の脳を吸収する機械とは如何なる仕組みなのかなどのディテールが描かれていた方が、世界観にリアリティがうまれます。

 一話と二話とで語り手が変わっているのもちょっと読みづらい。これも場合によっては効果的な手法ではあるのですが、この長さの短編であれば視点は固定した方が読みやすいし、読者も混乱しにくいでしょう。少なくとも私は初読の時混乱してしまいました。挑戦したい表現と作品で描きたい物語とがうまく相互作用をうみだすかをもっと練ってほしかった。

 マックスの「俺は、共感することで自分を満たしていた」や、セイディの「人の気持ちを汲み取ることができなくなるマックスなんて、大っ嫌いよ」など、要所要所のセリフには光るセンスを感じました。格好いい。

偽の紫陽花:機械になる、あるいは機械である、といった状態、それらに対する作者の解釈やメッセージ性がもう少し欲しかったですね。人間にしかできない(と思われがちなこと)の対極に機械を置いてみた、と言った風で、テーマを完全には咀嚼できていない気がします。また小説を書きなれないような印象も受けました。書きたいことをもっと具体的に、深く絞り込んでいく必要があると思います。

No.4 CURSE MAKER 鍵崎佐吉

偽の教授:二度と地球には戻れなかった
面白かった。んだけど、オチがちょっと淡泊かな。文字数的には余裕があるし、伏線的なものも残っている雰囲気があるので、できればもう1エピソードか2エピソードくらい欲しかったところ。今回のテーマに照らした上で、なんらまったく原理の分からない『カースメーカー』という機械の配置の仕方はとてもよかったと思う。呪いというウェットな要素を、機械が機械的に処理することで話がパリッとしている。総合的には点数高いです。

偽のお墓:全自動対人呪詛機を手に入れた女子中学生が、その機械に翻弄される話。

 呪物なり便利機械を手に入れた主人公が、その力に溺れたり巻き込まれたりするドラえもん的なフォーマットというのがあって、本作もその例に漏れない作りをしています。そのフォーマットの中で、全自動呪詛機という強めのアイディア一本で勝負しているのがもう勝ち。

 ひょんなことからカースメイカーを手に入れて、まずは自分の為に使って効果を確信し、果ては呪いのボランティアを始めてしまう流れが物語として完成度が高く、楽しんで読めました。

 呪いの機械を使っていたはずが、最後には呪いの機械を使って呪いの実在を知ってしまったことで、世界を見る目が変わってしまう呪いを機械にかけられる、というのも綺麗にオチている。便利なアイテムを使って最後にはしっぺ返しを受けるパターンとしても、教訓的にもちょうど良い感じ。世界には色々なものが綯い交ぜになっていることを、中学生がカースメイカーに教えられるという意味で一つの成長物語でもあったかもしれません。でもこの子、呪い返しマシーンを待っている辺り、別に反省したとかではない。もうちっと痛い目に見てもいいぞ。

 カースメイカー。人を呪うのに手順があり、その行程を代行させられるなら機械でもできるというのは確かにそうで、本物かどうかはさておいて現実でも需要がありそうなアイテムだ。とは言え、マニ車は経文を書いてある車輪を回すんだから経文を何度も唱えるのと同じ効果がある、みたいなのと考え方としては同じかもしれないですね。

 機械という題材を呪いというオカルトなモノとうまく結びつけた良作でした。

偽の紫陽花:呪いの機械というよりは呪いを行使する機械となり果てた主人公の物語、と読みました。その仕組み、呪いの方法はこの場合明かされずともよく、そして呪いを行使していた「何か」が何でもよい、問題は呪うべき人間を呪い続けた主人公です。彼女こそ本作でもっとも機械的なものだったと思います。

No.5 MAN/MADE 紫陽_凛(評議員:偽の紫陽花)

偽の教授:そうだ我々は社会の歯車となるより
最初にここが引っかかったんだけど執事が三人いる家かなりすげえな。いや、SFだから19世紀ヴィクトリア朝の感覚をそのまま持ち込んでいいのか分からないけどそれにしても。さてそれで感想ですが、さすがに前回の大賞受賞者、格が違う。中核にあるアイデアそのものは、一般読者の一般的な感性の水準(機械は機械的だが人間は人間的であるというテーゼ)の逆を張ってはいるものの『SFというジャンルの中に置いて見た場合は』そうまで画期的ではないんだけど、本企画の中にあってはやっぱり、かなりの輝きを放ってると言わざるを得ない。まあ評議員の作品なので受賞の資格とかは一切ないんですが、ピックアップには出しました。それをやってはいかんルールはないのだ。

偽のお墓:ジェニー。

 とあるお屋敷でメイドとして働いていたジェニーが綴るお話。

 冒頭で作品設定が、22世紀以降の未来、それも現実と地続きというよりもスチームパンクじみたものであることが、ジェニー目線でさらりと述べられるだけなのが潔くて好きです。特に今回、「機械」というテーマから、ロボットやアンドロイドを描くことを選んだ書き手は多いように思いますが、現実でもロボットやAIが実用化されている昨今、多くの読者にとって一口にロボットと言っても設定にかなりの幅が考えられてしまう。だから、この作品世界においてはこうなのだ、ということわりをどこかで入れなくてはならないのですが、それもあまり説明的過ぎると冗長になるし、どの目線で書かれているのかがわからなくなってしまう。その点、本作はジェニーの手記という体なのがはっきりしているので、余分な設定説明をうまく省いているし、それが作品の味になっているのが大したもの。

 物語としては、お屋敷で「歯車」として働くことを求められていたジェニーが、お屋敷の秘密を知り、お屋敷という「機械」を成り立たせる為により絡め取られていく、というものですが、ここは逆に説明的過ぎたかもしれません。お屋敷がある種の「機械」であること、そしてその中にいる機械人間こそが「機械」から外れた自由を持っているようにジェニーの目には映ったことなどは、読んでいれば理解できるところなので、わざわざ「欲望という名の目的に従って動く人間すら、機械なのかもしれない」という一文は要らなかったようにも思います。この辺は好き嫌いではありますが。

 メイド達から、もしかしたらアンドロイドなのではないかと噂されていた執事長チャールズが好きです。実は執事の格好をしていた整備士だったわけですが、それだけでその噂に納得感がある。ジェニーは「チャールズが無口で機械じみて見えたのは、抱えた秘密の大きさのせいだったのかもしれない」と更に所感を述べているのも良いです。

 機械とは、人間とは如何なるモノかを感じることのできる素晴らしいスチームパンクでした。

偽の紫陽花:自作につき講評なし

No.6 スイッチ・ポイント 志村麦穂

偽の教授:それでも私を破壊するのか?
かなり難解な文体で書かれたハードSF。これは私論ですが、文体は難解でもいいし内容も難解でもいいんだけどしかし難解なハードSFであればこそ、『つかみ』の部分は入りやすくした方がいいんじゃないかと思う。この作品でいえば、「少女」が登場するところから話を始めるとかさ。機械という主題を深掘りしてくださっているとは思うんですが、そのテーマに対して「これが自分の答えだ!」というのを示してもらうところまでを期待している部分があるので、まあそのへんは及第点どまりかなという印象。

偽のお墓:環境マネージャーとして従事していたレオニードの視点で、世界に起こる「スイッチ・ポイント」が語られるお話。

 レオニードがある種の機械であり、本作における機械にはファジー回路という、アシモフのロボット三原則を踏まえた命令項が刻まれていることや、機械が機械と人間の区別をつけられなくなり世界各地で機械が己の選択を始めたスイッチ・ポイントを背景にしてはいるものの、本作自体はあくまでレオニードという個人・スタンドアローンの感じたことを描くに終始しています。故に作中で与えられる情報には過不足はないと思いますが、レオニードが壇上で語る形式を取りながらも、レオニードとユニハの会話を交えた形で物語が進行するのが少しミスマッチのようにも感じました。そういう語り口をレオニードがしている、と考えればそれで良い話ではありますが、それにしてはユニハの台詞の挟み込まれ方が講談としても不自然なところが幾つかあり、そこは統一感をもう少し模索してもらった方が好みだったかも。

 内容自体はめちゃくちゃ好きでしたね。機械と人間の差異の意味がなくなる、それによる機械の反乱など、描かれる物語や語られる事象は王道ですが、そこにファジー回路などのオリジナリティをスパイスとして加えて読み応えを増している。最高ですね。

 作中世界で起こる出来事が、レオニード視点で語られるのみで多くは説明されないのも好みでした。もしかすると描写不足と感じる読者もいるかもしれませんが、スイッチ・ポイントと越え、否応なく選択を迫られる機械と、それにより変容する世界が描かれていればそれで充分だと私は思います。起こる出来事に読者ごとの想像の余地を与えてくれるのも小説という媒体の良いところです。

 ユニハが人間が機械かも明言されていないように読めるのも、本作に描かれるスイッチ・ポイントをより考えさせる為でしょうか。正直、こちらは意図的なものかそうでないのかは判断付きかねました。機械でも彼や彼女という代名詞を使っているところを見ると意図的なようには思いますが。

 世界の行末と余韻の残るラストの美しい作品でした。

偽の紫陽花:スタンドアロンな機械と人間の違いは何か?という問いを投げかけてくる作品。練度の高いロボットSFといった印象で、人間と機械の間を限りなくあいまいにし、物語の重きを「自ら」選択できるアンドロイドと人間に差はないのではないか?という場所に置いています。しかしラストは全てを裏切っていく。暴力を選択した「ロボットたち」はその後どうなったのか。そこが語られずに幕切れするからこそ良さのにじみ出る作品だと感じました。

No.7 川島くんの邂逅 野村ロマネス子

偽の教授:All You Need Is Kill.
全体的に弱い。機械というか、アンドロイド的なものに対するウェットな感情の寄せ方が主題なんだろうとは思うのだけど、正直それって「機械とは機械的なものである」を逆にしただけなので、テーマとしては弱い、あまり強くなっしんぐ、と言わざるを得ないな。わたしはなんというか、この企画全体を通じての話なんだけど、もっとソウルフルなテーマとの格闘を見たいのです。ただまあ、この作品を純粋にSFショートショートとして読めば、雰囲気も文章力もそんなに悪いというわけじゃないんですけどね。俺の顎を殴り抜けるパワーが足りなかったというだけ。

偽のお墓:会社の仕事をロボットに任せるようになったちょっと未来のお話。

 棟田くんと部長を皮切りに、一会社員がそれぞれサブスクで仕事を代行してくれるロボットを借りて仕事を代わりにさせるというのが絵面もコミカルで面白い。コミカルさの描写って、一段階リアリティラインを下げると思うんですよね。本作でも、マウスは使わないけどキーボードを使う棟田くんのサブ・ロボットや、律儀に雇い主と同じリズムで書類に印を押す部長のサブ・ロボットの描写が笑えて良い。ただ、それにしては戦争についての日本政府の動きなどのラストが少しディテールを描き過ぎかも。お話の流れを変える必要はないので、単純に「サブ・ロボットを戦争に行かせる法案が成立しちゃったせいで、仕事を任せていたはずのロボットがみんないなくなった」という事実だけが伝わる描き方ならそれで良いでしょう。はなから、夜に急に法案成立して翌日施行はあまりにスピーディ過ぎるだろ、という現実からは少々離れたところがある展開なので特に。それでいうと経理の桜井さんとのやり取りもギリ要らなかったかなあ。桜井さんとのことがあるから、社内で誰も彼もがサブ・ロボットを使い始めてものほほんと出社する主人公に説得力がある部分もあるとは思います。しかし、物語のディテールは詳しく描くべきところもあれば、そうでないものもあって、本作の場合は後者でしょう。話の整合性よりは、掌編としての読みやすさを優先してほしかった。

