性 あり方

私のセクシュアリティは今のところ、パンロマンティックアセクシャル。日本ではロマンティックアセクシャルよりもノンセクが伝わりやすいので「ノンセク」と表している。好きになる性別は決めて(決まって)いないし、性的なことはいらない。アセクシャルにももちろんグラデーションはあるから、ここまではOKここからはダメというのが人によって違う。私は手を繋ぐこととハグは大丈夫、その先はダメだと思っていた。

現在は同い年の彼氏がいる。優しくて真面目で魅力的な人だと思う。でも、近いうちに別れるだろうな、と強く思う。

私には追記でもうひとつ、性嫌悪がある。理由には育ってきた環境と性にまつわる不快な経験(後述)があるのだが、こいつが厄介で尾を引いているらしい。元来のノンセクに加えてこれが加わったことで、「いらない」から「気持ち悪い」になった。

彼氏には付き合う前に「自分はノンセクだから、君が望んでいることは出来ないかも」と伝えた。彼は快く了解してくれたが、私も彼もそれを甘く見ていたのだ。セクシュアリティは流動的である。


人生で2度ほど「危険な目」にあったことがある。1度目は、ノンセクと知っているほどの関係性だった同級生。背後から突然抱きつかれ、頭が真っ白になった私は勢いよく彼を振りほどいて事なきを得た。
2度目はサークルで飲んでいた時。先輩。酒に飲まれた相手から、無理やりキスをされる。深夜零時の歌舞伎町を厚底で駆け抜け、終電に飛び乗ってワンナイトは回避。それにしても身近な所に恐怖が転がっているものだ。
これらの経験は性嫌悪を加速させた。接触なんてものは愛とかそういうのではなくて、ただただ気持ちが悪いもので不必要だと。

でも恋は怖くなかった。人を愛することも、性的接触とは結びつかなくとも理解出来た。だから何時しか多くの人と同じように「パートナーがいたらな」と思うようになった。そして現在正にパートナーがいる。


正直なところ、その流動性に夢を見ていたのかもしれない。もしかしたら今後性嫌悪が解けて、「できる」ようになるかもしれない、「彼の望んでいることがしてあげられるかも」と信じたかったのかも。今考えるとそんな条件付きの恋愛はそもそも異質なのだが。
だから付き合い始めた時、大丈夫だろうとたかをくくっていた。

全然大丈夫じゃなかった。

手を繋ぐ、手を絡める、ハグをする、全てダメ。全て気持ちが悪い。相手のことは好きだ。でも気持ちが悪くて、虚無感さえ感じて、久々のデートは上の空だった。加速する嫌悪に、自分にも嫌気がさした。「期待」させているだろうか。でも気持ちは変えられない。

ノンセク同士は出会えるチャンスが滅多に訪れない。マッチングアプリにしても、狼は必ず潜んでいると考えなければいけない。こんな所で生きづらさを感じることになるなんて。悩みながら、彼とお別れする日を勝手にカウントダウンしている。

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