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血となり、恥となる

幼い頃からよく鼻血が出る。
ご飯を食べているとき、お風呂に入っているとき、寝ているとき、ところかまわず鼻血は出る。原因は不明、耳鼻科でも原因はよく分からないとのことだった。厄介だ。だから昔からポケットティッシュかハンカチは必需品だった。

中学1年生のある音楽の授業の時間、合唱曲を歌っていると僕は鼻血が出た。いつものことなので、僕は驚くこともなくトイレに行くフリをしてこっそりと止血しに行こうかと考えていた。ところが、隣りで授業を受けていた当時仲の良かったS君が僕の鼻血に気づいた。
S君「え!?鼻血!!??」
僕「大丈夫、大丈夫、いつものことやから」
S君「いやいやいや、大丈夫じゃないって!先生に言お」
僕「いや…」
S君「先生!鼻血です!○○君(つまり僕)、鼻血が出ました!」
恥ずかしかった。こんなに大事になるなんて。その後、先生に促されて僕は保健室へと向かった。

僕は今も鼻血が出るたびにこの出来事を思い出す。
先週は毎日のように仕事終わり鼻血が出た。だから毎日のように思い出した。自分にとっては普通のことでも、他人にとっては普通じゃないことはある。それが分かっているからこそ僕は鼻血を隠そうとした。他人にとって鼻血が出ることは普通じゃない、異常だと自覚しているから。だからそれがみんなにバレた時、恥ずかしかった。考えてみれば、こんな箸にも棒にも掛からない話を世の中に公開することも本当は恥ずかしいことだ。確かに恥ずかしい。でも僕の好きな植木等もタモリも、全面に“変”な人を打ち出しながらもその異常性を自覚しているからこそ、どこか恥じらいを含んだ笑みを見せる。とても素敵だ。素敵に思われるかどうかは結局その人の人柄なんだろうけど、恥じらいってその人の隙みたいなのを垣間見れた気がして嬉しくなる。誰だってそれはそう。

だからこの場では恥じらいを持ちながら鼻血みたいな文章を、これからたくさん公開していきたい。あの日の音楽室を思い出しながら、あの日のS君がいま僕に「投稿」ボタンをクリックさせる。

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