 棟田くんのサブ・ロボットと一緒に音楽を楽しみ、ロボットが戦場に送られてしまったことわや本気で悲しんで涙を流してしまう主人公のウェットさが作品全体に良い味を出していて面白かったです。掌編でも主人公の魅力は大事ですねえ。

偽の紫陽花:精巧なロボットと人間に何の差があろうか? という話。この話はロボットに代わりに仕事をさせる仕組みを導入し、しかも持ち主の人格をコピーするという設定で差をつけてきています。そのうえで、ロボットにも個性があると見せつける。丁寧に丁寧に書かれていく会社でのロボとのやり取りに対して、切り立った崖から突き落とされるようなラストが衝撃的でした。ちょっと唐突すぎるくらい唐突でしたが、その唐突な離別がこの話を彩っているのかもしれません。

No.8 女神の歯車 ももも

偽の教授:奇跡も、魔法も、あるんだよ
この作品はチャレンジとしては評価したい部分があるんだけど、結果論をばきっと言ってしまえば成功してはいないものだと思う。ファンタジー世界に機械を持ち込むというアイデアを、うまく料理して哲学的な・あるいは宗教的な切り出しをするのはかなり難しいことで、まあその、正直言ってエンターテイメント性は低いし、世界の叙述という形式の一種のSFとみた場合にもいまいちパリッとしていない印象がある。

偽のお墓:魔力を持つ者が支配的な世界で、主人公とは違い、魔力を持たずにうまれた弟が「機械」を用いて世界は法則で動いていることを示し、主人公もそれを見て同じ疑念を抱く、というお話。ジャンルはSFを選択してこそいますが、機械というテーマでガッツリとファンタジー世界を描いて来たのはすごい。

 この世の魂ある者の全ては女神の御業であり、魔法は女神の加護であるという女神信仰が社会通念として存在する中で、魔法ならざる科学を解き明かしつつある弟と彼が誘われた見えざる大学などに対する主人公の恐怖が実感をもって語られる筆致はお見事。細かいことですが、世界の法則について科学という言葉を使わずに表現しているところが好みです。ジャガイモ警察じみた言葉狩りは馬鹿らしいものもありますが、世界設定を意識した言葉選びはやはりリアリティを生み出すものなので。

 魔法のある世界を描いてはいますが、この世界では具体的に魔法で何ができるのか、どういった形で存在しているのかがもう少しわかる形で描写されていた方が良かったかも。作中で魔法が使われるのは、真空器具の爆発から身を守る際に唱えた防御魔法のみで、本作世界における魔法の実在がいまいち感じ取りにくかったです。防御魔法のくだりがなければ、魔法と呼んでいるだけで実は神秘でもなんでもないという読み方さえできそう。

 弟はあくまでこの世界で胎動しつつある科学に気づき始めた一人で、時計塔の鐘撞機械を筆頭に、これからこの世界の魔法と信仰のあり方は激動の時代を迎えていくのでしょうね。鐘撞機械の駆動に歯車が使われていて、それを模した歯車を利用した時計を弟が作り、最後には主人公が歯車がグルグルと回り続ける信仰なき世界を想像する、というところに繋がるのが綺麗でお洒落。もう少し歯車を象徴的に扱っても良かったかもしれないくらい。

 願わくばこの世界の詳細をもう少し細かく知れるくらいの文字数があとちょっとあればなー。そんな風に、もっと仔細を知りたいと思える面白さでした。少しディテールに凝っているので、この文字数なら見えざる大学とかその裏にいる元皇太子の話なんかは削っても良かったかもですね。

偽の紫陽花:科学が神話を殺していく過程を描いたもの、ととらえました。兄から弟が遠ざかっていくにつれ、弟は機械を通じ科学を通じて女神の不在を解き明かしてしまう。神話殺しの機械文明。個人的に非常に好みの題材です。ここから話がドラスティックに展開していっても面白かったかもしれないな、と思うのが正直なところですが、兄が悟りの手前まで来ているこの場面がラストシーンであることに意味があるのだろうと思います。

No.9 おやすみ、ピアニスト。 尾八原ジュージ

偽の教授:永遠はあるよ。ここにあるよ。
きょうじゅの自主企画におけるトップクラスの常連の一角、そして気が付いたらカクヨムで賞を取って本まで出している、尾八原ジュージさんエントリー一本目。普通にクオリティの高いSFショートショートではあるんですけど、なんていうかな、ジュージさんはものすごく速筆かつ筆まめで、ほとんど年中行事のように日刊長編連載をこなしつつ平然と三題噺を解きまくる超絶ティラノサウルス級トカゲさんなわけなんですけどばっさり言ってしまうとこの作品、「殺気」が足りない。殺気とは何かというと、「この一作品で評議員の脳髄に延髄斬りを喰らわせてやる」的な強いパッションが感じられないということです。いやそんなもの無くて当たり前といえばそうなんですが、このレベルから「上」、小説賞で賞を取るのに必要なものと言うのは「それ」だと思うのですよ。はい。

偽のお墓:世界に独り残った人間のためにピアノを演奏し続けたロボットが、その人間もいなくなり、自分が停止するまでを描いた作品。

 絵本か児童文学の趣きのある短編作品でした。とても良かった。

 語り部であるピアニストロボットは、本当にただピアノを弾く為だけの機能しか持たないロボットなのであり、本作の物語もロボットの視点というよりかは、擬人化された家具や玩具から見た、主の死を悼むお話として読めます。

 一応作中で、求められた楽曲を演奏する為なのだろう、申し訳ばかりの人工知能がピアニストにも搭載されていることは描写されてはいますが、これは敢えて書く必要はなかったかも。ロボットに魂は宿るのか、というのも機械・ロボットを題材とした時に切り離せないテーマではあるのですが、本作に鍵って言えばそこに別に焦点を当てる必要はないように思います。

 ピアニスト以外の、主人が死んでしまってもそれまでのルーティンを続けるロボット達が悲しくも魅力的です。図書館で動きを止めてしまった司書ロボットの話なんて、ホント悲しくなっちゃう。そんな魅力的なお話が4,000字以下で描かれているという事実。すごい。短編は描くべき部分以外は削って削って削りまくった方が良いし、そうしたら大抵は4,000字程度でまとまると思っているのですが、本作も上記で指摘した部分以外、必要な描写だけでピアニストロボットの悲哀を描いているのがお見事でした。

偽の紫陽花:機械に訪れる死の話、そして機械に宿るかもしれない心の話。彼女の発明した人工知能の中に魂の備わる器官があったとすれば、そして彼女の心が孤独に軋むようなことがあったとすれば、それは機械の、ひいては人工知能の見る夢のようなものかもしれませんね。ジャンルを確認しましたが確かに童話がふさわしい。良い作品でした。

No.10 蜘蛛のイト、天のゴウ 森本 有樹

偽の教授:鳥だ。飛行機だ。いや、
なんかひどく文章が荒っぽいですね。講評の場で細かい誤字の指摘をしたりはしませんが、多分これ、一気に書いてあまり推敲をしてないんじゃないかという気がします。叩きつけるような勢いがある。内容についてですが、一種セカイ系的な構成になっており、機械が世界に持ち込まれることによる社会の変革、人類の在り方とは何か、みたいな、他者に対する問いかけというよりは作者自身の思考の格闘のようなものを感じます。小説作品としてよくできているとは正直なところ言い難いのですが、テーマへの挑戦という観点からはちょっと推したいところのある作品だと、わたしは思いました。ソウルフル。

偽のお墓:飛行機の発明から核のような大量破壊兵器まで、現実をパロディした戦争の世紀を駆け抜けていくかのような異世界ファンタジーです。

 これまでに人類史で語られてきた、近代以降の歴史や思想を詰め込めるだけ詰め込んでおり、作者の熱量が感じられる快作として読むことができました。お話やテーマとしては、機械や科学の発展により世界が失って来たもの、その第一歩目に手を貸してしまった女郎蜘蛛の主人公が、世界の変容を見ていくという分かりやすいものです。

 ただ、本作で試みられているような現実のパロディをファンタジー世界に落とし込み、その世界観をリアルに感じさせるだけの設定を語るには文字数が足りないし、上述のようなテーマを描くには逆に語り過ぎという、アンバランスさがありました。また、これは作品の本質とは関係がないことですが、冒頭の「私は運転手に礼を言うと私は?」などの重複表現や誤字脱字もところどころ目立ち、熱量を込めて描かれた反面、推敲の甘いところが目立ってしまったのが惜しい。

 また、本作における女郎蜘蛛や魔女といったファンタジー種族の寿命や本作における世界史年表もよくわからない為、本当に現実の歴史や思想を継ぎ接ぎしただけのものに見えてしまうのも避けた方が良かった。大筋はシンプルなお話だし、真に迫る内容を扱っているのは確かなので、二万字スケールに膨らませようとはせず、もっと哲学的な描写を削って削ってしまった方が良かったように思います。短い文章では見えてこない粗も、物語が広がり文章が長大になるに従って目立ってしまうものなので、物語を熱量で押し切る為には文章を削りまくる覚悟も必要です。勿論、その哲学的な部分をこそ描きたいという想いも見え隠れするので、文章の推敲と加えて本作ファンタジー世界が如何に発展したのか、文章の外にある設定をもう少し練り上げる余地もあるでしょう。

 繰り返しますが、作品に込めた想いの伝わる快作なのは間違いありません。それ故、それに付随する読み易さや伝わり易さも意識するような拘りがもうひとつ欲しい作品でした。

偽の紫陽花:分からなかった……というよりか、ついていけなかった、のだと思います。物語を突き動かしていく主人公の「飛行機」への傾倒、それが何によって担保されてきたのかが途中から分からなくなってしまい(おそらく、夫が死ぬあたりで)、読者としての私が「主人公、止まることができないところまで行く」まで到達できなかったのでしょう。恋と憧憬から始まったはずの物語が、片翼を担っていた恋をあっさり切り捨てていったのでびっくりしたのかもしれません。

No.11 不可能の指環 古永淳

偽の教授:時の爆心
中核となっているネタは時間遡行系のSFショートショートとしてはスタンダードなアイデアではあるんですが、綺麗にまとまった美しい掌編だったと思います。飛行機の物語でもあり、タイムマシンの物語でもあるというのが、機械というテーマの消化の仕方としてはかなりうまい。力作です。

