見出し画像

読書感想画 - 劣化するオッサン社会の処方箋 -

どうも本を読んでも全く記憶に残りません。なにやらインプットしたらアウトプットが大事だという記事を見かけました。雑多な個人的メモや読書感想画をアウトプットする先としてnoteを利用させていただきます。

今回読んだ本は
劣化するオッサン社会の処方箋 - (著:山口 周)
です。

超要約としては、「ここのでのオッサンとは中高年の男性を指すのではなく、好奇心を失い、謙虚さも失い、驚きながら学び続ける姿勢を忘れてしまった人たちのことである。そして、そのシンプルな処方箋は、年齢に関係なく謙虚な気持ちで新しいモノゴトを積極的に学び続けることである。」

というあたりになるかと思います。200ページある本を一言で超要約しているので、無理があるのですが・・・(笑)一番大事な部分はここなのかと私は思っています。
さて、今回もまた読書感想「画」と一応言ってますので、いくつか私にとって新しい学びとなったものを絵にしたいと思います。

一つ目は「出世したのだから優秀なのだろう、は危険な考え方」です。筆者曰く、「組織のポジションと個人の能力/人格とは統計的に相関が無いことが分かっている」とのことです。実際には産業単位・企業単位・部署単位で多少相関がやや強い組織もある気もします(というかあってほしいです)が…この悲しい統計的事実は「事実」として頭に入れておいた方が今後の社会人人生良さそうではあります。もともと私個人は出世のしの字も気にしない人ですが、世の中はそういったキレイごとだけでは回っていないことも理解しています。周りとのコミュニケーション/自分とのコミュニケーション、サラリーマンをするならば、こういった科学的事実は知っておくと色々な場面で活用できます。

二つ目は「知性と年齢の関係:流動性知能と結晶性知能の経年変化」です。著者は心理学者キャッテルを参照しながら、知性には流動性知能と結晶性知能があると言います。前者は、推論・思考・暗記・計算・論理などの受験勉強で活用される知能を、後者は、知識・経験知・判断力などの経験によって蓄積される知能を指します。ポイントは・・・2つの知能ではピークに達する年齢が大きく異なることです。

流動性知能が20歳をピークに下がっていく一方で、結晶性知能は20歳を越えた後も60歳前後まで向上します。

これこそが、過去は年長者が大きな発言権を持ち、また尊敬を集めた理由です。(というか、著者の本筋と全く関係ないんですが、流動性知能の下がりっぷりが少し凹みますねー・・・苦笑)

さて、この結晶性知能のグラフ、それ自体は2023年の現代も適用されるハズですが、なぜ著者は「オッサンはもう尊敬を集めない」というロジックになっていくのでしょうか。それは、次の3つの理由で結晶性知能(オッサンデータベース)が陳腐化してしまったからだと言います。

1つ目は健康寿命が延びた結果、結晶性知能(オッサンデータベース)を持っている人の数が増え、その存在と情報に希少性がなくなったことが挙げれられています。

これは、純粋に需要と供給の問題として、供給側が多くなったのでその価値が下がったと考えれば、一つの理由として理解ができます。ただ、この後の2つ目の理由と3つ目の理由の方がより深刻かつ不可逆的に思えます。

「なぜ結晶性知能(オッサンデータベース)が陳腐化してしまったのか」言2つ目の理由が、オッサンデータベースに格納されている情報そのものの価値が下がっているためです。iPhoneが生まれたのは2007年、その数年前にはiPhoneなど一部の最先端な人を除いて考えたことも見たこともなかったでしょう。そして、iPhoneが常識になった2023年の今、人工知能・仮想通貨・ドローンなどの話題で世の中は盛り上がっています。今度は逆にiPhoneが世に出た2007年に、現在の人工知能ブームを予想できた人はいないでしょう。このように現代社会は極めて変化が早く、10年もすれば環境が激しく変わってしまう世の中です。こんな中で60歳にピークを迎える結晶性知能が50年の知恵の結晶として目の前の課題に対して有効な対処をできるのかと言われると心もとないところがあります。

3つ目の理由が、情報の普遍化です。著者は直接的にはgoogle検索とは言っていませんが、要はオッサンデータベースを参照するよりもインターネットで検索した方がより広い/深い情報にもお手軽にアクセスできる世の中になってしまったので、ただのデータベースとしての年長者はその価値が下がってきている、ということだと理解しました。

そんなこんなで、オッサンをコテンパンにする今回の本ですが、最後に、全く本筋とは違うところですが、記憶に残ったところを紹介して終わりにします。

フランス・香港・日本・アメリカ・ドイツ・スイス・イギリス・台湾…etcどの国を調査しても、世界中のどんな民族であっても「年長者は敬うべきだ」と考えられている(宗教・文化からくる程度の差はあれど)。

これも著者はコンサルタントらしいロジカルな理由で、「進化論的にそれが合理的であったから」と説明しています。それはそれで正しい推論だと私も合意します。ただ、一個人の自分の日々の生活においては、「純粋に人生の先輩だからリスペクトする」とあえて合理的な理由なく敬いたいですね。また、逆に自分が年長者の立場の時には、年齢だけを理由にリスペクトされて当然かのようなふるまいはしたくないものです。日々勉強・・・。自戒の念を込めて。

(まあもっと言えば年齢とは無関係に他人をリスペクトしましょう、という話になって、それはまさにその通りのですが、そこまで広げると話の結論が薄まるので、そういった話はまたそういった本を読んだときに…!)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?