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コーチ物語 クライアントファイル 9 疾走!羽賀コーチ その2

「あれ、ミク。何でカギを閉めているんだ。おい、開けてくれよ」
「はいはい、今行きます」
「は、羽賀さんですね」
 ボクはミクさんよりも早くドアへ向かい、急いでカギを空けて羽賀さんを迎え入れた。
「あれ、お客さんかい?」
「羽賀さんですね。お願いです、ボクの、ボクの彼女を助けて下さい」
「い、一体どうしたんだい?」
 羽賀さんは汗を拭きながらボクの声にそう答えた。
「このひと、突然飛び込んできて羽賀さんにお願いしたいことがあるって言うのよ。なんだか危ない人に追われているみたいだし。羽賀さん、ちょっとやっかいそうだし危険みたいだよ」
 ミクさんはそう羽賀さんに忠告している。でも、ボクはその声にかまわずに説明を始めようとした。が、それを遮ったのは羽賀さんだった。
「君はどうやらあせっているようだね。ひょっとして時間がないのかな?」
「は、はい。八時までに隣町のこの会社の倉庫までこれを届けないと、ボクの彼女が危ないんです」
「八時って…あと三十分しかないじゃないか」
 羽賀さんはボクがメモをした倉庫の場所を見て、少し考えていた。が、羽賀さんはすぐに行動を起こしながらボクたちにこう伝えた。
「ミク、携帯をとってくれ。
 それと君、えっと…名前は?」
「はい、菅橋です」
「菅橋くん、詳しいことは移動しながら聞く。
 ミク、ボクがここを出て行ってから二分後に携帯に電話をかけてくれ」
「え、羽賀さん、ひょっとしてこの人の依頼を受けるの?」
「話は後だ。そのバッグ、こっちによこして」
 羽賀さんはそう言うと、壁に掛けてあったメッセンジャーバッグにボクの持っていたバッグを入れ、ヘルメットをかぶりながら出て行った。
「み、ミクさん。羽賀さんはボクの依頼を受けてくれたのですか?」
「どうやらそうみたいね」
「でも、自転車で出て行きましたよね。
 この場所まで自転車で三十分で行けるんですか?
 ここまで確か十五キロくらいあるはずですけど…」
「普通の人なら間に合わないわ。でも羽賀さんはブルーファイアエンブレムの自転車のライダーだもん。絶対に間に合うわよ」
 ミクさんは小さな胸を思いっきり張って、羽賀さんを自慢していた。ボクはミクさんの言っていることが今ひとつ理解できなかった。が、どうやら羽賀さんの自転車の足にはずいぶんと自信を持っているようだ。
「さてと、そろそろいいころよね」
 ミクさんはそう言うと、電話をかけ始めた。羽賀さんの言ったとおり、ほぼ二分後に羽賀さんに連絡をとったのだ。
「ミクです。はい、えぇ、わかった。ちょっと待ってて」
 ミクさんは羽賀さんから指示されたらしく、電話をスピーカーフォンに切り替えた。そして電話機のスピーカーからは羽賀さんの声が。
「菅橋くん、羽賀です。聞こえますか?」
「えぇ、はっきり聞こえます」
「よし、今ボクは指定された隣町の倉庫へ向かっている。道路はかなり渋滞しているが、自転車だから問題ないだろう」
「でも、本当に自転車で間に合うんですか?