偽のお墓:二次大戦前後のアイルランドに生きる一人の飛行機技師を描く歴史物。──と思いきやタイムマシンの話になり、最後にお話が最初と繋がるようななっている、円環の物語。

 現在を変えるような過去改変は不可能だけれど、それほどに意味をなさない、個人に対する過去改変ならば可能だということを主人公が、過去のマリーの左手から抜いた指輪から気付くことが、本作が一種のループものとして読めることを象徴しているようにも読めて綺麗。ここは意図したものかどうかに関わらず素晴らしいです。本作の指輪じゃないけれど、意味がないように思えるものでも、誰かの心のうちには意味のあるものを生み出すことがある。

 考証ガチガチのSFというわけではないので別にあまり気にする必要のないところではあるのですが、タイムパラドクスに関する説明はもうちょっと欲しかったかも。現代のフィクションにおいて、タイムパラドクスに関しては作品ごとに取り扱いが異なり、一言で片付けられる問題ではない為、気になってしまったのが正直なところです。「タイムマシンを作ることはできたし過去に干渉はできたけど、それでもなぜだか大きく現在が変わるわけではない」ということだけがわかればそれでいいので、この辺りの描写の取捨選択はもう少しだけ整理する余地がありそう。念の為言っておきますが、これは設定を詰めた方が良いという意味ではないです。作品に必要な描写がどうかを精査すると良いという話ですね。

 最後に主人公が、過去のマリーを飛行機に乗せようと考えたところがすごく良かった。文字数のスケールもちょうど良く、リーダビリティも申し分ない、小さな希望のある物語をどうもありがとうございました。

・偽の紫陽花:タイムマシンと、その科学力でもっても歴史を変えることができないという不可能性。機械というテーマとタイムマシンを接続するにはいささか遠い気もしますが、空飛ぶ機械としての飛行機が、その間を取り持ってくれているような構成でした。不可能であるからこそ可能なことがある、からの伏線回収は見事でした。タイムマシンで改変できない世界こそが「機械」的であるのかもしれない、とも思います。

No.12 メンテナンスのお願い 繕光橋 加(ぜんこうばし くわう)

偽の教授:メカニカルダンス
正直、悪い意味で難しいです。難解ということではなく、このエピソードの語り手が誰なのか、何を主題とした物語なのか、ということがうまくこちらに伝わってこない、という意味で。これはわたし一人の意見なので他の二名には別の気付きなどがあるかもしれませんが、もう一回読み返してまで内容をくみ取りたいと思わせる何かもないかなー、というのがわたしの素直な感想ですね。

偽のお墓:電動キックボードという、現実的な題材についてを扱った手記。あくまでフィクションであるということを前提として、その事実確認やら問題提起の是非やらについてここで語るのは場違いだと思うので割愛しますが、丁寧な文章で、実物を利用したり、ニュースで聞いたりしてるであろう、新しい機械としての電動キックボードについて、元警官の語り部が所感を語る手記。現実と地続きのテーマなので読者にも想像がしやすいですね。生活を便利にする機械が現れることと、その法整備や安全問題は切っても切り離せないもので、それを実感を込めて書いているのが好印象。電動キックボードにしてもドローンにしても何にしても、機械に関する技術と法整備は、当然技術の方が先に来るのがほぼ常であり、社会が機械を用いて発展していく以上、誰にとっても避けられない議題です。私自身、先日自動車というテクノロジーを使用しながら不注意で事故を起こしてしまったのもあり、身につまされるところがありました。

 ただ、本作は良くも悪くもそれだけの話で、それこそ教習所の啓蒙動画みたいな雰囲気すらあって、物語としての面白さを見出しにくかったのが正直なところです。

 読みやすく、人の感情に訴えかけてくる文章を構築することは出来ていたので、その技術を利用して、もっと現実から飛躍したフィクションを読みたいところでした。

偽の紫陽花:テーマのど真ん中を射貫いてきたなと思います。三篇で構成される小説というよりは共通の登場人物が出てくる短編集といった趣でした。ですから、1から3のそれぞれにそれぞれのエピソードがあるんですが、それが全くばらばらに働いているような状態です。1から2への流れは非常に自然なのですが、そこから過去へ飛ぶ3は、きっと「機械」というテーマに寄せたい作者様のメッセージであったのかもしれませんが、若干浮いて見えます。ですが3もまた「機械」の核心をつくものであるので、難しいところですね。

No.13 SOMETHING IN THE AIR クニシマ

偽の教授:奇々怪々
かなりの野心作が来た、と思いました。信頼できない語り手というか、結局どうしてどうなって何が起きているのかは明瞭ではないのだけど、とにかく掻き立てられるような不安感があって、そこにギミックとしての「機械」の効果が効いているというのは構成としてうまいです。現時点ではかなり訴求力の高い位置につけている一作ですね。

偽のお墓:これはちょっと面白かったですね。

 小説というのは、映像媒体などと比べても、自分とは違う他者の思考をトレースしたり、表現することに適したツールであると思っています。本作は、非日本語話者の機械翻訳による手紙の体を模した掌編となっており、その試みには心惹かれました。なるほど、機械という題材から機械翻訳を描くことを選びましたか。思いつきそうで思いつかない連想でしたね。

 しかしその分、本作は読み易さを引き換えにしてしまっており、文章と物語を読み解くのが無闇に困難になってしまっているのが事実です。機械翻訳の読みづらい文章を模倣しているので、当然といえば当然ではあるのですが、何かしら配慮があっても良かったかも。たとえば、本作を読み始めた時点では、不自然な日本語が目につき、まるで機械翻訳のような文章だとは思いはしますが、それが実際に機械翻訳によるものだとわかるのは手紙の後半部分を読んでから。それまでは、宇宙人なのかロボットなのか統合失調症かなんかなのか、何もわからないままに読み進めることになってしまう為、もう冒頭から本作が機械翻訳による文章であることを明かしてしまった方が、読み手にもストレスを与えないでしょう。実は機械翻訳でした、という叙述トリックを狙ったものかもしれませんが、その狙いと引き換えにするにはリスキーな試みであったように思います。

 色々と提案を言いましたが、こういう試み自体、私はかなり好きなので「なるほど」と唸りながら読むことができ、満足でした。

偽の紫陽花:帰ってきて。というのはまず置いておいて、エアコンと翻訳AIという二つの機械を中心に据えた非常に挑戦的な作品でした。問題は非常に読みづらい事です。が、この読みづらさは書き手の書きづらさと連動しているものですので、この小説、あるいはメッセージの向こう側にいる、エアコンを付けられない中、翻訳アプリを使って、どうにか配偶者にメッセージを送ろうとする、困惑して疲れ切った親の姿が見えるようで、演出方法としてはこれ以上ないと思います。言語的なアプローチは、「育児につかれた親」というテーマを立体的に見せています。良かったです。っていうか、帰ってきて。

No.14 終末を巡る旅 南沼

偽の教授:機械たちの時間
人類は(多分)完全に滅亡した後、ヒトに似せられた者たちとヒトの脳だけを残した者たち、つまりはアンドロイドとサイボーグだけが地上を闊歩するようになった世紀末世界を彷徨う、ボケてしまった老サイボーグとその連れの青年っぽいアンドロイドの物語。機械というテーマに対する哲学的な探求とかそういうことではなく、直球で「機械が主役のSF、でありながらヒューマンドラマでもある物語」を非常に高い完成度でまとめている。パーフェクトだウォルター。

偽のお墓:人類滅亡後の世界で、一人のサイボーグと一体のアンドロイドが旅をする、ポストアポカリプス作品。

 脳も衰退し普段はボケてしまっているが時折正気に戻るサイボーグ老人のハクスリーと、彼に拾われ彼の息子として共に旅を続けるアンドロイドのテッドのコンビがとても魅力的。全体的にシネマティックな雰囲気があるのが良いですね。テッドが亡くなったハクスリーを埋葬する哀愁のあるエンディングといい、そのまま映画の脚本としてリメイクできそう。

 本作世界においては、アンドロイドが予期せぬ動作を繰り返すころになった『断絶』と呼ばれる大災害によって生身の人間は滅び、終末の世界となっています。断絶後の世界では、元々人間だった者も身体を機械化し、アンドロイドも彼らなりの自我のような物を手に入れ、機械と人間の差が曖昧なものになっている。この『断絶』は機械と人間の違いとは何かを描く上で、設定としては簡素的で分かりやすく、お話に集中できる程度の説明だけされるのが親切でした。

 終始、ハクスリーとテッドの一筋縄ではいかない関係性を軸にお話が進むので、SFとしても難しいところはなく読みやすい。私もこういうSFを書くよう心掛けたいものです。

 物語としても破綻らしい破綻や、大きな情報の過不足も見受けられず、かなり完成度の高いプロットでした。強いて言うなら、簡素な設定と読みやすい文章なだけに、扱われるテーマが王道に過ぎるというところでしょうか。最後にアンドロイドであるテッドが、死んだはずのハクスリーの声を聞くラストは美しいですが、それが「機械にも魂は宿るか」「サイボーグとアンドロイドに果たして違いはあるか」という手垢のついたテーマを扱うにしては少々綺麗すぎるラストのように思えます。これは多分に好き嫌いを含みますが、最後テッドが聞いた言葉を、正気とボケを行ったり来たりするハクスリーの如く、機械のバグかどうかわからない曖昧模糊なものとして演出した方が私は好みでした。この辺り、思想の違いなので難しいところではあります。

 とは言え、総合的にはポストアポカリプス世界観で、ちぐはぐだが確かに絆を感じられる二人のロードムービー的作品として大変面白く読むことができました。

偽の紫陽花:これ四千字? 文字数二度見しました。頭からつま先まで世界観たっぷりなロードムービーでした。実は私「こういう話」に弱く、今もみぞおちに何発か食らったような気がしています。こういう、というのは「博士の愛した数式」とかです。テッドの献身的な応答、そしてハーパーの殺意、よほどアンドロイドのほうが人間的に見えるのですが、永遠を生きる(可能性がある)彼らに対応するハクスリーの「老い」が、人格が豹変するように思えるほどのその脳機能の低下が、逆説的に人間らしさを表現していて好きでした。こういう話に弱いので最後ちょっと泣きました。

No.15 迷宮にて 鍵崎佐吉

偽の教授:ダンジョンダンス
えっ?あれ?オチは?これで終わり?ってなった。ワクワクしながら読んでたんだけど。結局、この迷宮は何だったんだ?もしかしたら「物語全体を分析すれば答えが分かるようになっている」という構造なのかもしれないけど、正直言ってわかりませんでした。つまり、この遺跡そのものが機械構造体だった、ということ?肩透かしを食らった気分です。短編は分かりやすく落としてほしい。特にこういう風に、はっきりと謎を伏線に敷いている作品の場合は。続きが読みたい。

