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コーチ物語・クライアントファイル4 伝えたい言葉 その6

 気がつくと、目には感動の涙を浮かべ、両手を一杯に広げて大地を踏みしめ、全てに対して感謝の気持ちを、「ありがとう」を伝えているオレの姿がそこにあった。
「啓輔くん、なにかをつかんだようだね。だったら、そのつかんだものをこれからどのようにしていくのかな?」
「羽賀さん、早速由衣に自分の言葉を伝えます。由衣に母さんのことも話します。そして、由衣のぬくもりをもう一度全身で受け止めたい」
「だったら、これからどうするかな?」
「えぇ、今日由衣は夜までバイトだし、明日からは学校もあるので、今度の土曜日に改めて由衣と向かい合おうと思います」
「土曜日に、か。だったらそのときに時間は十分とれるんだよね」
「えぇ、時間をたっぷり使って、ゆっくり語り合いたいですね」
「だったら、どこで話しをするかな?」
「そうですね…アパート…いやどうせならもうちょっとロマンチックな場所がいいな」
「というと…どんなところかな?」
「えぇ、今思い浮かんだのは由衣と最初にあった海岸です。今はちょっと寒いけれど、その分他の人もいないので、ゆっくりと語り合えるかも。散歩しながらのんびりと二人で話しをしたいですね」
「うん、いいね、それ」
「羽賀さん、本当にありがとうございます。おかげで何か吹っ切れた気がしますよ。本当に、本当にありがとう!」
「だから、その言葉は彼女にたくさんかけてあげなって」
オレと羽賀さんは顔を見合わせ、大笑いしながら公園を後にした。翌日、オレは由衣の携帯へメールを送った。
「今度の土曜日、由衣に話したいことがあるんだ。午後一時に由衣と初めて出会ったあの海岸のあの場所で待っている」
 そして由衣からの返事。
「何の話しかな? 啓ちゃんの話、楽しみに待ってるよ♪ 由衣」
 よし、セッティングはOK。あとは当日を待つのみとなった。
 そして迎えた土曜日。オレはバイクにもう一つヘルメットを乗せて、由衣と待ち合わせた海岸へ向かった。
 そうだ、どうせならもっとロマンチックにいきたいな。よし、途中で花でも買っていくか。
 花といえばやっぱり舞衣さんのお店、フラワーショップフルールだよな。ちょっと遠回りだけど行ってみるか。
「こんにちはぁ〜!舞衣さんいますかぁ〜?」
「はぁい、あ、啓輔くんじゃないの。いらっしゃい。羽賀さんなら今日は出かけてるわよ。あ、それともミクちゃんかな?」
「いやいや、今日は花を買いに来たんですよ」
「あ、彼女にプレゼント?だったらちょっとサービスしとくわね」
 そういって舞衣さんがつくってくれた花束は、とてもオレの出した予算とは思えない豪華なものになった。ラッキー!
 おっと、思ったよりも遅くなっちまったな。急がないと約束の時間に遅れちまうぞ。
 オレはバイクを飛ばして、約束の海岸へ急ぐ。確かこっちの方が近道だったな。そう思って細い路地を曲がったそのとき!
「うわぁっ!」
 オレが目にしたもの、それは子犬を追いかけて道路を無邪気に横断する子どもの姿。
 あわててブレーキをかけるが間に合わないっ。そのとき、オレはとっさにバイクを子どものいない方へ放り投げてた。そしてオレ自身は反対方向へ。
 空が見えた。そしてゆっくりと道路が見え、子どもと子犬が立ちすくんでいる姿が目に入った。
 どうやらオレのバイクとの衝突は避けられたようだ。あぁ、よかった。
 その後、地面が視界に入り…ガツンッ。
 オレの体を衝撃がおそった。
 そのとき、オレの目の前には子どもの頃のオレがいた。
 父親に、父と呼びたくないあいつに暴力をふるわれても耐えている母さんを見ているオレ。
 高校生の時のあの雨の日に家を飛び出したオレ。
 冷たくなった母さんの姿を見て泣きじゃくるオレ。
 たくさんの女性の顔も一瞬のうちに流れていく。そして一人の女性が微笑みながらオレに手をさしのべている。
 あ、由衣だ…その手に触れた瞬間、その顔は優しい、そして全てを包み込んでくれた母さんの顔に…あぁ、母さん…会いたかった。
 真っ白な光がオレを包み込む。そしてオレはほほえみを浮かべてこうつぶやいた。
「ありがとう…母さん」
オレの意識は、その後続くことはなかった。

 線香の匂い。すすり泣きの声。淡々と流れるお経の声。
 祭壇の上には、にっこりと微笑む啓輔の写真。しかし、その微笑みの主は白い布をかぶせられた木の箱に、静かに横たわり二度とその微笑みを見せることはない。
 啓輔のいとこでもあるミクは、忙しく駆け回り葬儀の対応を行っている。
何かを忘れるかのように。
 羽賀は斎場の奥の席に座り、悲しみをこらえながらある人物をじっと見つめている。その人物はまだ若く、どこかに暖かみと安らぎを感じさせる女性。
 その女性も、感情を一生懸命抑えながら、しかし止めどなく流れる涙には勝てずに何度も手にしたハンカチで頬をぬぐっている。
 そう、啓輔の彼女の由衣である。
 羽賀が啓輔の訃報を聞いたのは、土曜日の夕方のこと。
「おい、羽賀。いるか?」
 そういって羽賀コーチの事務所に尋ねてきたのは、刑事の竹井である。あのブルドック顔の警部だ。
「はいはい、さっき帰ってきたばかりですよ。あ、竹井警部、今日はどうしたんですか?あらたまって…」
「羽賀、おまえ後藤啓輔って知ってるか?」
「啓輔って…あの啓輔くんのことですか?」
「どうやら知っているようだな…ったく、どうしてオレはいつもこんな損な役回りばかり負っちまうんだよ…」
「損な役って…啓輔くんがどうかしたんですか?」
 羽賀は何かを感じ取ったのか、竹井警部に言い寄った。そして竹井警部から出た言葉、それは…

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