おもんぱか
「なあ聞いてくれよ!今日疲れて仕事場の軒先でうたた寝こいてたら、クソガキの集団に石投げられちまったよ。こっちはクソ暑い中ずっと外で働いてるってのによお。ほんと最近の若い奴らは常識がねえよなぁ。ペッ!」
男は唾を吐き捨てる。
「あらあら、大変だったわね。でも室内で唾を吐くのは下品だから辞めてもらってもいいかしら?」
女が寝床から顔を擡げ、気怠そうに答える。
「でもなあ、お前だってわかるだろ!?こっちだって見せ物じゃねえんだよ!ああいうガキは親の教育がなってねえよなあ、まったく人間どもは...」
「当然その件に関してはその子どもが悪いわ、あの後私がスタッフに伝えて注意してもらったわよ。」
「なんだ、お前見てたのかよ。」
男は目を丸くする。
「ああいう客が多くなって貴方に怪我されたら困るわ。明日からはしっかり監視体制を整えるようスタッフに伝えておいたから安心して頂戴。」
男は女のそばに歩み寄って、ゆっくりと座り込んだ。
「全くお前ってやつは...。ありがとよ。」
「ふふ...明日も早いわ。もう寝ましょう。」
「ああ。」
そう、私は慮(おもんぱか)るアルパカ、
おもんぱか。
この動物園ではキリャ(ケチュア語で月の意)
と名付けられているけど、私たちにとって名前は大した意味は無い。
故郷のペルーから人間達に連れてこられてはや10年。気づけばここでの見せ物小屋みたいな生活も随分長くなったわ。
そしてこっちのガサツだけどちょっと可愛いとこもある男はインティライミ。
(ケチュア語で太陽の祭の意)
三重生まれ千葉育ちの8歳よ。
夢は自分のルーツであるアンデスへ行く事。
残酷ね。私たちに自由なんてない事、動物園産まれの彼が1番よく知っているはずなのに。
それでも彼は毎日のように届かぬ希望に目を輝かせているのよ。
「全く...。貴方みたいなアルパカがこんな所に囚われる必要はないのに...。」
ふとインティライミを見やると、すやすやと寝息を立てて眠っていた。
「あらあら、相当疲れていたのね...。ゆっくりお休みなさい。」
「さて...。」
おもんぱかは彼を起こさぬよう静かに立ち上がると、飼育小屋の外へ歩き出した。
外へ出ると、静まり返った園内の上空には数多の星が瞬いていた。
「綺麗ね...。アンデスにいた頃を思い出すわ。」
「南半球と北半球では見える星々は違う。君がアンデスにいた頃の星空と、千葉の星空は似たようでいて全く異なる。」
「あら、いたのね。仕事は終わったのかしら。」
振り返ると、初老の男が小屋の壁に寄りかかり、タバコをふかしていた。
男は白髪混じりの頭をぽりぽり掻きながら、おもんぱかに語りかける。
「最近客のマナーが悪いのは俺も感じていた。園長に伝えておいたよ。明日からは俺がしっかりと見張る。」
「あら、ありがとう。助かるわ、中村。」
「お前達に怪我をされちゃ困るからな...。」
中村と呼ばれた男はタバコを足で揉み消すと、おもむろに空を仰ぎ見た。
「...でもな、地球上どこへ行っても平等に輝いている星がある。幼い頃ペルーから連れて来られ、慣れない環境で怯えていた君に、私はその星の名を君に与えた。」
おもんぱかは夜露で湿った芝生の上に、のそりと座った。
「ふふっ。私は今の環境も十分楽しめているわ。過酷なアンデス山脈より、食べることにも困らず、安全なここの方が暮らしやすいに決まってるもの。幼すぎた私には家族の記憶も無い...。寂しくなんてないわ。」
「でも...」
おもんぱかは言葉を濁す。
飼育小屋の中からインティライミのいびきが聞こえる。
しばらく沈黙が続いたのち、思い出したかのように中村が語り出す。
「そういや話は変わるが、園長から気になる噂を聞いた。ペルーの動物園から動物交換の交渉があったらしい。」
「それがなんだっていうの?少なくとも原産地のペルーに、わざわざ私達が行くわけないじゃない。それとも、この狭い柵の中にもう一匹アルパカが増えるのかしら。」
「それが...そうじゃ無いんだ。向こうさんから提示された話ってのは...」
中村はおもんぱかの目をじっと見つめる。
「アルパカ交換だ。」
おもんぱかは思わず首を伸ばし、目を見開いた。
「アルパカ交換...!?」
〜つづく〜
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