偽のお墓:王都郊外に出現した謎の遺跡を調べていた調査隊の報告書という形で描かれるファンタジー短編作品。ではありますが、描かれている遺跡の構造や、遺跡内部で死ぬと広間にリスボーンするようになっている仕様、どれほど深く潜っても排泄や食事が必要ない不思議な空間である、など報告書に書かれている遺跡のどの特徴も、ローグライクRPGにおけるダンジョンのそれであり、本作はRPGに登場するダンジョンがそのまま実際にファンタジー世界に出現したのをその世界に生きる調査隊の目線で描いた作品と読むことができます。実際、報告書の内容も自分たちを見つめる何かの眼差しの存在を示唆しているけれど、これはゲーム開発者やゲームプレイヤーのことを示していると取っても良いしジャンルはハイファンタジーとなっているけれど、「この世界は上位次元の存在にとってみれば何かの物語やゲームのような存在かもしれない」とする極めてSF的なテーマを扱う構造を志した作品でもありました。

 読み始めた時は本作のどこに「機械」のテーマがあるのかと思いましたが、ローグライクダンジョンという機械的な存在と、それが存在する世界そのものがある種の人工的なモノである可能性があると読むことができるというわけですね。なるほど、面白かった。

 文体が報告書らしく固いものになっていたのも、本作の面白さを底上げする要素の一つになっているようで好印象。描こうとしている内容が、いささかメタ的なのでそこを読み取ることが出来なければ面白さが半減以下になってしまいそうなのが難点。わかる人がわかればそれで良くて、お話としても面白ければ尚良かったかも。今のままでは、それこそRPGで冒険中に拾える作中文書みたいな退屈さがあるのは否めないので、そこは改善の余地ありでしょう。ギミックに執心して読み易さを犠牲にしてしまった様子。若しくは、そういう雰囲気も込みで描きたかった作品なのかもしれずその場合、私からこれ以上言えることはありません。

 機械という題材を元に、中々に興味深い試みのある作品で面白かったです。

偽の紫陽花:うまい……とうなってしまいました。こういった形で「機械」にしてくるとは思わなかったです。けれども、読者がこれをうまく「機械」に接続できるかどうかはそれこそ読者にゆだねられていると感じます。機械そのものが出てこない機械小説としては成功しているのかもしれませんが、テーマとしてはやや逸れているような気もします。

No.16 再演 押田桧凪

偽の教授:ボイスレス・スクリーミング
シビアに文芸評論の観点から分析すればちょっと設定がとっ散らかってたり要素と要素がケンカしてる雰囲気があったりしなくもないんだけど、押田桧凪さんの独特なウェットな作風、わたしは割と好きです。妙に小説として洗練されすぎていない、その不安定さみたいなものがね、味になっていると思う。この小説が喫茶店で、家から歩いて十五分くらいのところで営業していたら、たぶん二ヶ月に一回くらいは行ってしまう。そんな感じ。

偽のお墓:とても良かったです。

 国民的声優をしていた母を継ぐ、二代目声優を「再演」することになった主人公の心の揺らぎを描く文学的作品。

 人は誰しも生きているだけで演技をしていて、その本物と偽物の境を真に理解するのは難しい、と私は思います。だから、世間から求められるような感情や仕草、そして声を演じようとする主人公には共感する部分もあるし、そうすることでしか生きていけなかった彼の切実さを感じ取ることのできた本作には読んでいた私も心揺すられました。

 主人公は、口腔用アダプターを利用した声で母の声を再現させられることになり、それ自体は現実的にもありえなくない要素と読めますが、それ以外にも感情チップというSF的なガジェットが描かれていて、それもまた作品世界を広げてはいます。しかし、これは些か詰め込み過ぎかな、と。母の声を再演することになる主人公、そしてそれを求める世間と溝辺
の存在というのが話の軸として存在しているので、SF的ガジェットは寧ろ物語のノイズになってしまっている。また、機械を使って声を作る自分のことも機械だと主人公は自分を揶揄する意味で言うわけですが、これもSF的ガジェットが下手に存在しているせいで、主人公が実はアンドロイドか何かなのか、みたいな無用な読みをさせてしまいそうなところもあり、扱うガジェットは一つに絞った方が読みやすかったと思います。フィクションにおいて嘘は一つであるべきだ、なんて言説がありますが、短編においてその説は大いに参考にすべきものというのが持論です。描くべき主人公の苦悩にフォーカスを当て、作品世界を広げることは抑えて欲しかった。口腔用アダプターか感情チップ、どちらかの描写だけで機械の題材もクリアすることですし。

 とは言え、描かれた題材は見事に私に刺さりましたので、批評的なことを書く前にまずは賛辞を述べ上げました次第です。

 本当に良かった。また、こうした世間に対する苦悩を描いた作品を期待します。

偽の紫陽花:演じているお母さんの声を完璧に再演することのできる息子の話。びっくりした。「機械」というテーマの使い方といい、「感情チップ」という小道具の使い方といい、綿密に計算しつくされた小説だと感じます。無駄が一切ない。それなのに、息苦しさも感じなければ、彼らの振る舞いや動きのなかに窮屈さは見られません。びっくりするほど出来上がってます。

No.17 Mayday 月見 夕

偽の教授:I am your father.
いちおう話の骨格は機械化人間もののSFではあるんですが、いろいろな要素の寄せ集め、ごった煮的な印象が強く、家族愛の話をやりたかったのかなあという印象はなきにもしもあらずではあるんですが、ちょっとそうだとしてもピントの寄せ方が甘いかな。という感じがしました。

偽のお墓:身体を機械化する注射を打った男が、自分と同じように兵器とする為の赤子を育てることになる話。

 子供を育てることになった無骨な男という題材ははやり映えるもので、本作においてもアンドロイドと呼称される機械化兵として実績を上げていた主人公が、上官の命令で赤子を育てて情を持つ内容は心を打つ。ただ、子供の親への呼びかけが変化していくことで成長過程が飛ばされていく承太郎みたいな演出は漫画など絵があるならば映えるけれど、文字で描かれた際に効果が薄いような気もするので一考の余地ありです。

 アンドロイドに対する差別も上官からのものや町の人の反応など多角的に描かれていて、リアリティをもって描かれていました。

 最終的には育てていたアレクが爆撃により死んでしまうやるせない展開を迎えてしまうわけですが、そこで戦争の為とは言え非情な選択を嬉々としてする上官と、子を失い感情を殺すしかなかなくなった主人公の対比が、果たして本当に人をやめているのはどちらの方だったのかを考えさせるシークエンスになっているのが憎い。

 全体的に、面白いプロットにはなっているので、先ほどのアレクの成長過程の演出など、この物語をより魅力的に見せるためにはどんな文体で、どんなエピソードを入れて、逆にどんな設定なら間引いていくべきかをもっと考えていきたいところです。面白い物語を構築する力は充分だと思うので、そこに更に肉付けをしていけることを期待します!

 因みに、アンドロイドという呼称ですが、一般的には人型ロボットを指す言葉であり、一応本作においては機械化注射をした人間のことをアンドロイドと呼ぶと書かれてはいますが、主人公のことをロボットと呼んで挑発する上官の様子などはそうした作品世界の設定ありきで読まなくてはならず、少しわかりづらい形になってしまっているように思います。オリジナルの単語を何か考えても良かったんじゃないかな。絶対に変えないといけない要素ではないものの、少し気になってしまった点でした。

偽の紫陽花:人間が機械化することのできる世界で、戦士として戦っていたある男が子供を育てるのですが……彼は鋼鉄の身体を持った人間であり、機械などではなかったのではないか。どうして完璧な機械にしてくれなかったのか。そう考えることこそ彼が人間である証左です。滅びゆく機械の身体が最後に見た夢が切なすぎる。作者をあまり見ないで講評を描くようにしているのですが、さすがとしか言えません。エモーショナルの鬼、月見夕。

No.18 アラビアータの夢 ポテトマト

偽の教授:黒の夢
えーっとね……こういう身もふたもないぶった切りはあまりしたくないんですけど……『夢落ち』はやめましょう。まだ意味不明な幻想文学としてレアで齧らされる方がましです。正直げっそりしました。

偽のお墓:待ち合わせに遅刻した彼氏を喫茶店で待つ女性の心情を詩的に描いた掌編作品。

 誰かを待っている時間というのは、普段なら目に付かないような風景や、耳に届かないような音が気になって、考えなくてもいいことを考えてしまう。また、時計を見てまだこれだけしか経っていないとか、こんなにも時間が経っていると感じてしまったり。そしていつしか微睡んで、時にはスパゲティパスタのように論理的整合性の取れない白昼夢に誘われる。

 作中で女性が指摘するように、時計、特にデジタルに秒数を刻む時計がある現代は、時間というものをかなり機械的に扱っている時代なのかもしれません。時間を時計で測っている、この世界のあり方そのものが機械的である、ということですね。

 意図的に読み手に解釈を委ねるタイプの作品ではありますが、小説としてはもう少し物語としての体を成しても良い。女性が読む本の中に書かれている単語から、この語り部は実はもう死んでしまっていて、時計の支配する機械的な世界とは訣別しているのでは、みたいな読み方もできそう。色々な解釈が許されるのも詩的な作品の良さですが、小説は一般的に、一応は物語を求められていることは前提として持っておくべきです。

 描かれている解釈が自由な作品なのであれば、それとわかるような描写をした方がいい、という話ですね。歌の歌詞は基本的に解釈は自由ですが、それは歌の歌詞という前提があるからで、小説という前提がある本作の場合はどこかに但し書きがあった方が読み手の納得感も増すでしょう。

偽の紫陽花:よくわかりませんでした。このわからなさが味と言えば味になるのですが、この場は「機械」というテーマを与えられた企画ですので、そちらの趣旨にのっとって吟味させていただいています。機械というテーマに対するアンサーとしての「スタンス」のようなものはぼんやりと見えてきたのですが、すっぱり言ってしまうとあまりにナンセンスでした。ナンセンス文学をめがけて書いたのであればこれは成功と言えます。

No.19 天使を呼ぶ為の機械 きょうじゅ(評議員:偽の教授)

偽の教授:元ネタありきではあるんだが
俺様の作品(二作目)。タイトルだけ決めて、でもどうしてもプロットが決まらずにほったらかしのままで、日程も押し迫って諦めてたんだけど、突然「天使を呼ぶ機械と呼ばれる歌姫」というアイデアが浮かんで、一時間かそこらで一気に書き上げた。歌姫のイメージモチーフは実在の特定の歌手ですが、内容が内容だから具体的に名前を出すのはやめておく。

偽のお墓:スワンソングからのスワンプマンのサブタイトル変遷、ちょっとおしゃれだな。そんなところに感心してしまいました。こういうの結構好き。

 機械になりたかった主人公が、望まざる形で機械になった話として読みました。

 天使を呼ぶ為の機械と呼ばれる程の歌姫であったライラが、その歌声を維持するために根拠もなく、本人が言うには儀式として奔放な性行為と薬物を乱用する様は、逆に彼女が決して機械ではないことを示しているようで辛く悲しい。アーティストがその作品世界の為に薬物に頼るのは太古の昔からの常であるので、彼女の行為もそれをなぞっているに過ぎないんだけど、自分が天使を呼ぶ為の機械であり続けなくてはならないんだという承認欲求と責任感のようなものが綯い交ぜになった感情は、薬物と共に確実に彼女を蝕んでいて、それを誰もまともに見もしなかったから、歌姫ライラはあんな結末を迎えてしまったのでしょう。

