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「ザ・ベストテン」の頃〜City Pop could be televised ?

今宵の担当noriです。
70年代後半より約10年間TBS系で放送された人気音楽番組に「ザ・ベストテン」がありました。

小学生だった当時、普通の音楽番組だと思って見ていました。

やがてラジオにもベストテン番組があることを知りましたが、ラジオなんだから音だけ、テレビだから映像と音がある、と極めて普通の事だと思ってました。

大分後になってラジオで単にレコードをかけるのとテレビでアーティストに出演交渉して、スケジュールをブッキングして、リハーサルして、生放送で生演奏させて、ギャランティを支払うのでは、労力的にも予算的にも雲泥の差があるとんでもない企画であったと知りました。しかも出演交渉するのはその時最も旬な上位10組、さらに毎週それを行うのです、どう考えても無茶な企画です。

通常の音楽番組なら一度出演したら次は数週間後か数ヶ月後かという感じでしょうが、ランキング番組という性格上ランクインしたらランクダウンするまで毎週呼ばれる、そして次のベストテンヒットが出るまで呼ばれないという事になります。事実「何で毎週出なきゃいけないんだ?」と言ったアーティストもいたそうです。

今にして思えば当然ですが、殆どの週でランクインした全員をブッキングできるはずもなく欠席するアーティストがほぼ毎週いました、10組全員出演した回の方が少なかったように思います。

またスケジュールの関係でなく、何度ランクインしても一度も出演しなかったアーティストが数多くいます。山下達郎、中島みゆき、矢沢永吉、オフコース、チューリップ、南こうせつ、EPO等、その後テレビに出だしたりテレビでレギュラー番組持ったりした方もいますが、その当時ニューミュージックと呼ばれた彼らは高視聴率番組だろうとテレビに出ないことをポリシーとしていたのです。

通常の番組なら出演交渉して出てもらえなかった人の話なんかしないのですが、ザ・ベストテンにおいてそれを番組内で発表するのがチャートがガチであるということの主張でした。やがて、アーティストのポリシーだけではなく事務所や局の意向で出演しないアーティストが増え、番組が立ち行かなくなったようです。

今にして思えば、テレビという当時最もメジャーなメディアが出てくれと言っているのに出ない、でも売れているアーティストとの攻防をお茶の間に晒した稀有な番組だったのかもしれません。

それでも、アイドルにヒットチャートが席巻されるまでの番組開始からの数年間、それまでの歌謡界と趣を異とするアーティスト達の出演もありました。
ツイスト、サザン・オール・スターズ、原田真二、八神純子、渡辺真知子、久保田早紀、クリスタル・キング、岸田智史、大橋純子、サーカス、竹内まりや、そして寺尾聡。(上記に挙げた方々の全員ではないですが)現在シティ・ポップと呼ばれているアーティスト達をテレビで初めて見た番組だったかもしれません。
レコードセールス、ラジオチャート、有線などによるポイントでランキングが決まるので、それまでのテレビにブッキングする基準とは異なっていたから「ザ・ベストテン」で初めてテレビで観るというアーティストも数多くいたのだと思います。

今日の一曲:五十嵐浩晃「ペガサスの朝」(1980 / CBS Sony)

そんな「ザ・ベストテン」で初めて見たアーティスト。

写真は、当時ランキングしたアーティスト達のレコード、五十嵐浩晃のファーストも左奥に写っています。このアルバムには「ペガサスの朝」は収録されていませんが、この曲に引きづられるようにスマッシュヒットした「愛は風まかせ」と「ディープ・パープル」が収録されています。
こちらは鈴木茂プロデュース、まごうことなきシティ・ポップスでしょう。

今宵の担当:nori

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