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コーチ物語 クライアントファイル 8 対決!ファシリテーター その1

「ここね、依頼のあったホテルっていうのは。さすがに大きいわね。話題にあがっている建物だけあるわ」
 私は四十五階建ての大きなホテルを見上げて、そうつぶやいた。そして、まだオープンしていないホテルのフロントへ直行。
「こんにちは。私は本日の会議に呼ばれている堀といいます」
 私は元気に、フロントへそう伝えた。
「えっ、……し、失礼ですがどちらの堀様でしょうか?」
 フロント係は、突然呼びかけられたのとまだ不慣れだと言うこともあり、とまどっているわ。まだまだ教育が足りないわね。
「ファシリテーターの堀といえばわかるはずです。こちらの支配人である笹原様にそう伝えて下さい」
「あ、はい。かしこまりました」
 フロント係はあわてて電話を回す。ホント、このあたりから教育し直さないと、入れ物だけ立派でも中身がついていかないわよ。ま、その辺をどうするのかを会議で決めるために、そしてその従業員教育の一環として私が呼ばれたんだから。
 ほどなくして、フロント係から案内が。
「支配人室がある4階へお上がり下さい」
「ありがと」
 私はそう言って、エレベーターの方へ向かった。そのときに、長身のイケメン男性とすれ違った。なんだか気になるのよね、あの男性。私の直感というのははずれたことがない。今後、何かで私に関わってくる。そんな予感がした。
 その後ろには同年代の男性もいたが、そんなのは眼中に入っていなかったことを付け加えておきましょう。
「こんにちは、初めまして。ファシリテーターをやっております堀みつ子と申します。本日はお呼び頂き、ありがとうございます」
「おぉ、あなたが評判のファシリテーターですか。お待ちしておりました」
 支配人の笹原さん、そしてその横には私が見慣れた顔の男が一人。先ほどの私の心をくすぐるセリフは、支配人の笹原さんのものであった。さすがは一流ホテルマンである。
「今日は来て頂いてありがとう。私からもご紹介します。こちらが前々からおえしていた会議運営のコンサルティングをやっている堀さんです。堀さんはコーチングのコーチでもあるんですよ」
 もう一人の男がそう私を紹介した。
「あぁ、今私たちのホテルグループでもコーチングは積極的に取り入れているよ。社員は必ず本部で研修を受けているからね」
 笹原さんは、コーチングという言葉でさらに私を見る目が変わったようだ。とても興味深く私を見つめている。
 ここでもう一人の男、名前は楠田。この人は私のエージェント。つまりこのように私の仕事の営業契約をしている男なのだ。今回もこの楠田がホテルの幹部に対してのファシリテーション研修と会議運営コンサルティングの仕事を取ってきてくれたのだ。そして本日、クライアントとの初顔合わせとなった。
「楠田さんから堀さんのことはよくうかがっていますよ。いままでいろいろな企業の会議を変えてきた実績がおありとか。いやいや、その細身の体のどこにそんなパワフルな力が潜んでいるのか。とても興味がありますよ」
 笹原支配人が言うとおり、私の見た目は細い部類にはいるだろう。自分で言うのも何なのだが、美容には気をつかっているため、実年齢よりも若く見られることが多い。(ここだけの話、今は四十五歳である)
 しかし見た目とはうらはらに、いざというときの食欲は大男を凌ぐものがあると一部ではうわさになっている。確かに、私の食欲というのは自分でも怖ろしいものがあると感じている。俗に言うやせの大食いっていうやつだ。
 私は笹原支配人の言葉に、まだ今は猫をかぶったようにほほほっと愛想笑いで微笑み返し。だがその微笑みは、その後に続く笹原支配人の言葉でかき消されてしまった。
「いや、こんな風にお会いできたのはうれしいのですが、仕事の話に入る前に一つお伝えしておかなければならないことがあるのです。ファシリテーターとして評判の高い堀さんを前にこんなことを言うのも何なのですが、私たちも営利企業ですから。申し訳ないのですがもう一社、ファシリテーターの研修をやって頂く方とコンペの形を取らせて頂きたいと思っております」
「えっ、私以外にもファシリテーターをやれる人間がいるのですか?」
 私は思わず笹原さんに喰い寄った。東京や大阪ならともかく、こんな土地でファシリテーターの仕事をやれる人間なんて聞いたことがないわ。
 ここで頭にひらめいたのが、さっきフロントですれ違った長身のイケメン男性。もしかして、あれが私のコンペ相手?
 ほどなくして、笹原支配人のデスクの電話が小さくなった。
「はい、うん、そうか、わかった。今はまだ来客中なので、あと三十分ほどしたら上に来てもらうように伝えてくれないか」
 どうやらフロントからの電話のようだ。おそらく、さっきの二人連れで間違いないだろう。笹原支配人が電話に出ている間、私は楠田に言い寄った。
「そんな、コンペになる話なんて聞いてないわよ!」
「オレも今始めて聞いたんだよ。おい、コンペとなると価格競争にもつれる可能性があるぞ。おまえのあの見積、ちょっと高過ぎやしないか?」
「あのくらいの価値を持たせないとこの手の商売は成り立たないって、あなたが一番知っているでしょ」
「そりゃそうだが……」
「いやいや、お待たせしてすまないですね」
 笹原支配人が戻ってくるや、私と楠田は姿勢を戻して営業スマイルに切り替わった。
「ところで、コンペということなのですが……差し支えなければ相手はどちらになるのか、教えて頂けないでしょうか?」
 私はどうしてもここが気になったので、正直に質問してみた。
「ははは、それはそうですね。やはり相手が気になりますよね。相手のことをお話しする前に、今回のコンペについてちょっとお二人にご提案があるのですが」
 いきなり値切りの交渉か? 私と楠田は身構えて支配人の言葉を待った。
だが、それは予想もしなかった方向に裏切られた。
「今回のファシリテーションの研修、これは我がホテルでも新たな取り組みであり、その効果についてまだ疑問視している声もあがっています。そこで、堀さんともう一人の方で、従業員を対象としたミニ研修を行って頂きたいのです」
「え、ミニ研修……ですか?」
 そう声をあげたのは楠田であった。
「はい、二時間ほどの研修を、任意に選んだ従業員を二グループに分けて実施して頂きたいのです。対象は二十人。最後はアンケート調査と従業員からの聞き取り調査によって、お二人のどちらにお願いするのかを選びたいと思っております。尚、私を初めとした幹部もその中に参加させて頂きますので」
 なるほど、私ともう一人を対決させて、その勝者に研修をやってもらおうってことなのね。燃えてきたじゃないの。こういうの、大歓迎だわ。
「そういった条件ですが、よろしいでしょうか?」
「えぇ、もちろん受けて立ちますわよ」
 私は楠田のおろおろとした態度と違い、堂々とした態度と言葉でその勝負を請け負った。
「おっと、そういえば堀さんのお相手の件でしたね。堀さんと同じく、この地でコーチングをやっている羽賀さんという方なのですが……」
 羽賀、聞いたことないわね。しかし、この羽賀という人物の名前を、この後どんなところでも聞くようになるとは予想もしなかった。

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