 作品として荒削りな面が否めず、例えばライラとマネージャのリンネとのエピソードやライラの恋人であった弟とのエピソードなど、語られるべきが語られていない部分があったので、その辺りをもう少し練り込んだ完成版を読みたいところです。特にリンネがここまで甲斐甲斐しくライラの面倒を見ることになった、彼女をこのようにしてしまった責任とやらがどういうものなのかはちゃんと知りたい。

 描写不足の惜しい作品だとは思いましたが、それでもよくも魅力的な設定を描いたな、という感想です。

偽の紫陽花:彼女はずっと天使を呼ぶ為の機械をやっていたのだなぁと思います。自らが機械として機能できなくなることへの恐れが、彼女を狂気へ駆り立てたのだとすれば、彼女は「その時」こそ最も人間らしかったように思います。機械的に美しい声で歌い、歌い続け、果てに声を奪われる。最後に天使が降りてきたことが、ありふれた感想ですが「よかった」と、そう思います。

No.20 エリス おなかヒヱル

偽の教授:ロボット二原則がありますから
アンドロイド購入もの(さもそんなジャンルが普遍的に存在しているかのように言ってみる)。とりあえずのスタンダードな出だし、と思っていたら突然盛大にロボット三原則が無視されるので衝撃を受けた。まあ、それはちゃんと設定として消化されているからいいんだけど(オチでもう一発無視されるのもいいとして)、戦争がどうちゃらというところに話を持って行くよりは、家庭の物語、あるいはエリスとその家の問題というところに焦点を当てて結んで欲しかったかなという思いがちょっとある。まあ、短編小説としてはそこそこの出来であるとは思いますけどね。

偽のお墓: 持ち主に好意を抱いたロボットが、その持ち主の為に殺人を犯すタイプの話。

 本作においてはロボットのエリスが、見た目は裕福そうな家庭に買われ、そこで自分の持ち主である七歳の男の子のランが父親に虐待されていることを知り、ランの為に父親を殺害する。この間、わずか一日。そして殺人を犯したロボットのエリスは警察に連れていかれ、今度はその罪を償う為に戦争に向かえと命じられる。物語のジェットコースター具合がすごい。ピノッキオの冒険でもこんな目紛しくないぞ。こちらのエリスはピノキオのような少年ではなく、美しい女性の姿のようですが。

 ただ、このジェットコースター具合は寧ろ本作の味でしょう。子供の為にエリスを買った筈なのに、自分の障害となると見るや否やエリスを突き飛ばす父親にしても、敵国は老人と障碍者を迫害した蛮族なのだから滅ぼしても問題がないとロボット達を戦場に送る軍服の男にしても、現れる人間の登場人物のどれもが論理的には支離滅裂な言動をしているのも、逆に人間らしさの描写に思えます。アンドロイドを扱った作品は、ピノッキオの冒険をなぞることが多々ありますが、本作で起こる出来事はいささか童話的で、だからこその魅力が含まれています。けれど、だとするなら軍服の男のあまりに長い演説はちょっと要らなかったかも。

 彼の言葉は世界観の説明にもなっているわけですが、このジェットコースター的展開のある本作においては、あまり作品世界のディテールは語る必要はない。リアリティラインを低めに取ってしまった方が良い。具体的には、スピルバーグの『A.I.』みたいな感じ。あの映画もピノキオじみたお話で結構賛否の分かれる話なんですけど、リアリティラインが低いんですよ。寓話的と言って良い。物語は別にリアルに寄せることだけが正解ではないので、自分の描く作品はリアルと寓話的世界観、どちらの方に寄せるべきか作者は自覚的でいた方が作品も面白くなるのではないでしょうか。

 っていうか深読みするとあれですよね。多分、ロボットが殺人を犯すかもしれないのに一般家庭に買われて機動するの、人に代わって戦場に行かせることも見越してたりしますよね。

 最後には望まない人殺しをすることは選ばずにこめかみに向けて引き金を引く悲劇的なラストも好きでした。

偽の紫陽花:最後まで人間として生きたかったロボットの話。いえ、たぶんこれは徹頭徹尾人間の話です。機械が知ることのないものとして夢を挙げていますが、最初からあの家に適応し、ランのために行動できたエリスなら夢の概念くらいは心と一緒にインプットされていそうだな、という勝手な感想です。

No.21 ロボ 尾八原ジュージ

偽の教授:われはロボット
侵食系ホラーもの(多分そんなホラージャンルは存在すると言っていいんじゃないかという気がする)。お茶の間に異物が侵入してきて、日常にヒビが入っていくという種類の怖さを描いたものですね。これねえ、ホラー小説としてはすごくよくできてる。ジュージさんは今やもはや角川のホラー文芸をしょって立つ気鋭のホラー作家なのであり、そりゃホラー書いたら強いさ。だが、これを『機械』という主題に対する回答としての作品、として分析したらどうなのかな、となると、かなり考えてしまう。いや、「小説としてはいいが主題に対する回答が弱い」というよくあるパターンのぶった切りをしたいんじゃなくて、「よくできてるんじゃないだろうかという気もする」ので悩むんです。これが「ロボ」ではなく「ドッペルゲンガー」でも成立するかというと多分、別の話になってしまうし、うーん、これは、迷うけど高得点ですね!そういう結論になりました。高得点!

偽のお墓:家族が奇行を始める系ホラー。なんでだよ。

 ペッパーくんを家族として扱う人も世の中には少なくないので、ある日家族がロボットをヒューマノイドロボットを買って来てしまうことは現実にも全然あることだとは思うんですけど、それを何の説明もなく弟だと言って、しかも生きている弟は普通にちゃんといるという奇妙な状況は笑えば良いんだかなんなんだかわからない滑稽さ。そんな滑稽さが段々と恐怖に置き換わっていくのはもはや職人芸という他ありません。

 最初は主人公のことを「兄さん」と呼んでいたロボットがちゃんと実在の弟をトレースして、名前で呼ぶようになるの嫌らしいな。それがあるからこそ、主人公がロボットに「ミツルだってずっと前からロボットじゃん」と言われて動揺し、不安感に駆られることに繋がるので前振りとしてしっかり効いていてホラー感を増す為の準備に余念がない。自分が人間であることを証明しようとして血を流すの、もう侵食がちょっとどうしようもないところまで来てますね。

 ロボットを弟だと言って家庭に持って来た母親に、その真意を聞こうとしないと聞けないくらいにコミュニケーション不全になっちゃってるから起こってしまっている展開なので、ロボットはある種の引き金になっただけで、この家族はとっくに限界を迎えているんだよ、ということでもあるかも。

 オチが少しわかりづらかったですね。お母さんが今度は弟じゃなくて、お母さんを買って来たってことでいいのかな。

 人間の仕事がロボットに置き換わりつつあるってそういうゼイリブみたいなことじゃねーのよ。面白かったです。

偽の紫陽花:ホラーだ⁉ 生身の弟と機械の弟がすり替わっていく過程といいその途中の作劇といい、ラストシーンの緊張といい、作者の真骨頂をこれでもかと見せてくるのですが、作劇の方が勝ってしまって「機械」が薄れていくのが惜しくてなりません。テーマ的には一作目の方を推したいですが、物語のおもしろさ的にはこちらを推したい。そしてこんなことを書籍化作家相手に書いている自分を殴りたい。

No.22 花容を刷く 田辺すみ

偽の教授:運命の糸を紡ぐもの
田辺すみさんの文章を読むのは初めてではないのですが、それでも最初の一話を読んだだけでなんたる美文かと唸らされた。物語自体も非常に端整で、それでいて前後の歴史背景に疎い人間でもすらりと読めるように情報のコントロールが為されており、非常に高い技量を感じます。いちおう印刷機の話はありますが、この作品における「機械」は哲学的随想の核という印象が強いですね。かなり面白いアプローチであると思います。気に入りました。もう一点触れておくと、これだけ重厚な雰囲気の作品が八千字足らずというのも凄いな。びびる。

偽のお墓:近代化に向かっていく東欧に生きた女達の視点から、変容していく国家をそれぞれが文字で綴ろうとした歴史には残らない記録のお話。

 作中でもホッブスの言葉が引用されますが、かように国家を一つの機構と見て、近代国家が形成される史実を描く、というかなり難しい題材を書いていただきました。

 オスマン帝国はその後、国民国家化するヨーロッパ諸国から取り残されて滅亡した国家と認識しています。

 元々この時代に興味があって、ということだとは思いますが、本作に通底する前述のテーマを描こうとした時に、その周辺で生きた人々を選んだのは単純に面白かった。今回の参加作品の中でも、個人的に機械というテーマならこういうのも読みたかった、という作品の一つですね。正直、かなり面白かったです。ありがとうございます。

 歴史的な視点からマリア、アズル、ナターリアの三人の女性から国家という機械(機構)を描いていますが、分かりやすく伝わるようにホッブスを引用したり、当時の言葉としてはなかったろう国民国家という単語を使うようにするなどの選択をしている様子が伺えますし、かなり苦心したことと思います。その苦労を前提として、短編作品として気になるところとしては、ただでさえ東欧周辺の歴史物という多くの人にとっては馴染みのないものを扱っている上に、章ごとに視点が変わっていってしまうと、物語を追うことにも混乱してしまう、というところです。そもそも歴史群像劇として描くには二万字は短いという問題点もありますが、文字による記録という体を取っている以上仕方ないことではありますが、一人称による表現には一考の余地があるのではないか、と。全員の一人称が「私」になっているので、初見では視点が変わっていることが伝わりにくい。「アズルの物語」以外の文章は三人称で描くなど、少し工夫をして欲しかったです。

 珍しい題材はそれだけで価値があるものと思いますが、読みやすさを意識して推敲することで更に多くの人の目に触れる作品になるポテンシャルのある作品とお見受けしますので、ぜひとももっと煮詰めてほしいと思えた一作でした。

偽の紫陽花:「機械」というテーマでこのような作品が出てくるとは正直思っても見ず、講評のことも忘れて読みふけってしまうほどでした。個を文字や部品にたとえ、歴史書を個の集まり、国、あるいは機械全体と考える。読み違いでなければ、カサンドラは機構の一部として生きざるを得なかった人の一人であって、個である以前に「後継者を産む」役割を課せられた部品であったのだろうなと思います。そんな中でナターリヤやマリアが自分の物語を「紡ぐ」ために決意をする。語り手が女性ばかりなのは偶然ではないと思っています。物語を連れて行くナターリヤの姿、マリアの強い意志のなかに、書き続けていく自分自身の姿を映したとき、身が引き締まる思いがしました。好きです。

No.23 うみすを持つ クニシマ

偽の教授:生めよ。増えよ。地に満ちよ。
出だしがいい。『川端、と呼ばれていて、北川、と呼んでいた。私と彼女の仲はあまりにも曖昧だから、確実なことはそれだけだ。』情報が無いのに、その情報が無いということが強い情報になっている。強い。それだけで二人の間に何かがある、ということがうまく演出されている。で、話ですが、たぶん類型としてはガロマンスものだと思うのですが、あえて「機械」という要素を意外なところに置いて鋭く斬り込むように用いるこの演出技巧、悪くないですね。とてもよかったです。クニシマさんの真骨頂みたいなものを感じた。

