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コーチ物語 クライアントファイル 9 疾走!羽賀コーチ その6

「で、そのブツを取り戻して組織に持って帰れば許してもらえる。そう思っているんだろう。そこが大きな間違いだよ」
「そ、そんなことはねぇ。このブツはウチの組の重要な資金源だ。だからこれを持って帰らねぇ方が組としては困るはずだ」
「だからわかってないって言っているんですよ。確かにブツはおたくの組では重要なんでしょうが、あなたはどうかな?」
「お、オレか?」
 男はあわてて自分自身を振り返ってみた。よし、この調子だ。羽賀コーチはそう思い、言葉をさらに続けた。
「そう、ブツは重要でもあなたは不要。だから用が済めばドジを踏んだものは処罰される。あなたが組長ならそうするでしょう?」
「そんなことはねぇ。オレはこう見えても幹部候補として期待されているん
でぇ」
「あなたが組長なら、幹部候補にこんな泥臭い仕事を任せられますか?」
 顔色こそ見えないが、男の行動から焦りの色を感じることができた。
 男は小刻みに震えながら、菅橋君の彼女の後ろ手をとり、徐々に後ずさりしていく。
「でも、あなたにも堂々と胸を張って言えることがあるじゃないですか」
 羽賀コーチは突然その男に対してこう言い始めた。後ずさりをしていた男の脚はそこでぴたっと止まった。
「どういうことでぇ」
「あなた、何よりも組のためを思って行動しているじゃないですか。組のために大事なブツを、こんな危険まで冒してなんとか取り戻そうとして
いる。立場が違えば、これは表彰ものですよ」
 羽賀コーチはちょっと歯の浮いたセリフで、その男を承認した。羽賀コーチの言葉はさらに続く。
「それにこのあたりの地理にかなり詳しいようで。この倉庫は私もちょっと前に関わっていた会社なのでよく知っていましたが、ここは隠れるのにはもってこいの場所だ。それだけ普段からこの地域に目を光らせているなんて、なかなか鋭いですね。ここならおいそれと他の誰かが来ることなんてありませんから」
 このとき羽賀は、どんなことでもいいからこの男を承認できるような言葉を必死になって探していた。
 なにしろ薄暗くてその姿も見えない相手だ。本来なら承認できるようなもの探すことの方が難しいはずなのに。羽賀コーチの洞察力と言葉の使い方、これはさすがコーチと言うしかないだろう。
 ここで羽賀コーチは相手に悟られないようにちらっと腕時計を見た。まだちょっと時間がかかるか。ならば次の手を。
「ところで、このブツと彼女の交換のことだが」
「お、おう。それだよ。早くそのブツをこちらに渡しやがれ」
「それは彼女の安全を確保してからの話だよ」
「何おぅ。おい、こいつが目にはいらねぇのか!」
 男はナイフを彼女のほほに突きつけ、急に強気の発言。小心者によくある行動だ。ナイフに頼れば何でもできる。逆にナイフに頼らなければ何もできない。
「なら、ボクも」
 羽賀コーチはそう言って、バッグから白い粉の入った袋を取り出した。
「この袋をここで破っちゃうこともできるんだけどな」
 そう言って、羽賀コーチは袋の上の方を、お菓子の袋を破るようなかたちで持ってパフォーマンスをし始めた。
「お、おい。ちょっと待て」
 あわてたのは男の方。それをやられると今度は自分の身が危ない。
 しばらく沈黙が続いた。しびれを切らしたのは男の方であった。
「わ、わかった。じゃぁ、この女をそちらに離すから、おまえもそのバッグをこっちに投げてよこせ」
 やはり自分の身の方がかわいいらしい。コーチングで沈黙慣れしている羽賀コーチの勝利だ。
 そのとき、羽賀のウエストポーチにつけていた携帯がブルッと短く振動した。幸いそのことは男には気づかれなかったようだ。
「じゃあ、あなたの言うとおりにしようじゃないか」
 羽賀コーチは先ほどよりも寄り大きな声で、胸を張ってそう言った。
「まずあなたが彼女を手放す。あなたの手から確実に離れたのを確認できたらボクはこのリュックをあなたの方へ投げることにしよう」
 かなり大きな声で、強気の発言だ。その強気に押されたのか、男は素直にこう返事をした。
「よ、よし。わかった。だったらブツをさっさとバッグにしまいやがれ」
 羽賀コーチはにやっと笑い、ゆっくりとした動作でバッグにブツをしまい込んだ。と同時に、男の後ろに人影を確認。さすがに暗すぎて誰なのかまではわからなかったが、この時点で羽賀コーチは計画通りと確信を持った。
「よし、こちらの準備はできた。いいか、その女の子を離して安全を確認したらバッグを投げるからな。もう一度言うぞ、女の子の安全を確認したらだぞ」
 羽賀コーチは「女の子」というところをゆっくりと、そして強く発音した。これでこちらの意図が通じただろうか。半分不安ながらも、男の後ろの人影が、今にもスタートを切る格好をしているのを見て大丈夫と確信した。
「よし、女の子を離せ!」
 羽賀は大きな声で合図をした。男の手が女の子から離れる。と同時に女の子は羽賀に向かって走り出す。
 よし、ここまではOKだ。
「よし、バッグをよこしやがれ!」
 男が叫んだ、と同時に人影が後ろから現れた。羽賀もそれを見て、男の方にスタートダッシュ。だが、羽賀は目の前で起きた出来事に一瞬唖然としてしまった。なんと、後ろから出てきたのはブルドッグ顔の男。そう、竹井警部である。
 しかも羽賀は「女の子」と強調したにもかかわらず、そのブルドッグ顔は男めがけて突進してきたのだ。羽賀コーチも急には止まれない。
 目の前で交錯し、お互いにぶつかり合う羽賀コーチと竹井警部を男はのけぞりながらよけた。
 ごんっ。
 羽賀コーチの低いタックルと竹井警部の覆い被さるお腹が見事に的中。二人はその場に倒れ込んでしまった。
「あたっ、いたたたた…」
「ったぁ〜、いてぇじゃねぇかよ!」
 羽賀コーチは肩を、竹井警部はお腹を押さえながらゆっくりと起きあがった。
「羽賀ぁっ、おめぇどういうつもりだ。せっかくオレがヤツを取り押さえようとしたのによぉ」
「竹井警部こそ、ボクが女の子って強調していたのがわからなかったんですか。それにどうして竹井警部なんですか。菅橋君は?」
「バカ野郎、民間人を事件に巻き込むわけにはいかねぇんだよ」
「あ、それよりもあの男は…」
 羽賀コーチがふと気がつくと、肝心の男は出口に向かって逃げようとしていた。もちろん、例の白い粉が入ったバッグを手にして。
「おい、羽賀!ヤツを追いかけるぞ!」
 竹井警部は一足早く男を追いかけ始めた。
 羽賀コーチは女の子のそばに行き、やさしく言葉をかけた。
「君が菅橋君の彼女だね。よくがんばってくれた。彼はすぐそこまで来ているようだ。携帯で彼を呼び出してみてくれないか。ボクは竹井警部と一緒にあの男を追いかけるから」
 気の弱い女の子なら、ここで一気に泣き出すところだろう。だが羽賀コーチは彼女の気の強さを見抜いて、彼女なら大丈夫と察した。
 彼女は黙ってこっくりとうなずき、ポケットから携帯電話を取り出した。羽賀コーチはそれを確認すると、彼女に「大丈夫だよ」と一言伝えて、男と竹井警部の後を追い始めた。

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