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泣かなくなって暫く/死にかけ列伝

ここ最近全く泣いていない事に気付く。年と共に涙脆くなるものだと言われているが、感動的なコンテンツ自体を避ける穿った思想でもあるので感動したり悲しんだりしたことはない。どちらかというと歴史や文化のダイナミズムを感じてスゲーと感服、参りました、めっちゃおもろいやんと思いたい欲求が増してきており、哀に関する感度は身の回りの平穏さもあって殆どない。

自分は親族が殆どまだ死んでない。母方の祖父が中学ぐらいに亡くなったが、生活を共にしていなかったこともあってそんなに喰らわなかった。人の死に階層付けるのは色々アレだとは思うが、やはり同じ釜のメシを食わなかった存在というのはそんぐらいの距離感である。ガンに侵され闘病中末期の姿を目にしたという事もあって、もうちょいで逝く覚悟が見えていたのでそんなに消失の過激さはなかった。

でも一個今思い出したのは、授業中に呼び出され帰宅するというイベントの当事者になったのはある。色々理解していたのであまり悲しい気持ちにならなかったし、思春期特有の気恥ずかしさもあり「家が燃えたから消火活動してくる」とボケる余裕すらあった。しかし、早退の支度中に無粋なクライスメイトに「どうせおじいさんでも死んだんだろ」と茶化された時は急激に脳みそが沸騰して泣きそうになり、多分ブン殴ってトイレで人知れず涙を流したのは覚えている。

何故か自分が悲しい気持ちでトイレで何も知らない手グセの悪い団地の子と出会した記憶は鮮明にある。ブン殴ったかどうかは定かではないし全く記憶を忘却しているが、あの瞬間だけ記憶がないというのは恐らくちゃんと手を出してトイレに涙を悟られないように駆け込んでた気がする。

父親の妹がこれまたガンで亡くなった頃は社会人でもあったのであまり動揺しなかった。しかし成年してからの葬式というイベントのシステムを理解し、近い親族でもあるのである種運営側として小間使いしていた忙しさもあって仕事やなあという感想が殆どである。

しかし出棺の際に一才泣き顔を生涯通して見た事がなかった父親が号泣していたのを見て、自分も衝撃的で泣きそうにはなった。兄弟を親より早く失くす感覚はエグいだろうなと漠然と思う。そんな事より父親の妹の旦那側の親族が全員反社っぽい風体で旦那と一才交流していなかったのはちょっと変で面白かった。誰だったんだあいつらは。

そして直近で涙を流したのはコロナに感染した時である。体温計なんてツールも一人暮らしには無く、測定するまでもない明らかな体温の暴走と食欲すら失せる喉の痛みは本当に忘れられない。助けにくるあてもないのでこのまま死ぬかもしれないというぐらいまで悪化したピーク時には、久々に魂震えて涙を流した。喉も痛いし寒さも止まらず食事すら満足に取れないあの1週間は本当に「辛い」が寝ても起きてもこびりついていたのがかなり泣けてきた。やはり人は生命の危機的状況に陥ると自然と涙腺が緩むのである。

あと前の会社でユンボ乗り回してビギナー故に横転しかけた時は普通に死に掛けでアドレナリン全開で腰が抜けたけど涙は出なかった。膝がマジでブルブルと震えて立てなくなるのは面白かった。そして「あぶねー!生きてたー!」と勝手に実況し出してしまうのは不思議な生存本能である。誰も周りに居らずその危機一髪感を共感できなかったのは少しゾッとする。人知れず勝手に重機に圧死されていた未来もあったのだ。

原チャリで事故った時もそうだけど、結構死に掛けてるなあと我ながら思う。トルコで電車に乗ってた時向かいの席のジジイが銃に弾を込め出した時はヤバすぎて笑ってしまった。ダッシュで別の車両に逃げたが、あいつの意図だけは今でも知りたい。

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