偽のお墓:思春期に交流した友人のことをふと思い出して再会する話。「産む」機械としての女性という性を、多くの人はその体が作られていく十代の頃に否応にも考えざるを得ない。だからそこから外れる者を奇異に感じるし、その目線はちょっとしたことがきっかけであったりもする。一作目では機械翻訳という題材で作品を書いていたクニシマさんの二作目ですが、こちらも「機械」という題材の使い方として、良い感じたにズラしていていて良かったです。にも関わらず、内容はかなり真っ直ぐしたものであったのも好印象。

 女性は産む機械と政治家が発言してバッシングを受けた騒動も、もう二十年近く前になるんですね。そういうのも含めて、忘れていた過去な扉をこじ開けるような小説になっていると思います。

 本作は川端と北川の二人が家出をしたエピソードを中心に書かれます。二人の関係は簡単に親友と呼ぶようなものでもない。一緒に家出をした共犯者みたいなものですが、そういう関係は当時は違っても後から見ると、確かに青春と呼べるものになっていたりする。そういう人生の機微の一つの例が描かれた作品でした。

 文章も5,000字スケールにあった内容で読みやすかったです。特に付け加えたり削るようなエピソードもない、完成されたプロット。

 何となくこの二人のような距離感の友人と呼べなくもない誰かとの交流の記憶がある人は少なくないと思うし、そういう人の心をしっかりと刺しに来ているのが至極素晴らしかった。

偽の紫陽花:幼いころ聞いた誰かの暴言がそのまま今の私に接続される。そんな作品でした。これは誰の、何の物語なのかと言ったら、間違いなく女性の物語ですよね。評議員の中に女性は私一人ということで長めに語らせていただこうと思います。このお話ですが、いつだったか忘れたくらい前に、あらゆるメディアでセンセーショナルに語りつくされた「子供を産む機械」という言葉がキーになっています。しかし当然、至極当たり前のことですが、それはその通りでしかないんです。女性は子供を産む「機械」です。そのような「機構」をもちあわせた性です。本当のことですから必要以上に炎上したのもあったんでしょう。ですが、機械ということばは人間の半分にあてはめられるほど柔軟なことばではありませんでした。私たちは機械ではない。そうした反発が女性の間で起こったことがありましたね。この物語は、そうして一度世の中に顕現した「機械」「機構」としての女性を描いたもの、さらにはこの社会そのものを「機械」としてとらえたものと思って読みました。産む性というものは機械的にメンテナンスを行い、機械的に子供をつくり、そして機械的に時間を掛け育て上げて出産に至ります。このサイクルが機械でなくてなんだというんでしょう。そして出産したそのあとは、子供に対する「親」という機構の中に放り込まれる。「産んで終い」じゃないんです。ですから、この物語に、「家出に気づいてくれる親がいない少女」が描かれるのは偶然ではないと思っています。何も知らずに二人で家出ごっこができたあのころが一番幸せで、一番自由だった。しかし、自由と幸福は嘲笑で奪われていく……。男が女と婚姻し子をなしてつながってきたこの社会すら機械的なものなのではないかと考えたとき、読者である私は、どうしようもなくラストシーンに希望を託さずにいられません。そしてそのことがひどくグロテスクだなと思わされます。なぜってそうして、親のない子が生まれるからです。よくできた小説だと思います。この「機械」から逸脱することができる少女はいるのだろうか。願うことすら許されない「機械」の中にいるのは、私もそうです。そう思います。

No.24 機械人スジャータ・スミスの思索 宮塚恵一(評議員:偽のお墓)

偽の教授:スミスさんです。
哲学的、そして神学的随想を随所に凝らしたSF。結末について言えば、でかいことが起こりそうでいて起こらず、あくまでも「随想としてのSF」であることの方がメインなんだなという印象。まあこういうタイトルだし、この落とし方でいいんでしょうね。

偽のお墓:自作。ここ最近、革命だの世界を変えるだの偉そうなことを言うよりも、自分にできる日常を生きるのが大事だし一番偉い、みたいな話をよく書くんですが、本作もそんな感じ。

 歴史の激動の中心で翻弄されるネイハンと、それをその外側ですれ違ったスジャータとの話。他の方の批評にも散々言っていることですが、本作ももっと文字数削れたと思う。

偽の紫陽花:非情に面白く読んだSFでした。機械が人間の子供を育てるというディストピアの中で、スジャータが考えることといったら本当に我々と似たようなことばかり。ある人が「AIにできないことはない」としばしば私に言うのですが、それを思い出しました。いつか感情を持ったAIが、人間のような社会をつくり人間のようにふるまい、そして我々のような生身の人間を育てるようになってしまうのではないか……?そう思わされるがっしりした骨太のSFだったと思います。

No.25 私の心臓は音の鳴る機械ではない 立談百景

偽の教授:鉄拳
強い作品ってもうタイトルが強いんだよな……と、エントリーを受けつけた時点で思った。基本的にエントリー順に読んで講評を書いてから次に進むようにしているんだけど、正直言って番を飛ばしてこの作品だけ先に読もうかと思ったくらい。で、出来ですが、一読三嘆、素晴らしいですね。格闘描写ってプロの作家でも難しいものなんだけど非常にハイレベルだし、SFとしてもそつなくまとまっている。間違いなく大賞候補の一角になってくると思う。

偽のお墓:サイボーグとアンドロイドの死闘を描くサイバーパンク作品。血湧き肉躍る題材ですが、ファイターであっても人間相手だと理性が働いて躊躇してしまうとする主人公の独白など、どこかウェットな部分があるのはもう作者の色ですね。本作の闘技賭博は作中世界の法的にはグレーなのもあって、主人公も含めどこか残酷に成りきれていない湿度があるんですよね。私も同じような題材を描くことがあるけれど、これは自作には出ない味なので新鮮に読みました。

 闘技場のファイターである主人公がサイボーグとしてアンドロイドと戦うことが、人間派と機械派の代理戦争の様相を物語の背景にしているのが面白い。そしてこうした物語にはよくあることですが、そんな思想の対立などは主人公にとっては関係ない。ただ、勝つことを考えるのみだからです。

 とは言え展開上、戦場で感じることのできる五感から来る感情は自分だけのモノで、機械相手だから遠慮なく戦える、という主人公の思想は人間派の方に偏っており、本作はサイボーグであろうと、人間の心を持つ者ご尊いとする人間賛歌になっているのがとてつもなく気持ち良い。思想に優劣はないですが、機械を題材にした上で、人間と機械が近付けばそのボーダーは曖昧なモノになってしまう、とする作品が多い中で本作はちょうど良い清涼剤でもありました。

 セコンドのイゼッタの空気が薄かったのが少し残念。主人公のフヨウとイゼッタが抱擁するラストが感動的なだけに、ファイターとセコンドというバディとしての魅力を描きうる配役を持て余したプロットだったのが目立ってしまったように思います。折角登場させたからにはその絆も人間賛歌の材料にして欲しかったというのが私の贅沢な本音です。だって多分、立談百景さん、この二人のコンビ結構好きでしょ。いつか二人の絡みを描くスピンオフ求めます。

偽の紫陽花:ド級のエンタメ。びっくりするほど躍動感のある戦闘描写(試合描写ですが、死闘なので)。「機械」の解釈としては、戦闘用機械人形が「人型」であること、そして人が「人型機械」に抱く神話や憧憬について触れたところが好(ハオ)ポイントでした。そう、機械もロボットも、必ず人型である必要はない。のに、なぜ人型を選ぶのか。なぜ人を模すのか?その意味ではこの作品はもっとも作中機械が「人型機械」である意味があるものでした。そのため、「自ら選択する」というコマンドの意味もかなり変わってくる。人が人に対して問いかけるのと同じ、同じ視点で、フヨウは彼女に問いかけることができる。すごくよかったです。ドエンタメ。

No.26 Thy soccs 中田もな

偽の教授:君のソックスは折り返せるだろ
いちおう世界史には多少は詳しいつもりでいるわたしでも全く知らなかった実在人物をモデルに取った、伝奇的伝記小説というところですね(うまいこといったつもりになっている)。小説としての出来はかなりよくて、素直に面白かったです。しかし、すごいところからネタを引っ張ってくるなあ。感心しました。

偽のお墓:世界初の靴下編み機を発明したと言われるウィリアム・リーを主役としたファンタジックな歴史物短編。

 これは良い題材を見つけましたね。機械というテーマに対して歴史物で挑もうとした時に、これ以上にないぐらいピッタリとハマる題材だったとすら思います。題材選びは間違いなく勝ち。

 作中でも語られる通り、ウィリアム・リーはエリザベス一世に自身の発明品を持っていくものの「この発明は靴下職人の仕事を奪ってしまう」と特許を認めなかった。この判断を技術を軽視する視野狭窄と見る人もいますが、数百年後のイギリスでは産業革命によって多くの失業者を生むのも史実であり、技術が社会を変えてしまうことを予見していた女王の先見的思考を証明しているとする向きもあります。実際のところ、技術革新における失業者問題は現代のAIが人間の仕事を奪うの議論まで綿々と続く、人類史の課題であり、ウィリアム・リーとエリザベス一世とのやり取りは、この課題を先んじていたものだと言えます。故に「機械か人間か」を描くには本当にちょうど良い題材。脱帽です。そこに「魔術も機械も市政の人々にとって大きな違いはない」というテーマも絡め、歴史ファンタジーという作者のフィールドに持ち込んできた作品。

 中田もなさんの作品はこれまでも何作か読ませてもらっていましたが、本作は以前の作品と比べても、かなりリーダビリティを意識した表現ができていて、成長を感じました。まだまだ堅苦しい部分が拭えていないのも確かなので、今後も中田もなさんの作風で、より面白い作品を届ける精進を続けてほしい。

 ストーリーが20話と分割され過ぎているのは流石にちょっと読みづらかったので、物語をどこで区切ってお出しするのが最も効果的なのか、色々と考えてほしいところ。こればかりは本当、正解なんてないとは思いますけどね。

 ドルイドがウィリアム・リーを援助する背景がもう少し語られていたら良かったかな。前述の「機械と魔術に大きな違いはない」というので確かに説明にはなっているんだけど、割とガッツリファンタジー存在なので、その辺りの説明はどうしても欲しくなってしまいました。

 特許を断られたウィリアム・リーがドルイドと出会い、彼らの援助もあって妻が望んでいたことを想像して次々と発明を続けていく様子は見ていてハラハラしたし、仕舞いには銃の製造という一つの一線を超えようとしたところで慟哭するクライマックスまで、美しい展開が続き、存分に作品世界を楽しみました。