 車を使った方が早かったんじゃないでしょうか?」
「隣町はこの街のベッドタウンだ。今通っている通りしか隣町へ移動する道はない。この時間は帰りの車で渋滞するので有名な通りなんだよ。おそらく車だと一時間近くかかるだろうな」
「でも、自転車でそんなに早く走れるのですか?」
「今はもう昭和町の交差点を過ぎたところだよ」
 ボクは頭の中でこの事務所と昭和町の交差点の位置を考えてみた。え、ひょっとしたら車よりも速いんじゃないか…。ここは羽賀さんの脚力を全面的にしんらいすることにしよう。
「ところで菅橋くん、こうなったいきさつを説明してくれないか」
「あ、はい。わかりました」
 ボクは先ほどミクさんに説明したことと同じことを羽賀さんに説明した。
「なるほど、その追っ手に追われているのでボクのところに来るのが遅くなったんだね」
「えぇ、ちょっとカタギとは思えない顔だったもので。つかまるととんでもないことになりそうな気がして」
「一つ質問してもいいかな?」
「えぇ、なんでしょうか?」
「その追っ手の顔、つぶれたブルドッグのような感じじゃなかったかい?」
「そういわれればそんな気がしますが…」
「なるほどね」
「え、何かわかったのですか?」
「ミク、ミクはいるかい?」
「あ、はい。羽賀さん、何?」
「悪いけど竹井警部に電話して、倉庫に来てくれるように連絡しておいてくれ」
「はい、わかりました」
 ミクさんは言われたとおり、携帯でどこかへ電話を始めた」
「菅橋くん、安心して大丈夫だよ。君の安全は確保したから」
「え、本当ですか。でもどうやって?」
「ちょっとややこしいからその説明は後だ。ところで、どうしてボクのところにこの仕事を依頼に来たのかな? 君がとんでもないことに巻き込まれたのはわかるけれど、どうやってボクのことを知ったんだい?」
「あ、そのことですね」
「そうそう、私もそれが聞きたかったのよ」
 ミクさんは竹井さんという人への電話が終わったようで、羽賀さんとの話に参加してきた。
「あ、そのことですね。これ、全く偶然だったんですけど、ボクが追われていたときにあるおばさんとぶつかったんです」
「それで?」
「えぇ、ぶつかったときにはギロっとにらまれたんですけど、ボクがあせっている様子を見てなにかあったのかと聞いてきたんです」
「それから?」
「さっき羽賀さんに話したようなことをさっと伝えたら、それならこの人だったらあなたの役に立つかもしれないって、羽賀さんの名刺のコピーを渡されたんです。きっとあなたのこと望みを叶えてくれるわよって」
「ひょっとして、そのおばさんって四十代くらいでやせ形、わりときびきびと話す人じゃなかったかな?」
「えぇ、そう言われればそんな感じでしたね」
「あ、やっぱり…」
 羽賀さんは何か思い当たる人がいたようで、しばらく沈黙してしまった。
「ま、この件については後で堀さんにも責任を負ってもらうとするか。
 ところで菅橋くん、もう少し君のことについて聞いておきたいのだが」
「えぇ、いいですけれど…でも羽賀さん、自転車をこぎながらよくこんなに電話で話ができますね」
「あぁ、渋滞のせいでいつもよりペースが遅いからなぁ。それにさっきトレーニングから帰ってきたばかりだから、心拍数はある程度上がっているし。そのせいであまりきつくはないんだよ」
 羽賀さんは平然とそう答えてくれた。
「あ、もうすぐ隣町にはいるよ」
 羽賀さんのその言葉にボクはビックリした。まだここを出発してから十分程度しか経っていないのに。確かあそこまでは五キロ以上あったと思ったのだが。
「羽賀さん、絶好調ね。脚の方は大丈夫なの?」
「あぁ、このところミクとトレーニングを再開したおかげで、だいぶ筋力も戻ってきたみたいだよ」
 ミクさんは羽賀さんからそう言われて、ちょっと照れているようだった。
「話を戻そう。菅橋くんについてもう少し聞きたいのだけど、いいかな?」
「えぇ、どんなことでしょうか?」
 ボクは一体何を聞かれるのか、少し緊張してしまった。確かにあのおばさんの言うとおり、羽賀さんは信頼できる人のようだ。でも、ボク自身のことを聞かれるなんて。一体羽賀さんは何を意図しているのか…。
 後から考えたらこのわずかな質問の時間が、ボクの彼女を救うことに大いに役立つとは、このときは思いもしなかった。

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