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20歳の夏休み全部使って日本一周してみた(9:網走〜釧路)

第9日目

泊まっている呼人旅館なのですが、妙な広さの部屋で年季が入っており、僕が移動するだけで建物の軋む音がします。建物のすぐ後ろを鉄道が通っているため、滅多に通りませんが、通ると相当の振動を生みます。寝るだけなら十分ですが、色々改善できそうな点がいっぱいありそうな旅館でした。ジンギスカンは美味しかったですけど。

そして部屋に置かれている布団とシーツがこれまた謎で、おそらく敷布団だと思われる布団が2枚あります。それなのにシーツは1枚。まあ、文句ばっかり言っていては眠りにつくことすらできませんので、東京五輪の閉会式を放送しているテレビも消して就寝します。

今日はまず呼人駅前から、網走から出ている女満別空港へのリムジンバスに乗り、女満別空港へ行きます。7時52分発なのでいつもより朝はゆっくりスタートして大丈夫です。どうしていきなり空港へ行くのかというと、この時期の女満別空港は滑走路の端にあるひまわり畑が見頃を迎え、まるでひまわり畑に不時着するかのような飛行機の写真が撮れることで賑わうからです。

この女満別空港のひまわり畑は運要素の強い観光地となっています。というか、そもそも観光地開発されているわけでもありませんので、バス停もなく、空港のターミナルから20分ほど歩かないといけません。

空港の中にあるセブンイレブンで朝ご飯のアメリカンドックを購入して、むしゃむしゃ食べながらひまわり畑を目指します。到着すると、既に脚立と三脚を構えているおじさんがいて、「もうすぐ来るぞ!しかもミッキーが塗装されているやつ!」と教えてくれました。flightrader24というアプリで飛行機がどこにいるか把握していたので、半分演技で驚いて、感謝を伝えました。どうも、女満別空港のことに関しては全知全能の様相でしたので、撮影スポット、着陸する向き、離陸する向きなど色々伝授してもらいました。

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先程書いたように女満別空港のひまわり畑は運要素が必要になる観光地です。どの観光地もそうですが、まずはその日の天気によって写真映えの優劣が決まります。女満別空港の場合は、航空機が欠航するという事態にもなりかねません。次に風向きです。風向きによって滑走路の使われ方、飛行機の離着陸の方向が変わってきます。また、女満別空港は所謂地方空港ですので、そもそも離発着する便数が少ないこともここを観光する難易度を上げています。

そんな中、今回の訪問で確保できるシャッターチャンスは3便のみです。風向き的に着陸する機体を撮影することにして、8時35分着の便と8時50分着の便と10時15分着の便の3つに絞られました。少しすると予想通り、JALのミッキーが描かれた機体が着陸してきました。この機体の写真を撮ったものが結果的に一番よく取れた写真になってしまいました。

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その後も2、3便が離着陸を繰り返しましたが、うまく写真が撮れたのは最初の1枚です。11時6分に女満別駅から出る石北本線網走行きに乗車したいので、また歩いて女満別駅まで歩いて30分ほどかけて戻ります。途中いかにも北海道らしい一本道の写真を撮ることができたので満足です。家畜の臭いがきつかったのでしたが、景色を見て歩いていたら一瞬でした。女満別空港はもう一度リベンジしたい場所となりました。

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網走に戻ってきてからは、再びセイコマートでお昼ご飯を食べて、次は博物館網走監獄に行こうと思います。去年も網走に来たのですが、なぜか通り過ぎただけでしたね。バスに乗っていくのですが、「刑務所前」というバス停ではなく「天都山入口」というバス停で降りて、そこから歩いて10分ほどのところにあるので、だまされないでくださいね。

この網走監獄という博物館、結論から言うと、とても面白い場所だったですよ。帰り駅までのバスを待っているとき、僕の一つ前を並んでいた子連れの家族も小学生くらいの男の子も「めっちゃ面白かった」と言っており、お父さんも「来る前と180°評価を変えたな」と嘆いておりました。確かに面白い、他の博物館とは一味違う臨場感のある展示づくめでした。

有名なパノプティコンの形である監獄の建物や受刑者が使用していた浴場跡、刑務所内でさらに悪いことをした者が収容される狭くて暗い建物などに、オレンジ色の服を着た受刑者の人形が何体も置かれており、本当に刑務所が刑務所として機能していた時と同じような臨場感が味わえます。合計で6回も脱獄に成功した人の逸話なども情報が豊富で、例えば毎日支給される味噌汁を扉のねじにかけて、塩分で腐食するのを待って扉を破壊して逃げ出した話などが書かれており、かつての大脱獄犯は考えられないほどの想像力の持ち主であったことが伺えます。

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また、網走に収容された囚人というのは、監獄内で生活していただけでなく、北海道開拓の労働力として半ば強制的に働かされて道路建設などを強制されたという黒い歴史を持っています。ロシアの脅威に立ち向かうべく建設された北海道の道路というのは、そのようにして造られたものなのであって、重労働の末、亡くなってしまった受刑者の死体を道に穴を掘って埋めたらしいです。恐ろしい話です。ここに来なければ知ることができませんでした。入場料を払った価値があると思います。

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歴史展示館的な場所には、受刑者の残した日記のようなものや、それを映画風にして放映しているスクリーンもあり、あの手この手でかつての黒い歴史を直接訴えかけてきます。少し不気味に感じるくらいです。先ほどバス停から降りて、少し坂道を登ったのですが、この道の除雪を受刑者が行っていたことに対して住民はとてもありがたく思っていたという話も残っているそうです。

そして最後に書いておきたいのは、網走駅前に飾られている「網走駅」という表示の縦看板です。この看板、他の駅前に設置されている看板とは違って横書きではなく、縦書きです。これには意味があって、網走刑務所を出所した人間が、この駅を使って故郷へ帰るときに、社会に復帰するに際して「まっすぐに生きてほしい」という意味が込まれているそうです。いろいろ知識が増えて、網走という街に対するイメージが変わりました。本当に来てよかったと思います。

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再び駅に戻ってからは、釧網本線を全線乗り通して、釧路に向かいます。原生花園駅で降りて釧路湿原観光をしようかとも考えましたが、もう疲れましたし、外は寒いし雨は降っているので、さっさと釧路へ向かおうと思います。外は霧で視界不明瞭ですが、目を凝らせばたしかに湿地の中を走っていることがわかります。本当に周りに何もなく、いかにも道東らしい車窓で僕は好きです。

明日は根室で最東端観光をするつもりでしたが、天気は大荒れです。また、いろいろ考え直さなければいけません。とりあえず、今日も釧路の快活クラブで一席、寝場所を確保できて安心です。今、マッサージチェアで全身揉み解してもらってます。毎日重いリュックを背負っているので、助かります。ひまわりと監獄の1日でした。お休みなさい。

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