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コーチ物語 クライアントファイル 8 対決!ファシリテーター その4

「よし、これで完璧だわ。私の今までの研修実績の全てを凝縮させたわよ」
 ホテルでの打ち合わせのあと、私の頭の中は研修プログラムの組み立てていっぱいだった。なにしろ、今回の仕事を獲得すると、収入と実績はかなり大きなものになる。しかも、私は負けず嫌い。羽賀というライバルがいるおかげで、今まで以上に私の心は燃え上がっていた。
「完璧、とはいってもこの前のことを考えたら、ちょっと侮れないわね。そういえばあの羽賀って男についての情報、あれから入手できたのかしら」
 そう思った矢先、私の携帯が鳴った。
「はい、あ、楠田さん。ちょうどよかった。あの羽賀って男の情報はあれから手に入ったかしら?」
「堀さん、今回はちょっとやばいかもよ。あの羽賀ってコーチの情報が手に入ったんだけど、どうやら前職は四星商事の営業だったらしいよ」
「へぇ、あの男、営業マンだったんだ。どうりでああいった場所に慣れていると思ったわ。でも、それがどうしてやばいの?」
「それだけじゃないんだよ。なんとあの男は四星商事でもトップクラスの営業マンだったみたい。さらにやばいのは、コーチングをあの桜島さんから学んだようだ。桜島コーチの秘蔵っ子だってことらしいよ」
「え、あの桜島コーチから!」
 私はその名前を聞いて焦ってしまった。
 桜島コーチ。知る人ぞ知る個性派の有名なコーチである。年はたしか七十歳近かったと思うが、穏和な風貌の奥にコーチとしての、いや、いままで数多くの経営者を相手にしてきたコンサルタントとしてのするどい眼が、数多くのクライアントから支持を得ている。また、研修活動においても普通のコーチングとはひと味違い、笑いと気づき、そして感動あふれる研修を行っているという。
 私はまだ前に一度だけ桜島コーチの研修を受けたことがあるが、そのときには言葉にならない感激を覚えた。その桜島コーチの秘蔵っ子が私の相手。これはかなり強敵だわ。
「堀さん、大丈夫かな。堀さんの実力は認めるけれど、私の目から見ても桜島コーチはちょっと別格だからね。その秘蔵っ子が相手となると、ちょっと分が悪いんじゃないかな……」
「何いってんのよ。相手は桜島コーチじゃないんだよ。たとえ秘蔵っ子だといっても、所詮は二番煎じじゃないの。大船に乗った気持ちでいなさいよ」
 私は口ではそういいながらも、内心ちょっと不安になっていることに気づいた。だが、そんなことは口が裂けても言えない。今は自分に言い聞かせるように強がってみせるしかなかった。
 そして迎えた研修対決の初日。
「いよいよだわね。よろしくお願いしますよ」
 私の目の前には、長身の男、羽賀が立っていた。その顔はこの前見せたものと同じく妙に笑顔がはまっている。
「はい、ファシリテーターとしては大先輩の堀さんですから。ボクも精一杯がんばりますので、お互いにいい結果を残せるようにがんばりましょうね」
 とても今から対決する人間のせりふとは思えない、余裕のある言葉。これは自信に裏打ちされていないと出てこないはずだ。
「では堀さんは五階の会議室へ、羽賀さんはこの四階の会議室でお願いします。私は今日は羽賀さんの研修を受けさせて頂きますのでよろしくお願いします」
 副支配人の坂崎さんはそういうと、軽く礼をした。
「あ、坂崎さん。プロジェクタの準備はできていますか?」
 私は念のため坂崎さんに確認をとった。
「えぇ、言われていたプロジェクタとホワイトボード、それに机の配置はできています。ところで羽賀さんの方の準備はホワイトボードだけでよろしかったんですよね。机は動かさなくていいということでしたが」
「えぇ、確か通常はロの字の配置になっているということでしたよね。そのままで結構ですよ」
 私はちょっと耳を疑った。研修をやるのにホワイトボードだけ? しかも会場は普通に会議を行う形状のロの字の配置? 私だったら、とてもそんな状態で研修を行おうとは思わないわ。
「では今から二時間、よろしくお願いします」
 坂崎さんはそういうと、羽賀と一緒に研修会場へ消えていった。
「ま、相手のことなんかかまってられないわ。私は私のやり方で研修をやり遂げるだけ」
 私は自分にそういい聴かせて、気分を新たにして研修会場へ向かった。
「初めまして、堀みつ子といいます。今から二時間、研修でご一緒させて頂きますのでよろしくお願いします」
 研修会場に入り、支配人から簡単な挨拶と私の紹介があったあと、私は精一杯の笑顔と元気で研修を受ける十人に向かってこう挨拶した。
 さて、いよいよ研修のスタート! 私はスイッチを切り替えて、いつも通りの明るいトーンで言葉を発し始めた。
 まずはアイスブレイク。研修を受ける人は、最初はたいてい気合いを入れてくるか仕方なしにそこにいるという、対極的な雰囲気を持っている。
 その雰囲気と表情をほぐすために、私は研修前には必ずアイスブレイクを入れて、緊張をほぐすようにしている。二時間の研修でも、ここには最低でも十分はかけるようにしている。これをやったのとやらないのとでは、研修の効果は格段に違うのだ。
 今回持ってきたネタは「動作の足し算」というもの。これは順番に並んでもらい、一人目が一つ動作をしたら、二人目は一人目の動作をまねてからもう一つ動作を足していく。三人目は一人目と二人目の動作をまねてからもう一つ動作を足す。これを繰り返すのだ。
 今回は五人ずつに分けてチーム対抗戦にしてみた。一回戦目は支配人チームの勝ち。これで火がついたのか、二回戦目はもう一チームが意地になって勝負。結果としてはもう一チームが見事勝利。
 この時点で、研修メンバーには笑いが多く見られるようになった。よし、つかみはOK。これからいよいよ本番だぞ。
 そのあとは、ファシリテーションというものについての講義を少々。ここではプロジェクタと同じものをレジュメにした資料を基に、ファシリテーションの概念について説明を行った。
 アイスブレイク後で気持ちが高まっているため、全員が目を輝かせてこちらに注目しているのがよくわかった。よし、これもOK。
 続いて演習に入る。まずはテーマを与え、通常の会議というものを十分ほどやってもらった。その中で何が問題点なのかを全員で協議。そして、その問題点はどうやったら解決するのかを、再び全員で協議してもらった。
 実はこれが私の研修スタイル。まずは自分たちで答えを導き出し、その後私が持っている専門知識を受講者に与えるのだ。最初から講義で知識を与えたところで、話の半分も頭に残っていない。それを防ぐために、受講者に問題意識を持ってもらい、そのあとに専門知識を与えるのだ。そうすることで、スポンジが水を吸収するように知識を吸い取ってくれる。
「このような意見が出ましたね。ではファシリテーションではこれらを解決するためにどのようにすればいいのかを解説します」
 こうなると、全員が興味津々。私がホワイトボードに書くことを全員が必死になってメモをしている。ここまではいつも通りの食いつき。
 ところがここで一つ問題発生。
「堀さん、すいません。どうしても聞きたいことがあるのですが」
 受講生の一人の男性から質問があがった。
「はい、なんでしょうか」

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