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骨折ボルト抜釘10周年と恐ろしい後遺症

11年前に事故り右足が大破してからボルター生活を1年送り、ボルトを抜いて一応完治してから今年で10年が経った。人生はボルトを抜いてからの方が長くなっていくし、骨折後の違和感というのは日常になってしまうが、ふとした瞬間に「一生この感覚を引摺るのか」とちょっと嫌になってしまう。

レントゲン映えのする見事な骨折である。

かつては違和感の正体はボルトでありボルトさえ抜けば、以前のような健康な足感覚を得れると思い込んでいたが、ボルトを引き抜いてもちょっとマシになったぐらいでその違和感のコアはずっと付き纏っている。日常生活に支障をきたさないレベルのものであるが、右足だけ常に存在感と言うか完全に脱力できないような痺れと疲労感を常に感じてしまう。

タバコでやってるのがダサい10年前の自分

ボルトの横方向の部分を触ると肘のファニーボーンの如く神経にピリッと来るし、抑えている場所とその反対側も電流が流れるような感覚を得る。もう当たり前になっているので気にしていないが、冷静に考えると縛りプレイで人生を歩んでいるような気分になり、誰にも共有できない肉体的負債というのは地味に辛い。(近所の腰の悪い分速50cmぐらいのお爺さんはもっと辛いだろう)

ボルト抜いた後はしばらく痛みが取れずにちょっと焦っていたが、痛みに関しては日にち薬で取り除かれていった。しかしこの痺れに近い障害までいかないまでの絶妙な違和感はもう一回骨折するぐらいしないと除去できないだろうが、普通に走ったりできる分まだマシである。

骨折直後の記念写真。腕も折れてた。

関連して1番厄介であったのが靴擦れである。どうもその違和感が無意識レベルで歩き方に連動しているようで、ちょっとでもサイズが合わなかったりする靴を履くと右足の踵がズルズルに剥けていく。とにかくそれに陥らない機能性を備えた靴選びという見えない枷が常にあるが、効率厨的な側面もあるので自分に適合する理想の一足を追い求めるようにもなれた。

これは怪我の巧妙であるが、いい靴というのは全く靴擦れを起こさないので、スニーカーや革靴であってもその品質が履いた瞬間理解できるようになった。スニーカー真贋判定士という職業が生まれてきている時代だが、自分に履かせれば効きスニーカーが容易になるだろう。

入院中暇すぎて作った風刺的なフィギュア

そして良い靴というのはちゃんと品質が伴っている。でも正規品であってもナイキのエアトレーナーやエアマックス90はあんなカッコいいのに踵がズタズタになり履けなかった。個体差もあるかもしれないが、リスクが付き纏うのでちょっと悲しいし、ナイキの靴はそれ以来買う気が失せてしまった。

ポーラーとのコラボの奴が観賞用に。無念

そういった意味ではアシックスというブランドは本当に日本人の足に寄り添っているし、このベロの付いた尖ったデザイン性も含めて最高の一足である。この靴さえあれば冠婚葬祭以外はどこへでも行ける。そしてズタズタ踵をほぼ完全な形で無力化してくれるレジストのような存在である。

最近のお気に入り。

これを読んでいる骨折してボルトを入れられたみんなに完治後こそちょっと辛い現実が待ち構えている事実を伝えたい。しかし慣れる!

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