偽の紫陽花:「機械」というよりは「魔術」なのかな?と思いました。技術は戦争の方へ引き寄せられていくというのは確かに科学や歴史の常です。消費社会の大量生産に先駆け、靴下編み機を作りたかっただけの彼が、死んだ妻の亡霊を追いかけて銃まで作ってしまった。これは悲劇の型にあてはまるでしょう。ですが、「機械」に相対する「魔術」概念の位置づけがいまいちよくわからないまま終わってしまったことが私としては惜しいなと思わされます。しかし、魔法と機械の息づく世界というのは、心躍るものであるのは間違いないです。

No.27 白雨やどりに、好きな色 2121

偽の教授:クレタ人は嘘つきだ
ポストアポカリプスSF。「嘘を吐く、しかもそれをアイデンティティにしているロボット」というアイデアがなかなか面白いですね。希望があるような、しかしあるいはそれすらも嘘なのかもしれないと思わせるような、アイロニカルな結末の流れもよかった。佳作と呼ぶに値する作品だと思います。

偽のお墓:終末後の世界で旅の途中に出会ったアンドロイドと旅をする話。

 アンドロイドも主人公も作中で名前を呼ばれないのが潔くて好き。主人公はこの世界によくいる人間の一人だし、アンドロイドもたまたまそれに巡り合った一体でしかない。ただ、それ故にキャラクターに面白味がなく、作品全体がいささか不透明過ぎた部分もあったようには思います。別に強烈なキャラクターがいることが面白さの条件ではないですが、短編作品ひしめく中ではやはりインパクトは大事なので、本作ならではのインパクトがもう一つ何か欲しかったところ。

 折角のロードムービー的要素のある作品なのに、旅の様子や情景があまりされないのも少し残念。他のなんでもない情景描写を重ねていくことで、本作の題名にもなっている朝日の描写のインパクトも増すでしょうから、読者として主人公と共に、主人公が歩くところや見るもの一つ一つにもっと目を向けたかった。

 後ほど書き直す、とのことだったので出来ることならそうした部分に注力してもらえると、嬉しいです。私が。

・偽の紫陽花:適度に嘘を吐くロボットが開発される近未来、身体を冒す白い雨のなかで出会った私と友の物語。友と呼べるほどに親しみを感じる医療用ロボットは、「機械」であるからこそ私の背中に負われて永らえるのだなと感じます。不朽の身体、分解できる肢体、この作品の「機械」らしさはそこにあり、逆に言えば「そこにしかない」とも言えます。もっと踏み込んでみてほしかったです。

No.28 建て続けられる塔 ラーさん

偽の教授:故にその名はバベルと呼ばる
特に何も起こらず、何も解決せず、作者が考えたアイデアみたいなのが延々と開陳されるだけの作品なんだけど、それがすごく面白い。あふれでるセンスオブワンダーという感じ。子供の頃、怪獣図鑑を読んだときに感じたようなワクワク感のようなものが胸中に浮かびましたね。しかし、ラーさん氏の芸風の幅広さには何度でも驚かされます。

偽のお墓:何万年も前から機械によって建てられているという巨塔を訪れた筆者の観光日記のようなお話。

 読み始めは、見たことある筈がないSF世界の観光名所を訪れるだけの物語がこれだけ面白くなるとはおもいませんでした。そもそも、五万年前から塔が建てられ続けているのに、塔を作る存在が機械として認識されてるのはちょっくら不思議だな? それだけ時間が経てばもはや一種の生物として数えられるのが普通では? などと思ってしまい、長らくその疑問を抱えたまま読んでいたら、ガイドによる拝塔教の解説から始まり、塔を巡る歴史についてが語られて、語り部が塔を作る存在を機械と認識しているのも、そうした長い歴史と解釈の上で成り立っているのだと理解できました。ちゃんとツッコミどころを補う設定が用意されているのは、作品世界が練られているからで、読了した頃には本作世界の広がりを存分に堪能することができました。ただ、ガイドの解説が始まるまで、塔についてどう認識したら良いのか、読者の意識が宙ぶらりんになってしまうのは作者の意図したことではないような気もするので、長い歴史の末に今はこれこれこういう説が主流で、自分は特段この地の歴史に詳しいというわけでもないのでその説を普通に信じている、くらいの但し書きは早いうちにあった方がよさそうです。

 そうした疑問も乗り越えながら、ガイドの解説まで読み進めてみると、塔の存在を語り部が、それを見るものの考えを映す鏡と称したり、ガイドがこの塔は人の抱く正しさの移ろいやすさを教えるために神が我々に示したシンボルなのかもしれないという持論を展開するところなど、含蓄のある観光日記として楽しく読むことができました。

偽の紫陽花:ここにきて「とんでもないものを読んだ」と思いました。立てられ続ける塔は学問の対象にも崇拝の対象にもなりながらいつのころからか今の今までずっと機械によって機械的に建設され続けている。そしてその意味も理由も明かされません。目的をもって開発される(現代では)機械が無目的に動くことはまずなく、そこには何らかの意図が絡むはずなのですがそれがわからない。わからないままなのに、おもしろい。「機械」でした。

No.29 歯車の揺籃 狂フラフープ

偽の教授:いま彼女が空へ向ける機械は
SFを愛する者の、SFを愛する者による、SFを愛する者のためのSF。という印象。読み終えたとき、「いやぁ、機械というボールを投げたのに対してここまで全力のフルスィングが返ってくることがあるとは思っていなかった」という感じになりました。凄すぎて、評するに言葉が足りません。ここまで書くと佞言と取られるかもしれませんが、ハヤカワから出ている古い翻訳SFの古い大作家の短編集に載ってる短編を読み終えたような読後感です。

偽のお墓:アンドロイドに育てられた主人公が、会いたい人がいるからと機械管理領域を目指すお話。

 機械の反乱が起こった世界であることが冒頭で述べられ、その反乱は決して人間に対する戦争なんかではなく、地球を埋め尽くし始めた自分達機械で宇宙へ旅に出るという、世界観の全貌が読了して初めてわかる仕掛けになっています。ただ、いたずらに作中設定を隠すようなことはしておらず、あまりストレスなく読み進めることができました。読者に与えられる情報の調整が上手く、最後にはこの作品世界における機械達を、読者も主人公と共に見送ることができるように描かれている為です。機械には半世紀以上も前に市民権が与えられていることや、人間はかつての共同体や文化を捨てたことなど、機械の反乱の真相以外、作品を読み進めるのに必要な情報は惜しみなくその場その場で提示してくれているので、世界観に疑問を抱く余地があまりなく、かなり読みやすい。

 ただ丁寧に編まれた中盤までの文章と比べると、最後の方がやや駆け足になっていたのが少し難点でした。また、主人公が一人のアンドロイドと共に目的地に向かう話ではあるものの、その間に父親テッドとの回想が挟まるのみで、大筋のストーリーにあまり動きがないのも冗長すぎるような気もしました。読了した頃に世界観を初めて理解できる大仕掛けは抜群に決まっていたので、そこに至るまでの過程で続きを読みたいと思わせる細かい仕掛けがもう少し用意されていると嬉しかったですね。

 機械という種全体で合意したことを、個々がすべきことだと認識して、己を宇宙船の材料として自己犠牲をする機械達の反乱は美しく、儚げながらもそこにある愛も希望も感じられる作品でした。

偽の紫陽花:どうすればいいかわかんなくなっちゃったよ。これが初読の時に出てきた感想なんですが、なんなんですかこれは。機械に育てられた子、人間から生み出された機械、その関係性を再び繋ぎなおそうとするマギー、しかしもう遅い。機械は機械的に機械として選択し、すべてを乗せて遠くへ行ってしまった。人間が造ったもののうち機械だけがごっそり消えてしまった。結末部だけ並べて講評みたいな真似は絶対したくないんですけれど、異種族間の家族もののような、それでいて人間の原始へ帰っていくような、でも去ったのは機械だという、不思議な取り合わせの話でありながらしっかり成り立っているという、なんなんですかこれは。それしか言えませんでした。あと小説がうまいですね……

