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可能性にアクセスするパフォーマンス医学(二重作拓也 著)を読んで考えたこと

まず実践的に論理と感覚にうったえて現実の動きをよくする方法がたくさん載っている本だと思う。

この本は、人が体を動かす時のボトルネックをいろんな視点から説明し、なおかつそれの外し方を紹介するという構成になっている。ボトルネックを分類すると、構造的なもの(骨や筋肉、その性質など)と認識的なもの(体を動かすイメージやその組み立て方)の二つだと理解している。

構造的なボトルネックとして面白かったのは、第2章レントゲン―01の手のレントゲン写真の話であった。人間の手の骨は皮膚の中にもうひとつ関節が存在し、その根元部分から動かすことで可動域が大きくなるということであった。自身が指のストレッチを頻繁に行うこともあって、その関節を認識することでストレッチの曲げ伸ばすイメージが根本的に変化したように思う。そこに本当は存在していても認識することができないと生かすことができないという意味で、この本の語る構造的なボトルネックを実感として感じることができた。

認識的なボトルネックとして面白かったのは、体を動かすのは基本的には脳から筋肉への電子信号なわけだがその信号は意識を通じて行われるため、意識の仕方で結果が大きく変わるというところだった。その象徴的な例だなあと感じたのが、第1章3-5で紹介されていた能力向上の手段として「お手本となる師や、憧れのロールモデルを内在させる」というところだ。これは現実の誰かや想像上の誰かをイメージすることで自分の限界から超えられる可能性があるということだ。冷静に考えれば、自分の限界は自身の物理的、意識的なものであり、意識の中の師匠やヒーローとは無関係である。しかし、人は不思議なもので憧れや感動で自分もかの存在のようになりたいと思った瞬間、その冷静な判断から離れ自分の限界を超えてみようという気持ちになれる。陸上の記録でも誰かが世界新を出した後、そこに至る人が増えるという不思議な現象がある。道具の進化だと斜めにみることもできるが、前提となる人のイメージが変化すると現実までもが変わってしまう例だと思う。3年前ならいざ知らず、今ではプロ野球で二刀流が不可能だと鼻では笑う人はいないだろう。

全体を通して面白かったのは、体のパフォーマンスを上げようとする心や体の動きは、そのまま考え方、生活、組織のパフォーマンスを上げる方法とリンクしているとなと感じたことだった。様々なボトルネックの外し方なので当たり前だといえば当たり前かもしれない。しかし、自分が限界を感じた場面で構造的なアプローチ、認識的なアプローチの手法を数多く持っていれば手詰まりになる場面は相当減るように思う(さすがにゼロになるとは思わないが)。この本は身体的限界に挑むための手法が多く載っているが、その手法をまねすることで思考や生活、組織のブラッシュアップの手法にもアクセスできると考えられる。その意味で、どんな分野であっても手詰まりを感じている人には新しい視点を提供できる興味深い本だと思う。

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