見出し画像

書き散らし

「絵」って「星の光」に似てるところがあると思う。

理由は、「絵って描き終えた瞬間」から「過去絵」になるんだけど、そこに“注ぎ込んだもの“が光ってるんだと思うからなんだ。

星の光もまた同じで、何億光年前の「星の光」をぼくらは見てる。
それが似てるかなって。

「星の光」は何億年前の光で、過去の光を僕らは目にしてるのに、綺麗だな〜ってなる。なんだ過去の光なのか、などとはあまり思わないし、それよりすげーってなる。

「絵」もそれと同じで、何年も前に描いた凄い絵だったりを僕らは美術館やSNSで目にするわけだけど、わ〜綺麗だな〜とか、凄いなーってなる。

過去に、絵師がその絵に込めた「技術」だったり「熱量」だったり「今まで絵に向き合ってきた人生そのもの」などが光っていて、それがまるで「星の光」みたいな感じだなと思った。

もちろん「鮮やかな絵の具」が素晴らしいのもあるから、いろんなものが相乗効果で合わさって光ってるんだけどさ。

また、凄い絵に出逢って、昔描かれた絵であればあるほどその感動は増していく面もある。それもまるで「きれいだな〜」と思っていた「星の光」が「あれは数億年前の輝きなんだよ」と言われて昔であればある程感動するのに似ている。

物理的に輝いてはいないけれど、絵にもまた「星の光」に似た性質があると僕は思った。


〜余談〜


人は芸術を作るのも、商品を作るのも、全て大自然の恩恵なしには成しえない。
それは「生きる」ということそのものにも言える。
「自分の人生」を「作品化」するにしても本当にたくさんのものや生き物を消費して作っている。

動物、植物、花など全ての生き物が「生きてる美」であり「人間」が活用し消費しているものでもある。

人が増えすぎて、さまざまな科学を駆使してようやく今の生活が成り立っている。
なんだかなーと思いつつこの人の「経済活動」は「止めたくても止められない」のもまた現実だ。

最近、News pickというコンテンツで観たが、「核燃料廃棄物」の行き場がなくてかなり各国が焦っているらしい。

「原子力発電」(核燃料発電)には必ず「核廃棄物」(ヤバいゴミ)が出てしまう。

なぜ「ヤバいゴミ」なのかというと、この核廃棄物というモノは生物が横にいるだけで「20秒」で「死」に至るモノだからだ。

これを安全に処理する技術が今の我々にはまだ確立されていない。
なので、「地底深く」に埋めてしまっているのが現状だ。

だが、その地底に埋める行為も地球という「空間的」、「物理的」にいつか限界が来るし、何より「地震」や「浸水」で海に流れ込む恐れも十分にあるわけで、絶対安全なものではないらしい。

私は、人の行きすぎた「経済活動」が「電力供給」を促進させ、「原子力発電」をさせているのではないかと考えている。人が増えすぎたのに「生活レベル」を落とせなくなっていて、その「経済活動の結果」として「核燃料廃棄物」という「ヤバいゴミ」が大量に現れているんだと思う。

これは、早急に人類全体の問題として考えないと、かなりまずい事態になることは明白なのだけれど、今はまだ解決策が見えないまま、経済活動だけが進み「原子力発電」をして「核廃棄物(ヤバいゴミ)だけが増えている。

私たちは恵まれている。

いや、恵まれ過ぎている。

そのことに早く気づくべきだ。

なんか余談の方が長くなっちゃった。

読んでくれてありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?