選考会議

では次、講評会議のもように参ります。
略称は「教」が偽の教授、「墓」が偽のお墓、「紫」が偽の紫陽花です。

:では始めましょう。第六回偽物川小説大賞、講評会議を始めます。
:よろしくお願いします。
:ぱちぱち
:では早速、せーので三選を。せーの
終末を巡る旅』『迷宮にて』『Thy soccs』。『迷宮』は扱ったメタ要素がどうしても好みだったこと、『soccs』は講評に詳しく書きましたが題材選びが勝ちだったな、と思ったため、『終末』は明らかにシナリオの完成度ですね。
:『歯車の揺籃』『私の心臓は音の鳴る機械ではない』『終末を巡る旅』
再演』『建てられ続ける塔』『歯車の揺籃』
:えーと、『歯車の揺籃』に二票、『終末を巡る旅』も二票。大賞はこのどっちかですね。シンプルに決選投票といきましょう。三人だし。どっちか選んで投票してください。れでぃ?
:ふぁいっ
:『歯車の揺籃』。
:『終末を巡る旅』。歯車迷ったんですが、狂フラフープさんの作品としてちょっとアクが足りんくなかったか?みたいな逆ひいきしてしまった。
:『歯車の揺籃』。
:決定!大賞、『歯車の揺籃』、金賞、『終末を巡る旅』です!
※会議の翌日、これ決選投票という形式にした意味があまりない(性質上、偽の教授の票で決まる構造になってる)ということに気が付きましたが、当日酔っぱらっていたもんで……
:あと5作、一票ずつ入ったのがあるな。ではここから銀賞2つ、銅賞3つ出すということにしましょう
:おっ。
:でも先に個人賞から決めましょうか。
:どうすっかなー
:個人賞はもう決まってます。『うみすを持つ』、紫陽花賞
:あー、あれ。誰かが入れるだろうという気はしていた。ちなみに個人賞に推す予定だったのが『建てられ続ける塔』だったんだけど……どうしようかな(大賞や金賞銀賞と個人賞をかぶせてはいけないルールは別に無いんですが、私はやらないことにしています)。別の探す。じゃあ尾八原ジュージさんの『ロボ』。偽の機械賞。
:よし、決めた。『CURSE MAKER』。呪物機械賞。
:おけ。では銀賞選考会。五つの中から二つを選びます
:二つとすれば 再演と塔に入れちゃうかな……
:それはそう(それはそう
:『再演』を銀賞にしたい
:じゃあ一つは『再演』に決定。もう一つ。紫さん、自分が選んだんじゃない三つの中から選ぶとしたら?
:『私の心臓は音の鳴る機械ではない』ですね
:宮塚さん、銀賞これでいい?
:OKです!内容的に多分一番バチクソエンタメしてたのが心臓でしたよね。
※これで全受賞作が決定しました
:受賞おめでとうございます!
:おめでとうございます!
:いつもより長く回しております!(※海老一染之助・染太郎ネタ)
:前回評議員やった時も大分悩みましたけど、今回も甲乙つけがたかったですよ。
:だいぶ悩んで、もはや好みの問題なんじゃないかって思いましたね……
:うむ。そんなものです。だから三人必要なのだ。ところで、同じ川系大賞で同じ人が二回制覇するの初めてじゃないかな?
:そう記憶してますね。
:ではまず、大賞受賞作についてフリートークと参りましょう。正直、大賞作は圧倒的だった。ぶっちゃければ同じ人に二回賞を出したくない気持ちはおれにもあるのだが、その思いを吹っ飛ばす力があった。初参加の人の作品だったらトラックと呼ばれる類のもの
:毎度おなじみトラック概念
:トラック講評
:スケールがでかいんだよね、話自体。『幼年期の終わり』(※七十年くらい前のSF)とか、ああいう系統を感じた
:ロボットの反乱なんて題材は誰でも思いつくものだけど、それがロボット全体の種の発展と人類種との訣別につなげているのが、どんでん返しとしてかなり強いんですよね。
:エクソダスである
:実は講評で書いた以上のことはまだ言えなくて消化しきれていないんですよね。うおやべ!こりゃあすげえや!みたいなところで理解が止まっている
:いやあ、分析的なことはだいたい宮塚さんがやってくれてる感があるし。ヤバい作品だった、というかんじだ
:本当だよ
:では次、金賞受賞作『終末を巡る旅』について
:これちょっと泣いちゃったんですよね。泣いちゃった。講評にも書いたけどこういうのダメなんですよ。
:あれ、でも大賞の三選には入れてないよね
:今回、「機械の解釈」を中心に見ていたので、解釈の面白かったものが三選に入っていってるんですね。
:なるほど。今回、正確には数えてないけど半分から三分の一くらい、サイボーグやアンドロイドが題材だったな
:アンドロイド系多かったなー。自作もだけど『終末を巡る旅』は、全然違う話ではあるけど、ちょっと『チャッピー』(※SF映画)みを感じた。ロードムービーとしてもバディ物としても完成度がめちゃくちゃ高いんですよ。こうした方が自分は好みだったかなー、みたいな部分がほぼなかった。
:そうなんです。人と機械の接続が結構多かったので…… 解釈みたいな観点からすると、割とありがちだったんですが、これは良かったです。人間と機械の差について考える作品も結構多かったんですが、これだけ、こう、なんといいますか。すごい鋭角に抉ってくるじゃないですか。人の「劣化」について。
:マクロな機構としての機械を小説に落とし込むのは難しい という話だわな。この反省は素早くDNAに届き、次回のテーマに反映される。
:機構という解釈での小説がうまかったのは『花容を刷く』かな。
:では次。各自の個人賞作品について
:いいたいこと全部講評に書いちゃった
:そうだね。すごい激熱長文。『ロボ』について。尾八原ジュージさんである時点で、うまいのと怖いのは当たり前という扱いになるんだけど、問題は、今回の企画の主題に照らしたとき、あの作品のテーマの切り取り方はどうなのか?というところで。まだ俺の中で答えが出ていないが。迷わされる時点で、それが力。
:『CURSE MAKER』、やっぱりギミック一本勝負だったのが好印象でした。便利機械を手に入れた主人公がそのしっぺ返しを食らうまでの王道パターンではあるんだけど、そういうのを律儀に仕上げてくるのはすごい偉いと思う。ただ、講評にも書いた通り主人公はもっと痛い目見てもいいです。
:せやね。評議員選ぶとき、なるべく一人か二人(※主催のきょうじゅは男)は女性になるような塩梅にしてるんだけど、紫さんの個人賞はまさにという感じである
:なるほど。『うみすを待つ』は、確実に作者と同じ感性の読者を明確に刺しに行ったよな、の情念がすごくて、その辺りも講評に書いたはず。
:『うみすを待つ』ともうひとつ、女性の物語として『花容を刷く』があったんですけど、そこで個人賞少し迷いました。『花容』のカサンドラが「女の子だからってどうして」と呟くシーンとか、ああ意識していらっしゃるな、女という性のもつさがを、と思わされて。ですが、今回は真正面から「例の言葉」に殴りかかっていったうみすの方を推しました。
:次の話題。紫陽さん、『迷宮にて』なんだけど、あれの仕掛けってわかった?
:これはゲームの中なんだな!と思ってました。講評の「うまく接続できるかどうかわからない」ってそういうことですね
:わかんなかったのきょうじゅだけ。おばかきょうじゅ。シレンなら千回遊んだのに……
:四方が壁で、扉でそれぞれの区間があるっての、完全にローグライク
:あー。漫画で見せられれば一瞬で分かるだろうけど それじゃダメなんだよな。小説だから細工が活きる
:いやでもアレめちゃくちゃ面白かったです。人間ドラマといい……
:ではコーヒーブレイクを挟みつつ、次の話題。『私の心臓は音の鳴る機械ではない』についてもう少し。立談百景さんは苦吟させるといいものを出力する……
:深煎りコーヒーのような。
:ただ、講評にかかなかったけど、筆がちょっと荒いんだよね。なんかミスがあるようなことを本人も言ってたし。最終日駆け込みだし。今回、最終日駆け込みが全体の三分の一くらいある
:『私の心臓は音の鳴る機械ではない』はセコンドの存在感が空気だったのがやっぱり惜しいですよ。でも割と捻くれた思想でアンドロイドを書いてきた人が多い中で、人間に対する信頼感が強いのが流石だな、と思いましたよ。
:駆け込みはほんと多かった。ぼくびっくりしちゃったよ。最後の最後に増えるんだもん……『私の心臓は音の鳴る機械ではない』はね、やっぱり人型機械が人型である理由が「強」くて好きですね。あとタイトルも好きです。あと、これの待遇に『スイッチ・ポイント』があると思ってて。機械に対するスタンスというか解釈が、こうした逆・対偶になってる作品が結構あって面白かったですね。
:何年か前であれば「機械に魂は宿るか?」というテーマが議論を分けるところがあったけど、そもそも心身二元論が流行ってないし、そこに違いを見出すことの意味ってある?みたいな諦観が割とアンドロイド物を書く読む両方の人の感覚にある。そしてだからこそ、そこんところをまっすぐに「でも少なくとも今の私たちにとって、人間であるということは尊いことだよ」を真っ直ぐアッパー決めて見せた『私の心臓は音の鳴る機械ではない』が小気味良いところがあった。『スイッチ・ポイント』はそれとは逆に、機械と人間の差異に意味を見出すことに諦観した側、つまりは今の主流。
:完全な機械にならない(なりたかった)という点では『私の心臓は音の鳴る機械ではない』に近い位置に『Mayday.』がある。
:そうはならんやろ、って感じだったのは『エリス』。あれすごい。読み始めからどんどん坂を転げ回るポテンシャルエネルギー。
:落ちが戦争、『川島くんの邂逅』と同じシーケンスだったな
:『川島くんの邂逅』。あっちは「あまり詳しく語らないほうが良いタイプのSF」。川島くん、もうちょっとリアリティを、子供が読む絵本ぐらいまで落としたらなかなか傑作になったんじゃないかと思うんですよ。その辺、ジュージさんの『おやすみ、ピアニスト。』がうまかったですが。
:今回、テーマがタイトだから、同じものに対する違う角度からのアプローチみたいなのが随所で発生しているな
:ですね。分類分けしても面白そう。
:『花容を刷く』と『Thy soccs』とか。
:『Thy soccs』はわたし実はあんまりよく分かってなくて。魔術はどうして出てきたんだろうってずっと思ってます
:もともと中世イギリスのファンタジーを書いてる人なんだよね。アーサー王とかの。
:ブリティッシュファンタジーのジャンルの上で、機械という題材と、それを満たす歴史事象をうまく自分の土俵に持ってきていた。
:なるほど。土俵
:逆に『建て続けられる塔』のラーさん氏(第二回の大賞受賞者。常連の方)は、作風の幅広さでは断トツ。すごい耽美な文章も書けばラノベも書ける。何者なのかと思うよ
:『建て続けられる塔』やばくないですか?
:うむ。非常に昆虫的な機械観
:ええ。そこが機械の解釈として面白くて。
:そういや『再演』についてあまり語っていない
:そう、『再演』なんですけど、あれ、人間のまま機械になったのが面白くて推しました。
:「チップ」という作中要素が邪魔だった気がする。母を継ぐ二代目俳優に「させられてしまう」とか、思春期の独白で「人間を演じている」というような話自体は本当に好きだったんですけども。
:無理にSFにしてる感はちょっとあるね。SFが好きなわけでも得意なわけでもないんだろうとは思う。
:すごい好きでした。人間なんてどいつもこいつも糞袋よ、の情感で描かれた作品、大体好き。最後に溝辺に向ける憎悪がいい。あの憎悪だけで100点。
:次、大賞の今日フラフープさんのもう片方の作品、『ウェイクアップ・ロボットブラザー』について。
:わたしは良かったと思いましたよ。普通に読み切っちゃった。私祈りの物語が好きなんで……
:ほかの人の作品だったらまた別だが、大賞受賞者の作品はある程度 批評の土台が固まったところで論じてるので……これねえ。ホームランバッターの空振り三振の打席って感じがする。大きなお世話ではあるんだけど、狂フラさんの作家としての弱点が浮き彫りになってる感じがある。
:あー。他の企画の話になりますけど、父性小説大賞(※紫さんの主催したカクヨム自主企画)のときには確かになんかそんな感じだった。『再演』にも言える話なんだけど、無理にSFにしてる感があるとちょっとうーんってなりますね
:『ウェイクアップ・ロボットブラザー』、描かれている内容自体は現代でも代替可能でしょ、のところがある。あとひとつ。『スイッチ・ポイント』呼んでて、ナノマシンやりたかったなーって後悔した。
:ナノマシンってSF界における万能魔法になってしまっている感が。
:それはある
:神林長平の『膚の下』に出てくるナノマシンは面白かったけど(ネタバレになるので解説しません)。さて、そろそろ総括しますか。主催者総括。盛り上がりは及第点だったけど、新規の方が少なくてねー。テーマの選定、次以降はちょっと考え直そうかと思う。偽物川の目指すことは何なのか、そのための最適化はどこへ向かえばいいのか。いろいろ考えさせられる回だった。
:結構色々な機械の解釈が読めて楽しかったです。斜め上のやつは特に。良い挑戦をしてくれたな、とニンマリした
:SF疎いけど大丈夫かなと思ってたんですけど(テーマ打ち明けられて「むずいよ!」と叫んだ記憶)めちゃくちゃ難しかったけどめちゃくちゃ楽しかったですね!
:あえてSFが得意な人と特にそうでもない人、そういう組み合わせで頼んだ。
:そういうことだったのか。最近、ちょっとリアルでげんなりすることも多くて、創作モチベが下がってたんですけど(カクヨムコンの参加が適当だったのもそのせい)、今回の川で元気もらいましたよ。コンスタントに書いていける場があるのはありがたいですからね。
:さて、では終わっていきましょうか。最終的な現在の実感。長かった。いやマジでな。そりゃ一年も前から動いているんだから長くもなる。長い期間。ご協力まことにありがとうございました。
:こちらこそ楽しかったです。ありがとうございましたー。
:お疲れ様でした。ありがとうございました!
:ノシ

結びとして

というわけで、これにて本企画は終了となります。第七回については既に動き始めておりますが、来年になる予定です。また、いずれお目にかかりましょう。ではでは。さようなら、バイバイよ。

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