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足が早い人

足が速い人間というのはシンプル能力値として中学辺りまで持て囃されているが、高校辺りから走力一本では価値を見出せ辛くなっていたように思える。しかし大人になった今でもちょっとかっこいい。

対して足が遅い人間というのはとりあえずフォームの歪さが根底にあり、どう考えても身体の使い方に問題を抱えているが、矯正する事により何処まで足が速くなるかは気になるところである。そしてその走法を改善する気概が全くない図太さも不思議であった。

女性は特に走り方が面白いとそのギャップにときめいてしまう。真剣な人間というのはやはり魅了される。友達と女子の中では誰が足が速いのか本気で討論していた記憶があり、異性としての評価は置いといて走力情報のみで評価する無駄な時間を徐に過ごしていたことを思い出す。

他校の女性と付き合っている友人に対して開口一番に「足速い?」と質問する謎の提携文があったし、父兄や先生まで万物に対して走力考察し情報を集めていた熱量はなんだったのだろうか。

大人になると走る事は意識しない限り無くなってしまう。大抵が遅刻などネガティブな走破であり、ポジティブであっても長距離前提の速度を追求しない走行が大多数を占めるだろう。走った姿を見た事ない人間が大半であり、自分は新たな人間に出会うととりあえず走り方が気になってしまう旧式の感性である。

変な走り方と言えば、腕を一切振らない忍者のような走り方で高速を誇る同級生がいた。非合理的だと思われるフォームで爆速で疾走する様は今見てもメカニズムが判らない。本人曰く「こっちの方が速い」と経験則的なロジックに基づいているようだった。しかも平均的なフォームでそこそこだった自分より早かったのが凄かった。

彼は中学生にして弐瓶勉の「バイオメガ」を好んでおり、高校でブラムに魅了された自分としては初めてカルチャー面で先を越された唯一の存在であった。あんなに走り方が面白いのに謎に悔しさを感じ、今でも少しリスペクトしている。

あと予備校に通っていた時に「志望校を全員の前で宣言する」という儀式があり、同じ高校で1番足の速い陸上部の女子が「創価大学です」と堂々と宣誓したのも記憶に深く刻まれている。学力を求める場所で偏差値を超えた感覚に基づいて発言する彼女は相当熱心だったのだろう。予備校の思い出は何故かそれしかない。

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