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あの日とこの日

モノの価値が分からない。

その日は父がGoogleの検索バー下に出てきた地元のネットニュースで知った、わらび餅専門店に行った。本わらびを使った本当のわらび餅とかで食べてみたいから連れて行ってほしいと言われ、自分が運転して父と母と行くことにした。無事わらび餅を買い、2ndストアでもう使わない座椅子を売った。思いの外高く売れたらしく、父は満足気であった。その後昼食にお寿司を食べた。ボーナスが出たばかりで浮かれていた自分は、その足で前から欲しかったコーヒーメーカーをケーズデンキで買った。カルディでコーヒー豆を買い、自分のアパートで早速コーヒーを淹れ、わらび餅を食べながら飲んだ。一段落し、家に帰る父は満足気だが、少し寂しそうであった。

家に帰った父と母と別れ、ひとりアパートに残った自分は晩御飯の支度を始めた。唐揚げだった。換気扇を付けるといつもと違う音がする。何だろうと換気扇のカバーを外すと、大量のミツバチが換気扇から出てきた。部屋中すぐにミツバチだらけになり、ベランダで蜂駆除業者をスマホで調べた。電話すると、今違う家にいるので行けるまで1時間かかると言われた。1時間ベランダにいるわけにはいかないので、自分の車に逃げた。1時間後ようやく来た蜂駆除業者はつべこべ言いながら、外から中から出したり入れたり殺虫剤を撒き、計3時間ぐらい掛けてようやく蜂駆除を終えた。

そして支払いの時、いくらですか?と聞くと、

業者「8万円です」

自分「ハチだけに?」

とは流石に言わなかったが、8万円?とはなった。どこにどうなって福沢諭吉が8人並んだのだろう?とはなった。

そしてその後、

業者「今回は時間が掛かってしまったので、1万円値引かせて頂きます」

自分「簡単に1万引けるんやな」

とは流石に言わなかったが、ラジオショッピングぐらい茶番な値引きのやり取りだと思った。
でも大人なので「ありがとうございます」とは言って、7万円払った。ありがたいのか分からないけど。そんな話を父にしたら、その日の夜、父も移動やお寿司、わらび餅やらでちょっとはしゃぎ過ぎたからか体調が悪かったらしい。

その約5ヶ月後、父は死んだ。
ガンであった。
わらび餅を元気に食べていた時も闘病の真っ最中だった。父は親戚みんなに看取られて安らかに死んだ。幸せ者である。
また驚いたことに四十九日が母の誕生日であった。父は何事も段取りの人であった。下着のシャツに番号を振って均等に着られるようにするような人だった。そんな父は死んだ後の段取りもして、自分たち家族が覚えやすいように四十九日の日も決めていた。ちょっと笑ってしまった。

亡くなったその日、自分は兄と市役所に行き、手続きやら何やら事務のオンパレードを体感。また火葬場での火葬の予約も市役所で行う。

支払いの時、いくらですか?と聞くと、

公務員「8000円です」

自分「…」

流石に何も言えなかった。
どこにどうなって野口英世が8人並んだのだろう?とはなったけど。

蜂の駆除代、8万円?
父の火葬代、8000円?

8000円なー。

自分の財布にはまだ市役所で貰った火葬代8000円のレシートが入っており、見るたびそう思う。

今この一連の流れを振り返った時「禍福は糾える縄の如し」という言葉を思い出した。
黒柳徹子の半生を描いたドラマで向田邦子が言ってた言葉だ。人生は幸福と不幸の2つの縄が寄り合わさって出来ているという意味。そういえば「8」という数字もまさしく幸福と不幸の2つの輪が交差して出来ているように思えた。幸福と不幸はいつも同居しており、わらび餅もミツバチも、父の死も段取りもいつも同じタイミングでやって来る。人生はそんなことが有限だけど無限に続くんだなと。そんな無理矢理な解釈でしか、今は駆除代8万円と火葬代8000円を自分の中で処理できない。
やはりモノの価値は分からない。


追伸
わらび餅専門店は潰れたらしい。
このことを知ったのも検索バーの下のネットニュース。

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